天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

昨日就活解禁なったが44年前は9月1日解禁でその試験は学校推薦枠のみ私は辛うじて1社応募し合格入社す

2019-03-02 14:11:07 | 日記
今日の日記は、昨日就職活動が解禁となった来年大学卒業予定者の今後スケジュールと44年前に私が体験したとても隔世の感がある当時の就活です。添付したグラフは、現在の就職活動の時系列的な年度別スケジュールです。
このグラフにも記載されているように、経団連会長は、その就活指針(3月解禁日)を来年度から廃止すると、去年明言しています。もう50年以上も続いていた大卒者の企業への就職活動が完全にフリーとなります。私は、今その処置にとても驚いています。何故なら、1975年当時大学4年生だった私は、石油ショックの経済的な余波をまともに受け、大きな就職難(就職氷河期と当時言われ、就活解禁日は9月1日で採用試験実施は11月1日とルール化)を痛感した苦い体験があるからです。以下に、その1975年当時の今では全く想像も出来ない就活を、時系列的に振り返ってみます。
・6月1日:大学の就職課より来年度採用を予定している企業(当時は学校推薦枠のみの採用企業が多く、特に大手は自由な採用試験が全く無かった)公表された。しかし、その予定企業は最大手ゼネコン5社の内、1社(注:結果として私が後に43年間在籍した企業)だけだった。最近ニュースで個人就活OBサイトを悪用し応募女性に性的暴行をした社員が在籍していた最大手ゼネコンは申し込みが無く、また、別のある最大手ゼネコン1社は最初からある人物のコネ入社が決まっていた。
・7月1日:その1社に私を含めた3名が応募して、私だけがその応募資格者(事前に各人成績証明書を企業に送付した結果、私の習得履修科目の”優”数が一番多いのが決めてとなったか?)となった。
・9月1日:就職活動が解禁となり、応募書類を当時はまだ銀座にあった企業本社に提出した。そして、中旬に大学OB(当時、東京支店建築部長)の面接を受けた。だから、44年前の大昔は、下っ端社員(去年の不祥事で27歳独身が若い就職活動中の女性と会う)と会って就活するなど全く考えられない事でした。
・11月1日:午前中約90分程度の採用試験(注:9月の事前面接の際、前年度の試験用紙を貰った)と役員面接を受けた。同日の夜、自宅に電報で”採用内定”報告を受け取った。当時は、企業は一斉に1日に試験を実施しており、その際不合格となった就活者は、数度試験を実施している企業への応募申し込みが直ぐに出来るように、今では全く使われなくなった電報が使われていた。
・1976年4月1日:入社式に出席し、誓約書等を提出する。
以上です。現在の日本は、政府は「働き方改革」を叫んでいます。でも、44年前までは、その働き方の始め【採用方法】から,多くの制約(学校推薦枠のみの採用企業が多く、完全な自由競争の就活で全く無かった)があったのです。その弊害の為、1976年大学卒同期の者(約60名程)で最大手ゼネコンに入社できたのは、コネ入社の1人以外では、私だけでした。
だから、昨日、就職活動が解禁となって今就活を実施している来年大学卒業予定者は、とても恵まれていると私は思います。企業にとっても、その自由な選択肢を狭める学校推薦枠のみの採用は、全く良く無かったのです。
そして、来年就職希望の方々には、その就活を頑張って欲しいと、もうリタイア生活者からですが、大きな声援を贈ります。
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