天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

『私たちの世界がキリスト教になったとき』コンスタンティヌス帝はストリップ存続し風俗をキリスト教化せず

2013-02-04 22:11:31 | 日記
今日の日記は、今読んでいるポール・ヴェーヌ著『「私たちの世界」がキリスト教になったとき コンスタンティヌスという男』(西永良成・渡名喜庸哲/訳 2010年岩波書店刊)に書かれた”ストリップ”のことです。添付した写真は、その表紙です。
私は、キリスト教を公認した古代ローマ皇帝・コンスタンティヌス(272年~337年:イタリア・ロ-マから植民都市ビュザンティオン<後のコンスタンティノポリス、現在のイスタンブール>に首都を遷した皇帝)が何故、当時異端とされたキリスト教に改宗したのか?とても興味を抱き、この著書を購入し今自宅で読んでいます。
そして、この著書を読んでいて、とても印象深い記述を見つけて、私は今驚いています。以下に、その一部の記述を引用・掲載します。
『コンスタンティヌスは<教会>を<帝国>内に「設置」し、<帝国>が内包していたもののすべてに<教会>をつけくわえたのだが、信仰を別にすれば、彼はまさしくローマの国家元首としてとどまった。・・彼は見世物を廃止することは差しひかえ、彼に倣った後継者たちも明白な法律によって、円形競技場の競技、演劇、”ストリップ”、闘技場での狩り、さらに剣闘士さえも存続させることになる。527年から548年まで統治することになるのちの女帝テオドラが、最初は踊り子であり、舞台上でレダと白鳥との肉体的交わりを望ましいリアリズムでもって演じていたのは象徴的な出来事である。このように、風俗はいささかもキリスト教化しなかったのである。』
著者が言及した女帝テオドラは、後の東ローマ帝国の皇帝ユスティニアヌス1世の皇后です。私も2011年9月18日付日記『「ローマ人の物語〈XV)ローマ世界の終焉」逃げるユスティニアヌス皇帝を叱る皇后テオドラはアマゾン末裔』で、彼女を詳しく紹介しています。だから、私は、この著書にとても親近感を持ちました。
さらに、このように、初期ローマ帝国ではキリスト教を公認しても、民衆の風俗までは、キリスト教化させない柔軟性ある社会であったことに強く共感しています。
しかし、現在の日本では、ローマ帝国では公認されていた”ストリップ”が、全く違法な存在であり、官憲により蹂躙されてしまう弱き日陰の見世物・芸能となってしまいました。
とても哀しい社会です。
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