天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

塩野七生著『十字軍物語3』リチャードも「真なる十字架」返還要求忘れて1192年講和に一言も言及されず

2012-04-04 21:02:49 | 日記
今日の日記は、今読んでいる塩野七生著『十字軍物語3』(2011年12月新潮社刊)のことです。添付した写真は、その著書の表紙です。
私は今まで、この十字軍に関して自身の日記で多く話題にしています。2011年4月10日付『塩野七生著「絵で見る十字軍物語」談:聖地解放とは自らも血を流すが敵にも流させる中で進められていくこと』と同年5月4日付『米国のビンラディン遺体水葬処理は十字軍遠征時の回教徒によるエルサレム「真の十字架」滅失と同意図の行動』でイエスが処刑された十字架とされる"真なる十字架"に言及しました。
そして、今読んでいる十字軍シリーズの完結編にも、この"真なる十字架"を、塩野七生氏が興味深く語っています。以下に、その記述の一部を引用・掲載します。
『1192年に結ばれたこの講和では、双方ともが手にしていた捕虜たち全員の釈放も決まった。・・交渉の対象にならなかったことがあった。キリスト教側では「真なる十字架」と呼ばれていた、「ハッティンの戦闘」直後にサラディン側に奪われていた十字架の返還である。・・この「真なる十字架」自体の真偽もはなはだ怪しいのだが、少なくともキリスト教徒の間では、イエスが処刑されたときの十字架、と信じられてきた。・・だが、イスラム教徒のほうは、・・どこにしまったのかわからなくなった、・・また、リチャードもああいう男だ。彼のほうも、返還を要求することさえも忘れた、らしいのである。というわけで、1192年の講和には、「真なる十字架」については一言も言及されなかったのである。』
このリチャードとは、イギリス国王で「獅子心王」の異名をとったリチャード一世のことです。彼は、敬虔なキリスト教徒と言うよりは、勇敢で見事な戦士であった卓越した指導者だから、宗教的な価値しかない「真の十字架」など、まったく眼中になかったのでしょう。
そして、このリチャード一世は、英国でもとても人気のある国王です。彼の騎馬像(19世紀後半にイタリア人彫刻家カルロ・マロケッティが製作)が、旅行で訪れたロンドン・ウェストミンスター議事堂の脇に立っていました。この著書を読みながら、私は楽しかった英国旅行を、今再び思い出しています。

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