天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

「別れても好きな人」歌手シルヴィアさんの訃報に私は第30回さっぽろホワイトイルミネーション訪問を決意

2010-11-30 22:29:45 | 日記
今日の日記は、今月26日に始まった「第30回さっぽろホワイトイルミネーション」のことです。添付した写真は、点灯されライトアップしたテレビ塔前の大通公園です。
私は、去年11月28日に訪れた札幌のホワイトイルミネーションは、今年はもう見ないつもりでした。何故なら、去年11月18日付の日記『微かな「希望」の灯火、演技者女性を助ける大きな灯火の渦がさっぽろホワイトイルミネーションにまで昇華』で言及した私が以前応援していた劇場演技者女性の本心が、やっと馬鹿な私にも判ったからです。私が「微かな『希望』の灯火」思っていた劇場演技者女性は、自身ブログの閲覧が過去に応援したある一人の客だけが制限されていることに、何も抵抗感を持っていません。逆に、私はこの女性が所属する劇場社会の悪行を糾し直そうと孤軍奮闘していると、間違った思い込みをしていました。やっと私は自分の過ちに気が付きました。
だから、この微かな『希望』の灯火が、さっぽろホワイトイルミネーションに昇華したと思っている私は、もう辛く悲しくて、このイルミネーションを札幌でまったく見る気にもならなかったです。
しかし、28日のニュースで、歌手シルヴィアさん(享年52歳)が28日午後1時3分、肺がんのため都内の病院で死去されたことを知りました。シルヴィアさんの余りに若い死に、私は深く悼みとても悲しくなりました。また、この悲しい訃報に接して、私は何かとても因縁めいた思いを持ちました。
何故なら、シルヴィアさんは、私が若い頃いた札幌の「夜の思い出」にとても深く関係した人なのです。「ロス・インディオス&シルヴィア」でボーカルデビューした1979年から、札幌すすきののクラブで、彼女のヒット曲「別れても好きな人」を、私はよくホステスさんとデュエットさせてもらいました。その当時の私の楽しい思い出には、必ず彼女のヒット曲がありました。さっぽろホワイトイルミネーションが始まった1981年にも、私は札幌にいました。そして、その年の暮れも、私はやはり彼女のデュエット曲「別れても好きな人」を夜のすすきので歌っていました。さらに、その曲の題名「別れても好きな人」が現在の私の偽らざる気持ちを表していると私自身が思ったからです。
そして、彼女が天国から私に『「別れても好きな人」をもう一度札幌で歌いなさい』と示唆しているようだと私は今思っています。だから、私はある決意をしました。今年の暮れも札幌を訪れ、さっぽろホワイトイルミネーションを見ることにしました。それが、よき名曲で私の「思い出作り」をしてくれたシルヴィアさんへの「私なりの恩返し」になると思ったからです。私は慎んで、シルヴィアさんの御冥福をお祈りします。そして、よい歌をありがとうございました。
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