天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

『日本史集中講義/新・井沢式「鎌倉新仏教」編』一遍「みんなで踊ろう」は私の血ルーツで生き方に強く影響

2014-11-30 08:16:14 | 日記
今日の日記は、今読んでいる井沢元彦著『日本史集中講義 新・井沢式「鎌倉新仏教」編』で書かれている私のルーツに強く影響した時宗・一遍上人の教えです。添付した写真は、その著書の表紙です。
この著書の中に、私の母方祖父が住職であった鎌倉時代に起きた新仏教の一つ「時宗」(注:現在も私のいとこがその寺を引き継ぐ)に関するとても興味深い記述がありました。以下に、その著書から一部を引用・掲載します。
『浄土教であれ、浄土宗であれ、浄土真宗であれ、阿弥陀如来を信仰するという点は変わりありません。実はもう一つ、阿弥陀如来を信仰する宗派があります。その宗派とは、今は衰えてしまているのですが、一遍上人が開いた「時宗」です。・・時宗があまり盛んにならなかった理由は、本願寺とよく似ています。一遍上人は一生の間にいろいろな書物を書きました。しかし、「我々は念仏さえすればいいのだから、別に私の本など読む必要はない」と言って、死ぬときに著書を全て燃やしてしまったのです。時宗は、本願寺がまったく振るわなかった時代に、「踊り念仏」というパフォーマンスがあったから、大いに栄えました。・・一遍上人はお札「念仏札」をつくって配っているのですが、「南無阿弥陀仏」という文字と共に「決定往生」と書いてありました。「決定」は当時は「けつじょう」と読んだと思います。・・これは、念仏を称えた者には、阿弥陀如来の本願によって既に極楽往生が決まっているという意味です。そして、それは大変うれしいことだから、みんなで踊ろうよということにしたわけです。その当時の時宗の姿を描いた絵が残っていますが、みんな踊り狂っています。・・「極楽往生が決まっている。よかったね。みんなで踊ろうじゃないか」というパフォーマンスを一遍は行ったわけです。こうして、全然つまらない本願寺から楽しそうな時宗に人が流れたのです。・・これが、宗教のおもしろいところです。』
最近、私の母方叔母の葬儀に出席してみて、いとこの時宗住職もこの著者が指摘の通り「南無阿弥陀仏」は勿論「決定往生」も称えていたのに、今ふと気が付きました。また、私の生き方にも、ルーツ一つである一遍上人の教え「極楽往生が決まっている。よかったね。みんなで踊ろうじゃないか」が強く影響していると得心しました。
何故なら、50歳を過ぎた人生の終着時期に、ストリップ劇場の踊り子さんに夢中(注:現在は某親衛隊らから劇場追放されその活動を休んでいる)になったのも、この一遍上人の教えを受けた楽天志向が強いご先祖様の遺影だったと、確信したからです。さらに、この時宗の本山・遊行寺がある藤沢市に自らの住宅を構えたのも、ご先祖様の導きだったと思っています。
だから、死ぬ時の家人への遺言で、「墓は既にあり葬儀は不要だが、もしするなら、時宗のいとこの住職にお願いしてくれ!」と伝えておこうと今思っています。
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