天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

『東久邇宮の太平洋戦争と戦後』三笠宮様が直宮以外皇族皇籍降下に皇統確保上安全でない語るは私には慧眼と

2021-09-23 09:31:30 | 日記
今日の日記は、昨日の続編で、終戦時の昭和天皇と皇族たちの動向の事です。伊藤之雄著『東久邇宮の太平洋戦争と戦後』より、皇族の直宮(昭和天皇の兄弟)以外の皇族の臣籍降下までの流れの一部を、以下に引用・掲載します。
『1945年8月12日午後3時、陛下のお召しで御文庫に集まった皇族と王公族は、高松宮・三笠宮の二人の直宮、賀陽宮・同若宮、久邇宮、梨本宮、朝香宮、竹田宮、閑院宮、李王、李公(二人は旧韓国の王族で、韓国併合後は王公族となる)と東久邇宮・盛厚王の十三人であった。天皇は今日の状況を話し、先日の御前会議で最後の決心をした理由を説明した。梨本宮が最年長の皇族として一同を代表し、私共一同一致協力して「聖旨」を支えさせていただく、と誓った。11月16日、三笠宮が1時間ほど東久邇宮と面談して、「天皇の兄弟だけが皇族として残ることは、将来「皇統を確保」していく上で安全ではなく、このためにはなお多くの皇族が必要だ。」と主張した。1946年11月3日に日本国憲法が公布された後、秩父宮・高松宮・三笠宮の三直宮家を除き、東久邇宮家も含めた一一宮家の皇族が臣籍降下して、一般の人になることになった。そして、1947年10月14日を期して、一一宮家五一人は、一国民になることを、片山内閣の皇室会議で決定した。一時賜金の総額は、四七四七万五千円(インフレが激しく現代と比較は困難だが、おおむね現在の七一億円)である。各宮家への配分の基準は、当主の王一人につき二一〇万円、その他の王一四四万九千円、親王妃一五〇万円、内親王一五〇万円、王妃一〇五万円、女王七四万九千円と設定された。』
このように、終戦時の昭和天皇は、自ら終戦の「御聖断の聖旨」を皇族方に直接語り、その協力を求めました。一部軍人が宮家を担いで軍事クーデターを企てる事を、未然に防いだのです。さらに、韓国の王族も特別視・排除せず、全く同様に扱っています。
また、終戦の翌年には、GHQの圧力で直宮以外の皇族臣籍降下が実現化する気配に、三笠宮様は「皇統の確保」に強く危惧されていました。このような現在の皇室の状況を75年前に、宮様は既に予言されていたのです。だから、歴史を正しく見る三笠宮様の慧眼には、とても素晴らしいものがあります。
当時の賜金の女王749千円は、現在の金額では112,000千円程度になると思われます。眞子様の一時金1.5億円(注:御本人は受け取らないと報道有)は、多少多い感じが私はします。
そして、もう眞子様と小室圭氏との結婚は、誰も止める事は出来ないみたいです。だから、宮内庁は、有識者会議で話題になっている今後の旧宮家の皇族復帰(養子縁組等)には、今回の悪しき教訓を生かして、その候補者の選別適正化を厳密に対処してほしいです。
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