天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

逝去高倉健さんが映画『あなたへ』台本に少年写真貼った行為は『負うた子に教えられて浅瀬を渡る』糧の発現

2014-11-26 22:18:38 | 日記
今日の日記は、10日午前3時49分、悪性リンパ腫のため東京都内で逝去した私が大好きだった映画俳優・高倉健さん(83歳)の、私が初めて知った健さんらしい”役者魂の塊”みたいな心温まる感動エピソードのことです。
19日の読売新聞朝刊の訃報記事に、『高倉健さんは東日本大震災への思いも強く、映画「あなたへ」の台本に、震災直後にがれきの中を歩く少年の写真を貼って撮影に臨んでいた。避難先の家族のために井戸水を運んでいた宮城県気仙沼市、中学2年生(14)(当時小学4年)の写真で、所属事務所などによると、高倉さんは写真を見ては”自らを奮い立たせていた”という。』という高倉健さんの知られざるエピソードが掲載されていました。残念ながら、その写真の添付はなくどのような写真か?私にはその時には分かりませんでした。
そして、24日(月)藤沢に帰宅する為新千歳空港のラウンジで出発する飛行機を待つ間、私が見ていたNHKの高倉健さんを偲ぶ再放送番組『プロフェッショナル・仕事の流儀』で、その写真とその少年がテレビに登場していました。その二人が後日再会するシーンを見ていて、私は思わずその時落涙してしまいました。添付した写真は、私がとても感動し、魂を揺さぶられたその報道写真です。
高倉健さんは自らを不器用な役者だと自認していたから、映画撮影の際、その写真を見て、”自らを奮い立たせていた”のでしょう。この思いは、有名な映画スターにみられるような傲慢さでなくとても謙虚な心を持つ高倉健さんらしい行動だと、私は強く得心しました。古来からの日本にあることわざ、『負うた子に教えられて浅瀬を渡る』(熟練した者であっても、時には自分より経験の浅い者や年下の者に、物事を教わることもある)を、高倉健さんは自らの立派な成年男子の体面や面子など全く考えず、自ら感動した事を糧にして、映画製作に自ら臨んでいたのでしょう。
このような高倉健さんの年少者への優しい気持ちは、映画『八甲田山』(1977製作)での、原作にない道案内をしてくれた村娘(秋吉久美子)に感謝の意(別れの際、最敬礼を行う)や『遥かなる山の呼び声』(1980年製作)での北海道牧場を営む未亡人の一人息子(吉岡秀隆)との暖かい交流にもはっきりと伺えます。
高倉健さんは千日回峰を満願達成した天台宗大阿闍梨・酒井雄哉氏から贈られた座右の銘『往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし』を”遺言”として、私たちに残してくれましたが、私にはまだ終わっていなくて、206本目の映画製作にさらに精進して欲しかったです。健さんは役者魂の源である強健な身体になる為、十分健康に留意していながら、突然襲ってきた病魔に負けてしまいました。私は今、天にいるであろう映画の神様を強く恨んでいます。
しかし、高倉健さんはその病魔も天命と悟り、自ら”悔いなし”と言葉を残されています。だから、高倉健さんの偉大な業績を偲んで、その御冥福を祈ることが健さんへの感謝と、私は今納得させています。高倉健さん!数々の素晴らしい映画の残してくれてありがとうございました!。天国で、同じ日に逝去した森繁久彌さんと森光子さんと役者談義で花を咲かせてください。
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