天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

2回目シンクロニシティ発生し雑誌コラム永野裕之氏【3種類の和音と進行】主張は音楽的選民思想で私異議有

2019-03-21 13:33:36 | 日記
今日の日記は、今年2回目のシンクロニシティ現象(意味ある偶然の一致)雑誌『プレジデント』永野裕之氏コラム「数学に似ている音楽の論理的世界」で掲載された五線譜【3種類の和音と進行】の事です。
私は、昨日札幌中央区民センター図書室の蔵書・雑誌『プレジデント』(2018.8.13号)の表紙タイトル「1億貯まる!毎日パッピー🎵 年収400万父さんの極上家計簿入門」にとても興味が沸き(注:現在は無職だが家計簿を参考したくなって)この雑誌を借りて今読んでいます。
そうしたら、このお目当て記事ではなく、前回私が話題にした音楽の旋律【和音】に言及したとても興味深いコラムを見つけました。添付した写真は、そのコラム記事です。
またしても私の周辺に、シンクロニシティ現象が起きました。前回の項目【十八番】から約2週間しか経っていないですが、私が嫌悪する【和音】が、私の目に飛び込んで来ました。
前回のブログ投稿を追加補足すると、小学二年生(1961年)の私が通っていた横浜市立桜台小学校は、創設55年の若い小学校(学区を分割して誕生)でした。そして、その敷地と校舎の一部(音楽室)や講堂体育館は、別の移転した横浜桜丘高校(戦前は高等女子校だった)の施設を再利用していました。だから、小学校と言えども音楽室があり立派なピアノも完備し、壁には音楽家(バッハ・へンデル等)のかつらを被った肖像が飾られていました。しかし、私には、その肖像がとても不気味(当時、私は西洋音楽史を全く知らなかった)に見えたです。
このような小学校らしからぬ音楽の教育鑑賞が、音楽担当専門教諭の導入(注:しかし結果として、この若い女性教諭は1年で他校へ転勤したが)に繋がったかもしれないです。そして、音楽授業にとても熱心だったこの女性教諭は、ひょっとしたら前身の高等女子校最後の卒業生だったかもしれないと、私は今では強く思っています。
この雑誌コラムの著者永野裕之氏は理系の人間ですが、5歳からピアノを始め、プロの指揮者として活躍する音楽家です。このような人であれば、『私たちが音楽を聴いて感動するのは、きちんとした論理的裏づけによるもの。そのメッセージを感じる感性のない数学者や物理学者は、一流の研究者にはなれない。』と主張するのは当然な事です。
しかし、その難解なメッセージ(3種類の和音と進行)を全く理解できない私は、極論すれば、音楽で感動する事も全く許されないと、なってしまうと思っています。
私は、小学校の音楽教育の導入原点は、日本映画『二十四の瞳』(1954年製作公開)の、高峰秀子が教室内で自らオルガンを弾き、12人の児童と一緒に歌う文部省唱歌だと、強く思っています。一般の多くの人は、フィールズ賞やノーベル賞を貰った広中平祐氏やアインシュタイン氏のような音楽愛好趣味に、深化する事など全く考えもしないです。
だから、私はこの永野裕之氏の「音楽的な選民思想」には、強く異議を唱えたいです。何故なら、音楽は、理屈抜きで「音を楽しむ事」と、私は考えているからです。
コメント
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