インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

東日本大震災 ~情報の信頼性~

2011-03-12 22:35:30 | 映画や小説、テレビなど
  さっき『96時間』という凄まじい父親(ゴルゴ13的)による娘の救出映画(これは娘救出ジャックバウアーの『24 シーズン?』を凌駕するスリルがあった)を観て、再びテレビをつけると、視聴者からのクレームが来たのだろうか、教育テレビで被災者に必要な情報を流している。安否情報の確認である。

 さらに地震津波被害よりも、福島の原発が爆発したようで(メルトダウンか?)、テレビを見ていると頭がおかしくなりそうだ。「(大地震津波で)瀬戸内の島が極限状態に追い込まれる」構想を練っていたところ、リアルに津波が来て、何もかも波にのまれた映像を見させられると、つまらぬことに志を燃やしていた、と思ったりもする。

 ラビバトラの予言とか、マヤの予言とか、2012年の終わりまでに大災害がたて続けに起こるならば、そもそも資本主義というのも津波によって洗い流されていくのではないか。被災者となり、何もかも失ってしまえば、金儲けするのすらバカらしくなってしまうような気もする。(いや、地獄の沙汰も金次第か)

 みんなカネのために働いているのであるが(?)、カネにならないことにも熱中する。自分のエネルギーを発散させるために。

 このインディオ通信は、「作家になろう」ブログでもあり、現にアルファポリスで飾ってあるが(「アルファポリス」で検索も結構ある)、出版化してカネになるとは到底思われない。
 
 書き手の信用度が問題で、それは書き手の知名度であり、大手の版元が出すものに限られて来よう(ネット情報は根本的に怪しいか?)。

 文章を書くということは自己主張であり、押しつけ以外の何ものでもないが、そんな書き手は求められていない。株式会社(○×出版)の利益をもたらすような「作家」、変な言い方をすれば、カネを運んでくるような「小遣い」が欲しいわけである。新人賞とかも、その小僧を1000人ぐらいの中から発見するためのイベントで、実際はネットとかでもいろいろ探しているのだろう。音楽の世界でもそうで、いや、フツーの求人募集の世界でも根本的に同じなのだろう。

 そういった作家は堂々と自己主張できないわけで、まさにテレビ局に出た学者のように、「爆発というところまでは行っていないように思われます」(本音;もうすぐ爆発するので遠くへ逃げるべきだ)ということになるのである。日本中がパニックになり、そのテレビ局も責任を追及されるから利益にならない。変な奴らを登場させて自己主張させず、ハードボイルドに映像を流し続けるのである。

 国民は何を判断に行動してよいのか分からず、ネットに頼り、「ラビバトラの予言」やら「マヤの予言」等々で我が輩のブログにアクセスしてきたりするのである。しかしながらカネにもならないブログの書き手であるからして、価値ある情報は得られないかもしれない。それでも沢山記事を書いたので(これまでに893件! ヤクザか)、一記事ぐらい「おや?」「これは!」と感じるようなものが発見されるに違いない(たぶん)。さすれば、浪費した時間のもとはとれるものと思われる。

 今回の大災害で、金儲けで動かない日本人が増えると思う。もちろん、自分が生きるのが精いっぱいな人も多いが(我が輩もそうだ)、「何とか助けてあげよう」と思うものだ(いかに行動するか…)。

 ついに、偉大なる存在が、試練を与えたのか。

東日本大地震  被災者の生活支援は?

2011-03-12 11:22:17 | 考えるインディオ
  ほぼ全チャンネルで東北地方の地震津波のニュースがやっている。瀬戸内地方では報道でしか知ることができず、九州地方と違い東北地方は行ったことがないので都市名になじみがない。コメどころであり、釣りどころで魚が美味しいとかイメージを持っているが(内陸は温泉とか)。「集落が跡形もなくなった」というニュースをみて、昨年秋の奄美大島の集中豪雨を思い出した(奄美大島に想う)。

 涙にぬれる大勢の被災者は、果たして再びこの地で再起することができるのか。一戸建てに住み、家族で幸せに暮らしていたが、途方に暮れることになる。仮に自分がその立場なら、家族が生きているなら養わなければならないので、かなり重たいものを背負うことになろう。一家離散もありうる。一人ならば、どこか仕事のありそうな地域にレオパレスでも借り(手持ちの金が最低30万程度?必要か)、まったく新しい生活をしてみるだろう(仮にこれを見ていて、瀬戸内地方に来たければ、我が輩が相談に乗ってもいい)。被災地でもかなり大がかりな復興需要はあるだろうけれど、奄美大島同様、地域経済が崩壊しているので、復興後の展望がない。やはり被災者(高齢者を除く)のうち大半は、関東圏に移住するということになるのか。

 それにしてもテレビは同じような映像を朝から晩まで垂れ流しているが、もっと被災者の役に立つような情報を流すとか、日本人はいかに助けるべきか(ボランティアとか)、もっと芸がなければ。これでは日本人の潜在意識が単なるネガディブなものになるような。いや、あーでもない、こーでもないと議論するより、淡々と被災地の映像を流し、各自に判断をゆだねるという手法もあるか(まさに小説のハードボイルドの世界だ)。オピニオンリーダーも「どうしようもない」と匙を投げるほどの凄まじい被害なのか。所詮、人間の力など。

