天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

河口慧海著『チベット旅行記』戒法守る為殺さるはめでたいと経唱える著者と違いクリスチャン後藤氏覚悟無し

2015-02-06 22:31:00 | 日記
今日の日記は、今自宅で読んでいる河口慧海著『チベット旅行記・上』(講談社学術文庫・2015年1月刊)で書かれている著者自身の並々ならぬ覚悟のことです。添付した写真は、その著書の表紙です。
この著書は、仏典を求めて鎖国状態のチベットに日本人として初入国(1904年)を果たした仏教徒・河口慧海(1866~1945年)の艱難辛苦の旅行記です。この明治時代末期にもこのような己の個人の力(友人の資金カンパ等はあったが)だけで、自らの目的(仏教の源流の経典を求める)の為、秘境の国・チベットに出かけていた黄檗宗の僧侶がいたことに、私は深い感銘を受けました。そして、この異郷の地で遭遇した災い(死への恐怖)にも、確固たる信念や覚悟を持っていた事に、私はこの著者・河口慧海氏に、とても崇高な思いを抱いています。以下に、その私が深く感動した著者の記述の一部を引用・掲載します。
『私は決心した。もしかかる事のために殺されるならば、こりゃ実にめでたい事である。我が戒法を守るということの為に殺されるというのは実にめでたい事である。その進んで来た功を空しくして、ここで殺されるのが恐ろしさにあの魔窟に陥るということは、我が本望でない。快く最後を遂げしめ給わるようにという観念を起して、法華経を一生懸命に読んで居たのです。』
でも、この河口慧海氏の必死な読経に、この企てた殺人者も怯んで、事無きを得ました。このような日本人の必死で崇高な信念は、この河口慧海氏だけでなく、歴史上の有名な人物にも数多くいます。
例として、戦国時代の武将・黒田官兵衛は、織田家に謀反を起こした荒木村重を説得しようと敵地に出かけて行ったが、逆に幽閉されてしまい、投獄生活を1年も強いられています。しかし、黒田官兵衛は荒木村重に、同調・屈服は決してしなかったです。
江戸時代の廻船商人・高田屋嘉兵衛は、蝦夷に来たロシア軍に拿捕されカラフト・シベリアに抑留されてしまいます。しかし、高田屋嘉兵衛も決してロシア人におもねったりせず、日本人の誇りを決して忘れなかった信念の人です。
このような傑出した人物が、昔から多く日本にはいたのです。少なくとも、己自身がその器で無いと判っていても、これらの人物を紹介している著書(司馬遼太郎著「播磨灘物語」「菜の花の沖」・河口慧海著「チベット旅行記」)でその人柄を良く知っていれば、「イスラム」国に殺害された後藤健二氏は、全く違った行動をしたと、私は今確信しています。
後藤健二氏は洗礼を受けたクリスチャンであるとウィキペディアで紹介されていましたから、なおさら、信仰する宗教による強い力(デビ夫人が勧めた「自決」ではなく、映画「無防備都市」で拷問死したレジスタンスリーダーのテロリストらに服従しない強い信念)を発揮できたのでは?と思っています。
もう時間を前に戻すことも起こった事件を一からやり直す事をできないですが、私には、この最終結末(後藤氏が全世界に発した恥さらしのメッセージ)がとても残念な出来事でした。
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