今日の続々編日記は、映画『フレンチ・カンカン』(1954年フランス製作 ジャン・ルノワール監督 ジャン・ギャバン フランソワーズ・アルヌール主演)のことです。添付した写真は、とても魅力的なフランソワーズ・アルヌールがベットで物思いに耽るシーンです。
ジャン・ギャバンと初共演したフランソワーズ・アルヌールは、自著『フランソワーズ・アルヌール自伝 映画が神話だった時代』(石木まゆみ訳 2000年カタログハウス刊)で彼のことを次のように語っています。
『私は最初のうち、相手役として力量不足だとギャバンに思われるのではないかと、不安でたまらなかった。けれど、彼を、優しく守ってくれ、とてもかわいがってくれていた。私は、大船に乗った気持ちになった。彼はおそらく、私が心をひかれていたことにもーいや、はっきり言ってしまうと、少し”恋して”いたことも気づいていたはずだ。・・彼とはその後「ヘッドライト」でもラブシーンを演じた。でも、監督のアンリ・ヴェルヌイユにシナリオを変えてくれと頼んだ。ギャバンはさすがにもう、私とわらの中で転げ回るほど若くはないと感じていたからだ。』
この彼女の記述では、映画『ヘッドライト』の製作が、映画『フレンチ・カンカン』から大分経ってから印象を受けますが、正確には翌年に製作されています。『フレンチ・カンカン』が製作された時、1904年生まれのジャン・ギャバンは50歳で、1931年生まれのフランソワーズ・アルヌールは23歳です。
二人の歳の差は、親子ほどの27歳です。だから、翌年51歳になったジャン・ギャバンを、フランソワーズ・アルヌールがもう若くはないと思っても当然かも知れません。さらに、ジャン・ギャバンは老け顔だから、印象は実年齢より年寄りに見えます。
でも、私は1960年以降の貫禄充分になったジャン・ギャバンがとても大好きです。男の価値は、単なる若さだけの美男子的な魅力でなく、人生を積み重ねた年齢から湧き出す風格がより重要だと、当時若造だった私に教えてくれたフランス名優だったからです。
私自身は、ジャン・ギャバンがフランソワーズ・アルヌールからもう若くはないと言われた年齢を6歳も超えています。
久しぶりにこの映画『フレンチ・カンカン』を鑑賞して、私もジャン・ギャバンのような人生の重みを感じさせる「風格ある男」になりたいと思いました。
ジャン・ギャバンと初共演したフランソワーズ・アルヌールは、自著『フランソワーズ・アルヌール自伝 映画が神話だった時代』(石木まゆみ訳 2000年カタログハウス刊)で彼のことを次のように語っています。
『私は最初のうち、相手役として力量不足だとギャバンに思われるのではないかと、不安でたまらなかった。けれど、彼を、優しく守ってくれ、とてもかわいがってくれていた。私は、大船に乗った気持ちになった。彼はおそらく、私が心をひかれていたことにもーいや、はっきり言ってしまうと、少し”恋して”いたことも気づいていたはずだ。・・彼とはその後「ヘッドライト」でもラブシーンを演じた。でも、監督のアンリ・ヴェルヌイユにシナリオを変えてくれと頼んだ。ギャバンはさすがにもう、私とわらの中で転げ回るほど若くはないと感じていたからだ。』
この彼女の記述では、映画『ヘッドライト』の製作が、映画『フレンチ・カンカン』から大分経ってから印象を受けますが、正確には翌年に製作されています。『フレンチ・カンカン』が製作された時、1904年生まれのジャン・ギャバンは50歳で、1931年生まれのフランソワーズ・アルヌールは23歳です。
二人の歳の差は、親子ほどの27歳です。だから、翌年51歳になったジャン・ギャバンを、フランソワーズ・アルヌールがもう若くはないと思っても当然かも知れません。さらに、ジャン・ギャバンは老け顔だから、印象は実年齢より年寄りに見えます。
でも、私は1960年以降の貫禄充分になったジャン・ギャバンがとても大好きです。男の価値は、単なる若さだけの美男子的な魅力でなく、人生を積み重ねた年齢から湧き出す風格がより重要だと、当時若造だった私に教えてくれたフランス名優だったからです。
私自身は、ジャン・ギャバンがフランソワーズ・アルヌールからもう若くはないと言われた年齢を6歳も超えています。
久しぶりにこの映画『フレンチ・カンカン』を鑑賞して、私もジャン・ギャバンのような人生の重みを感じさせる「風格ある男」になりたいと思いました。