天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

今年最初シンクロニシティ:橋本五郎著『官房長官と幹事長』で武村正義氏は小沢一郎氏雲隠れを【十八番】と

2019-03-07 13:22:53 | 日記
今日の日記は、今年最初のいつも『シンクロニシティ』現象が起きて、昨日私が言及した言葉【18番・おはこ】が、今札幌別宅で読んでいる橋本五郎著『官房長官と幹事長』(2018年12月・青春出版社刊)に登場した事です。添付した写真は、その著書の表紙です。
この著書は、読売新聞特別編集委員である橋本五郎氏が歴代政権を支えた官房長官と幹事長の仕事ぶりを論評した政治関連書です。その著書の中で、細川連立内閣で官房長官を務めた武村正義氏が、自著「聞き書 武村正義回顧録:武村正義述・御厨貴、牧原出編(2011年・岩波書店刊)」で、政権与党の一員だった小沢一郎氏への「嘆き」のエピソードを興味深く紹介しています。以下に、その関連記述の一部を引用・掲載します。
『1993年12月16日、小沢が突然、首相公邸にやってきた。「武村官房長官のクビを切れ。そうでなければもう内閣には協力できん。」と宣言して、バタン!とドアを閉めて帰って行った。そして、その後の10日間ほど、小沢は音信不通になる。武村は、小沢のいういった言動を冷静に批判的に見ていた。武村が官邸に呼ばれて、細川からその話を聞いて、その後、小沢と会って話をしようにも、雲隠れして現れない。武村は「あの人の【十八番(「おはこ」とルビ)】ですね。」と嘆いている。』
今年も私が全く予期出来ない『シンクロニシティ』(意味ある偶然の一致)が起きました。また、武村氏が小沢氏の「十八番」的なその卑しい政治行動を指摘したのは自著出版の2011年初頭(震災前)ですが、その1年後の週刊文春2012年6月14日号でも「小沢一郎は福島原発事故の放射能が怖くて、その当時選挙地や福島から逃げた」でも、その政治姿勢をマスコミから強く糾弾されていました。
だから、武村正義氏の慧眼だったこの言葉【18番・おはこ】が、震災直後の小沢一郎氏の政治姿勢を如実に具現したと、私は、この著書を読んで今強く得心しました。
今年の安倍首相談話「悪夢のような民主党政権」に反発して、その政権の担い手であった小沢一郎氏は自己反省も全く無く「もう一度、悪夢を見てもらう」と強い決意を語っています。私は、このような何も分からない劣悪な政治家は、もう引退退場して欲しいです。
だから、自民党は次期衆議院選挙の岩手選挙区の小沢一郎氏地盤に最強の候補者を擁立して欲しいと、私は強く願っています。
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