天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

ドナルド・キーン著『百代の過客<続>日記にみる日本人』英国滞在中夏目漱石の持病憂鬱症が後年傑作を創造

2012-04-25 21:10:22 | 日記
今日の日記は、今読んでいるドナルド・キーン著『百代の過客<続>日記にみる日本人』(金関寿夫訳 講談社学術文庫版・2012年4月刊)のことです。添付した写真は、その著書の表紙です。
私は、イギリス国籍を取得したカズオ・イシグロ氏を紹介していて、たまたま立ち寄った某書店に、今年3月8日に日本国籍を取得したドナルド・キーン氏(1922年6月18日生まれのアメリカ合衆国出身の日本文学研究者、文芸評論家。日本国籍取得後の本名はキーン・ドナルド。雅号は、鬼怒鳴門。)の著作(日本語も流暢であるキーン氏が英文で執筆、それを日本語に翻訳された文芸評論書)が並んでいたのを見つけました。そして、その著書にとても興味が沸きました。だから、その著書を購入して、今自宅で読んでいます。
この著書の内容が分かる紹介文を、以下に引用・掲載します。
『西洋との鮮烈な邂逅で幕を開けた日本の近代。遣欧米使節、諭吉、鴎外、漱石、植木枝盛、子規、啄木、蘆花、荷風―。有名無名の人々が遺した32篇の日記に描かれる、幕末・明治という日本の「若い時代」に現出したさまざまな異文化体験。そこに浮かび上がってくる、日本人の心性と日本人像、そして近代日本の光と陰。日記にみる日本人論・近代篇。』
この数々の日記に関するキーン氏の評論の中で、私が特に印象に残ったのは、夏目漱石が1900年イギリス留学の際、書き綴った「漱石日記」に対する著者の卓見です。以下に、その一部の記述を引用・掲載します。
『明治時代にヨーロッパを訪れた日本人の書いた日記で、森鴎外と夏目漱石(1867~1916)の滞欧日記ほど、互いにかけ離れたものはないだろう。・・そのちがいは、一つには、両者がヨーロッパを訪れた際の、年齢の差に帰することができるだろう。・・それに、時期の問題もあった。鴎外が洋行した明治17年、すなわち1884年は、鹿鳴館時代の最高潮期、西洋から来る知識なら、なんであろうと無条件で受け入れようという傾向が、大変強かった時代であった。ところが、漱石がイギリスへ行った明治33年(1900年)になると、いわゆる日本主義の波が、知識人の世界にも打ち寄せてきて、同時代の日本に関して批判的であった漱石ほどの人間でさえ、その新しい時代精神に、いくぶんかは左右されずにはおれなかったのである。・・最後に、漱石の肉体的な原因もあったのだろうと思われる。・・私の場合、日本にいて、常に幸せだと思っているけれど、漱石の場合、そもそも到着の日から、イギリスを去るその日まで、彼はずっと、このうえなくみじめだったのである。・・憂鬱症のおかげで、漱石はせっかくのイギリス生活が、全く楽しめなかった。しかし私たちは、この憂鬱症がなかったならば、漱石後年の傑作は、あるいは創造できなかったかもしれないことを、忘れてはならないのである。』
この漱石日記論は、日本文学にとても造詣が深い親日家(もうその表現は不適切かも)のドナルド・キーン氏らしい見解です。そして、自分の異文化との体験談と比較しての、漱石の異文化との交流への軋轢には、とても説得力があります。でも、漱石は、カズオ・イシグロ氏のように卓越した英国文学者はなれなかったですが、その屈折した日本人らしい彼の心情が、後年、日本近代文学界の巨頭と言われるような傑作群を多く残したです。
だから、博識な文芸評論家ドナルド・キーン氏が、2008年に日本の文化勲章を受章したのは至極当然なことと、今私は思っています。そして、私は、ドナルド・キーン氏にはいつまでも御健勝で、良き日本文化を全世界に紹介し続けてほしいです。
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