天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

グランドキャバレー「ミカド」札幌店は贅沢で豊穣なものを愛でる余裕ある男性的嗜好を満足させ私は常連客に

2010-08-18 22:25:13 | 日記
今日の日記は、1981年札幌市内で仕事をしていた私が通ったグランドキャバレー「ミカド」札幌店のことです。
今から29年前も昔、私は北海道各地で仕事をしていました。その年の初め、厳寒の十勝・士幌町から札幌市内の仕事に、私は転勤になりました。北海道の地方都市ばかり転々と移動していた私には、その札幌辞令がとても嬉しかったです。札幌は、北海道の中で最も内地を感じさせるとても魅力的な大都会だったからです。
そして、当時気ままな独身だった私は、毎日の仕事が終わったたら、まっすぐ会社の独身寮に帰らず、繁華街の”すすきの”に会社同僚の人たちと足繁く通ったものでした。その通った”良所”のひとつが、今年の6月29年ぶりに再訪した、キリンビール園に変身したグランドキャバレー「ミカド」札幌店(添付した写真は、当時の豪華さを偲ばせるホールへ登って行くエスカレター)でした。
若い方は、キャバクラは知っていても、このグランドキャバレーを、まったく御存知ないと思います。だから、私がその説明を以下にします。
グランドキャバレーとは、生バンドが入って演奏するステージがあり、何十組もの客とホステス嬢が踊れるダンスホールのスペースがある、酒や食事をホステス嬢が提供する大きな接客場のことです。昔の日活映画『夜霧よ今夜も有難う』(1967年製作)で、石原裕次郎がミラーボールが輝くダンスホールで浅丘ルリ子とダンスした場所が、このグランドキャバレーです。このように、グランドキャバレーは、戦後のある時期(1980年前半)まで、大人の社交場となって、各地の繁華街中心地(注:私が仕事で居た1980年の北海道の北見市にも有り)にありました。
札幌にあったこのグランドキャバレー「ミカド」は1974年に東京資本で札幌店として開店しました。でも、私が通った1981年頃には、そのゴージャスな大規模運営方式が仇になって、経営が思わしくなりかけていました。そして、翌年の春にはとうとう閉店してしまいました。
このグランドキャバレーが抱える専属のダンサーやバンドといった“とても贅沢で豊穣なもの”を愛でる余裕の男性的な嗜好が、一般大衆にまったく無くなってしまったからでした。
だから、ムダなものを完全に省いたお手軽な「キャバクラ」が、それ以降このお水の世界では、隆盛を極めます。でも、私には“とても贅沢で豊穣なもの”を愛でる余裕のある男性的な嗜好がとても魅力的で、この雰囲気が、私を満ち足りた気分にさせてくれました。だから、1982年6月、私が本社東京に転勤し、店が閉まるまで、私はこの店の常連客になりました。
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