天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

1967年中学2年1学期オール5通信票の担任所見”発言力もある”が以後暴走し【長所は短所なり】実感す

2019-03-04 14:01:18 | 日記
今日の日記は、私が中学2年生の1学期(1967年7月)終了時に頂いた【通信票】の学習成績(全ての教科が5評定)と記載された行動所見の事です。添付した写真は、半世紀前以上前の今でも保存しているその成績書類です。
私は、昨日の日記で高校3年生時の成績表(文系・理系問わずオールマイティ?・器用貧乏?)を皆さんに公開しました。そして、成績オールマイティ化のその傾向は、その5年前の公立中学校2年生から始まっていたのです。
当時私が通っていた公立中学校は、1学年は12クラス(1クラス48人程度)のマンモス校でした。学習の成績評価は5段階の相対評価で、最高位の”5”を取るのはクラスの内、必ず3人だけでした。だから、高校での成績絶対評価と違い、クラス間の点数競争が熾烈でした。テストで好成績を取っても同点で3番目の生徒が多数いれば、その内1人しか”5”評価を貰えないのです。ましてや、評定する教科担任先生は、その対象となる生徒の他学科成績を忖度(優秀な生徒を優遇)出来ないので、あまり情実が入り込む余地がないです。
さらに、音楽・美術・保健体育・技術家庭科の4教科は、ペーパーテストだけでなく実技試験も有り、ただ勉強すれば好成績を取れる訳ではないのです。
そのような困難な環境でも、私は2年生1学期だけですが、9教科評定を全て”5”になりました。終業式で、クラス担任の先生(自身の教科指導は英語)が生徒に通信票を渡す際、”オール5を取った人が、一人います。私の長い教員生活で初めての体験です。”と、クラス皆の前で告知されました。でも、私自身は、その該当者の自信はあまりなかったですが、私のその時貰った【通信票】が、すべて5になっていました。
だから、私は、隣の机に座って居た女子生徒に、それを見せて、思わずガッツポーズをしました。でも一度パーフェクト(45点満点)を達成すると、それを維持するのは至難の業です。実際、次の2学期から音楽だけは1ランク陥落し”4”(卒業するまで5に復活する事は無かった)に成ってしまいました。
このパーフェクト達成時の「学習、行動、身体等の所見と事実の記録」にクラス担当の先生が記述した”発言力もある。”との指摘は、【的を射る】ものだったと、半世紀以上経った今でも、私は痛感しています。
何故なら、その私の”発言力”がその思慮を忘れて思わず暴走して、”所属組織”の中で強く浮き上がってしまったその後の私の人生があるからです。だから、その時担当の先生が、”その使用法には、深く注意して下さい。”と、私に一言釘を刺してくればと、今自分勝手にぼやいています。
さらに、【長所は短所なり】の格言を、私は今強く実感しています。
コメント
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