今日の日記は、今私が読んでいるエッセイ集『対話 山田洋次 2映画は面白いか』(1999年旬報社刊)での山田洋次と黒澤明・井上ひさしの鼎談のことです。添付した写真は、その著書の挿絵的に掲載された映画『七人の侍』で走る勘兵衛(志村喬)です。
この著書の2章「七人の侍」ふたたび(『文藝春秋』1991年12月号初出稿)で、山田洋次・黒澤明監督と作家・井上ひさしがお互いに含蓄ある鼎談をしています。以下に、私が強く印象に残った三人の言葉を、引用し一部掲載します。
・山田『あの話は本当ですか。「七人の侍」の前の作品の「生きる」でスタッフはすごく苦労して、もう黒澤組は懲りたと思っていたら、黒澤さんが「今度は楽しいのをやるよ、西部劇みたいな痛快大娯楽映画だから簡単だ」とおっしゃた。』
・黒澤『いや、簡単だとはいわなかったね。』
・山田『「生きる」のような、主人公がガンで死ぬなんて陰気な話じゃない、今度は痛快なんだといわれて、よーし、それならラクそうだと思って、みんな摑まっちゃった(笑)。』
・黒澤『そんなような気持ちで始めたのは事実ですよね。ところがやり始めてみるとやっぱりラクじゃなかった(笑)。あれはね、西部劇と違ってどこが大変かというと、<きめ>が細かいんですよ。たとえば野武士の数が33人いるでしょう。その一人一人を殺していくんですが、それをちゃんと人数分やらなきゃいけないわけ。』
・山田『勘兵衛(志村喬)が、地図の上に33のマルを書いて、倒した分だけバツ印をつけていく、あれですね。』
・黒澤『ええ。その<きめ>が細かくて、西部劇みたいに大ざっぱにはいかないんですよね。』
井上『つまり大きなところはすごく単純なんです。でも細かいところが豊富なんですよね。これは大切なことだと思います。大きなところが複雑で、細かいところが貧弱ではただのメッセージ映画ですし、お客さんが離れていきますものね。だから、単純さのなかの豊富さというのは、また一つの僕らの体験だったと思うんです。』
・黒澤『全体の構成は、すごい線の太いのでぐっと作っておいてね。それじゃなきゃ細かいところに力を入れられないでしょう。ディテールだけにあまり力を入れると、全体がひん曲がってくるんですよ。』
・山田『幹がしっかりしていれば、枝葉を相当伸ばしても大丈夫なはずなんです。』
さすがに、鼎談している三人は、映画の本質をよく理解しています。リメイク版『十三人の刺客』を作った三池崇史監督には、この三人の会談を読んでから、私は自身の映画製作を開始してほしかったです。読んでいれば、安易に明石藩の警護武士を200人に水増ししなかったと私は思っています。
「『七人の侍』を30回見た、でもあと20回は見て死にたい(1991年時点)」とこの著書で語っている井上ひさしが、この映画を熟知しているは当然ですが、山田洋次監督までもこの映画の一シーンを即座に詳しく黒澤明監督に答えています。
このエッセイ2章を読んで、やはり、映画人や文化人にとって、映画『七人の侍』は「永遠のバイブル」であると、私は得心しました。
この著書の2章「七人の侍」ふたたび(『文藝春秋』1991年12月号初出稿)で、山田洋次・黒澤明監督と作家・井上ひさしがお互いに含蓄ある鼎談をしています。以下に、私が強く印象に残った三人の言葉を、引用し一部掲載します。
・山田『あの話は本当ですか。「七人の侍」の前の作品の「生きる」でスタッフはすごく苦労して、もう黒澤組は懲りたと思っていたら、黒澤さんが「今度は楽しいのをやるよ、西部劇みたいな痛快大娯楽映画だから簡単だ」とおっしゃた。』
・黒澤『いや、簡単だとはいわなかったね。』
・山田『「生きる」のような、主人公がガンで死ぬなんて陰気な話じゃない、今度は痛快なんだといわれて、よーし、それならラクそうだと思って、みんな摑まっちゃった(笑)。』
・黒澤『そんなような気持ちで始めたのは事実ですよね。ところがやり始めてみるとやっぱりラクじゃなかった(笑)。あれはね、西部劇と違ってどこが大変かというと、<きめ>が細かいんですよ。たとえば野武士の数が33人いるでしょう。その一人一人を殺していくんですが、それをちゃんと人数分やらなきゃいけないわけ。』
・山田『勘兵衛(志村喬)が、地図の上に33のマルを書いて、倒した分だけバツ印をつけていく、あれですね。』
・黒澤『ええ。その<きめ>が細かくて、西部劇みたいに大ざっぱにはいかないんですよね。』
井上『つまり大きなところはすごく単純なんです。でも細かいところが豊富なんですよね。これは大切なことだと思います。大きなところが複雑で、細かいところが貧弱ではただのメッセージ映画ですし、お客さんが離れていきますものね。だから、単純さのなかの豊富さというのは、また一つの僕らの体験だったと思うんです。』
・黒澤『全体の構成は、すごい線の太いのでぐっと作っておいてね。それじゃなきゃ細かいところに力を入れられないでしょう。ディテールだけにあまり力を入れると、全体がひん曲がってくるんですよ。』
・山田『幹がしっかりしていれば、枝葉を相当伸ばしても大丈夫なはずなんです。』
さすがに、鼎談している三人は、映画の本質をよく理解しています。リメイク版『十三人の刺客』を作った三池崇史監督には、この三人の会談を読んでから、私は自身の映画製作を開始してほしかったです。読んでいれば、安易に明石藩の警護武士を200人に水増ししなかったと私は思っています。
「『七人の侍』を30回見た、でもあと20回は見て死にたい(1991年時点)」とこの著書で語っている井上ひさしが、この映画を熟知しているは当然ですが、山田洋次監督までもこの映画の一シーンを即座に詳しく黒澤明監督に答えています。
このエッセイ2章を読んで、やはり、映画人や文化人にとって、映画『七人の侍』は「永遠のバイブル」であると、私は得心しました。