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今日の日記は、オードリー・ヘップバーンが映画『戦争と平和』の前年1954年に主演したアメリカ映画『麗しのサブリナ』(ビリー・ワイルダー製作・監督・脚色 ハンフリー・ボガート ウィリアム・ホールデン共演)のことです。添付した写真は、その映画でとても魅力的だったオードリー・ヘップバーンです。
オードリー・ヘップバーンは、1953年の初主演の映画『ローマの休日』での大成功を遂げ、ある授賞式で『私がこの映画にふさわしい女優かどうかは、次の大きな役で証明されるでしょう』と語っています。そして、その次の大きな役は、この映画『麗しのサブリナ』での富豪ララビー家(長男はハンフリー・ボガートで次男はウィリアム・ホールデン)のお抱え運転手の娘・サブリナ役で、名匠ビリー・ワイルダーが監督脚色したロマンチックコメディでした。この名作恋愛映画を今、私は久しぶりにお茶の間DVDビデオ鑑賞しています。
新人女優の共演者に、大物スター二人がキャスティングされたことは、オードリー・ヘップバーンが如何に有望な新進女優であるかを映画界が認めたことになります。彼女はその期待に見事に応えてとても生き生きと魅力的な女性を演じています。オードリーは、『サブリナは、おとぎ話を生きる夢見る娘で、ロマンチックでしょう、どうしようもないほど。私がそうなんです。』とも語っています。彼女は、このサブリナ役が自分にぴったりと感じていたのです。だから、映画での彼女の溌剌とした姿は、まったく当然なことかもしれません。
そして、彼女を熱心に演技指導した名匠ビリー・ワイルダーは『この女性は、たった一人で、豊かなバストを過去のものにするだろう!』と見事な予言をしています。彼女の魅力は、マリリン・モンローのような男性の為のセックス・シンボルではなく、妖精のような可憐なエレガントさにあったのです。この可憐なエレガントさは、特に日本では、同性の若い女性たち映画ファンの絶大な支持を得ていました。だから、1950年代後半から60年代までの映画雑誌『映画の友』『スクリーン』等の外国人気女優ベストテン第一位は、いつもオードリー・ヘップバーンでした。そして、私の大好きだったソフィア・ローレンは、残念ながらいつも5~8位ぐらいの低いランクでした。当時は、その反発から私はオードリー・ヘップバーンをあまり好きではなかったです。でも、今久しぶりに再び映画鑑賞してみて、彼女だけが持つ独特な魅力に、私はやっと気が付きました。
オードリー・ヘップバーンは、1953年の初主演の映画『ローマの休日』での大成功を遂げ、ある授賞式で『私がこの映画にふさわしい女優かどうかは、次の大きな役で証明されるでしょう』と語っています。そして、その次の大きな役は、この映画『麗しのサブリナ』での富豪ララビー家(長男はハンフリー・ボガートで次男はウィリアム・ホールデン)のお抱え運転手の娘・サブリナ役で、名匠ビリー・ワイルダーが監督脚色したロマンチックコメディでした。この名作恋愛映画を今、私は久しぶりにお茶の間DVDビデオ鑑賞しています。
新人女優の共演者に、大物スター二人がキャスティングされたことは、オードリー・ヘップバーンが如何に有望な新進女優であるかを映画界が認めたことになります。彼女はその期待に見事に応えてとても生き生きと魅力的な女性を演じています。オードリーは、『サブリナは、おとぎ話を生きる夢見る娘で、ロマンチックでしょう、どうしようもないほど。私がそうなんです。』とも語っています。彼女は、このサブリナ役が自分にぴったりと感じていたのです。だから、映画での彼女の溌剌とした姿は、まったく当然なことかもしれません。
そして、彼女を熱心に演技指導した名匠ビリー・ワイルダーは『この女性は、たった一人で、豊かなバストを過去のものにするだろう!』と見事な予言をしています。彼女の魅力は、マリリン・モンローのような男性の為のセックス・シンボルではなく、妖精のような可憐なエレガントさにあったのです。この可憐なエレガントさは、特に日本では、同性の若い女性たち映画ファンの絶大な支持を得ていました。だから、1950年代後半から60年代までの映画雑誌『映画の友』『スクリーン』等の外国人気女優ベストテン第一位は、いつもオードリー・ヘップバーンでした。そして、私の大好きだったソフィア・ローレンは、残念ながらいつも5~8位ぐらいの低いランクでした。当時は、その反発から私はオードリー・ヘップバーンをあまり好きではなかったです。でも、今久しぶりに再び映画鑑賞してみて、彼女だけが持つ独特な魅力に、私はやっと気が付きました。