天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

1981年気まま独身の私は給料を夜の街に注ぎ込むが、札幌は何も深刻にならずとても良い大らかな愉しい街

2010-08-19 00:30:59 | 日記
今日の続編日記は、1981年札幌市内で仕事をしていた私が通ったグランドキャバレー「ミカド」札幌店(添付した写真は現在のキリンビール園の外景、外装は昔のまま)のこと・その2です。
この「ミカド」札幌店に、私が初めて訪れたのは、会社の関連業者の接待でした。当時は、この大人の社交場は、お互い商売の接待の場でもありました。だから、ステージ近くの良いテーブル席は、どこかの企業が接待用に常時おさえていたのか?予約席になってほとんど空席になってました。
その時、私たちが接待された丸テーブルは、ステージ舞台から3列目あたりで、階段を上がって並んでいる角テーブル席よりも、ダンスホールに近くとても良い位置(注:昨日の日記写真を参照)でした。だから、ホステス嬢とすぐに踊りに出られる場所でもありました。
その後自腹で来るようになってからは、私はその高いテーブルチャージ料を考えて、より後方の席を選ぶようになりました。それでも、集客効果を狙ったのか?店で使えるさまざまなクーポン券を、お店は常連客に配っていました。接待女性の指名料無料券やソフトドリンク一杯無料券、テーブルチャージ半額券などです。そのクーポン券一冊を有効期間中に使い切る為、私は再び「ミカド」札幌店を訪れる”良循環”を繰り返しました。
そして、馴染みになったホステス女性に頼まれて”同伴出勤”までしました。やはり入店前の夕食に、「定番の寿司屋」に連れていかれました。でも、有名な芸能人(主に演歌歌手)特別公演の時は、その実演ショーの座席予約の窓口になっているのは、ホステス嬢である彼女たちです。言い換えれば、彼女たちに逆の接待サービスしておかないと、その座席を確保できず、実演ショーを私は鑑賞できなくなります。だから、せっせと私は彼女にサービスをしました。
当時気ままな独身だった私は、このようにほとんどの給料を、このような”良所・すすきの”に注ぎ込んでいました。それでも、完全に使い切ることはなく、ある程度まとまった金は手元に残りました。その残金を私は即、貯金に廻しました。だから、1981年当時の札幌は、私にとって何も深刻になるようなこともなく、とても良い大らかな愉しい街でした。
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