 夢のような映像をテレビで見ているが、実際にその夢の中には人が住んでいて、我々はその中に入ることができる(『インセプション』の世界だ)。悪い夢を見ているようだ、これが本当に現実なのだろうか、と被災者は呟く。カスタネダ的に考えるならば、「集合点が移動した」ことになるのか。「これが世界だ」と思っていたものの意識が壊される。

 大自然の現象が、肉体の中の自然現象と共鳴し、常識やら価値観を一気に押し流す。破壊は、破壊だけでは終わらず、何か新しいものを創り出す。しかしその新しいものは、かつて既にあったものが、再び戻ってきているのかもしれない。

 科学技術的な世界から、呪術的な世界へ。

 造り上げた外形的なものが跡形もなく消えても、人間の内面的なものは消えない。いや、人間が消え去ったとしても、見えない世界で残り続けている。そういえば、昔、『ゴースト ダンス』 死者をよみがえらせる踊りについて触れたようだが、近親者が死ぬと交霊したいと思うものだ。流れるテレビに、「これが関東やら東海など人口密集地で起こったら…」と連想するし、そうなると呪術的な世界、宗教?が流行るのか。

 

大津波の報道

2011-03-11 19:41:41 | 苦しみを分かち合う
今週は田舎に戻らず、レオパで過ごすことにし、テレビをつけると、津波で車や漁船、家までがオモチャのように流されている映像が流れていた。宮城や岩手など、不況で経済環境が悪い中頑張っている人々の、家や車を奪われたことを想像すると、いたたまれない。命だけは無事であっていただきたい。命さえあれば再び再起できるのだから。

 それにしても、九州では霧島の新燃岳が爆発するし、東北は地震や津波が襲うし、自然災害が続けざまに勃発している。ラビバトラについて書いていたころ、易姓革命 天子の交代?とか記事があるが、これは「民主党は終了すべきだ」というメッセージなのか。あまりに景気がかんばしくないので、知人も「管直人も口ばかりだ」と責任を追及している(年商8億の商売をしていたと豪語するが、今は…)。

 たまたま偶然なのか。驚くべき映像が流れている。宮城・名取川付近の津波を見ると、人間がせっせと作り上げ建造物を一気に洗い流しているようだ。クジラが小魚を食べるように、巨大な力が小さな命を飲み込んでいるようにも思える。やはり如何に人間が科学技術を進歩させようと、大自然の前にはちっぽけな存在にすぎないのだ。

 今回の津波は、我々日本人の潜在意識にしっかりと刻み込まれ、何かを変えるのかもしれない。

 山が噴火し、大地が揺れ、津波が押し寄せる。「降ればどしゃ降り」というが、一気に襲ってくるのか。

インセプション

2011-03-11 06:47:47 | 映画や小説、テレビなど
 有名俳優(キアヌリーブス、デカプリオ、渡辺謙など)が出てくる映画で、夢の中の夢とか、夢の中の夢の中の夢とか、何がなんだかよくわからない、奥が深そうな映画であった。要は、ターゲット(大企業の息子)の潜在意識を変え、現実を変えさせる、というものである。

 夢の中にもルールがあり、現実の一分は、夢の中では一時間くらい?長く、さらに夢の夢ではもっと長くなる。夢の中で死んだら現実に戻るが、薬とか飲んだりした?夢の中では「虚無」に陥る。ターゲットを連れ込む夢を創作できる。

 夢を共有し、「他人の夢の中に入る」わけであるが、これは何かカスタネダの夢見の世界を髣髴させ、たぶん、実際、この映画はそこからヒントを得て創作されたのではないか?? 

 映画について書いた手帳を見るに何か仙人?のような男が登場し、「彼らは目覚めに来ている。彼らにとっては夢こそが現実である」というフレーズがある。人間は意識の生き物であるから、夢こそが純粋に意識であり、リアルである。

 目の前の現実は、確実に自分自身の潜在意識が作り出しているわけで、それ以外の何ものでもない。ということは、潜在意識を変えれば、現実が変わるわけであるが、映画にあるように、潜在意識を守ろうとするような勢力が、自分の中に、深く、強力に根付いている。

 現実の戦いは、潜在意識の戦い、であり、われわれ人間は、実際に夢の中でドンパチをやっているのかもしれない。そして大概、潜在意識は守られ、それが無意識に出て、目の前の現実が現れるわけか。

 カスタネダの呪術の実践は、その潜在意識を変えようとする試みなのかもしれない。

 

巣立ち

2011-03-09 06:53:57 | 考えるインディオ
  三月も半ばになろうとしているのに、何か寒い(今7.6度)。三月といえば、卒業シーズンであり、巣立ちの季節である。

 ふつうは成長し、巣立っていくわけであるが、未だに親元で暮らしている者も多い。実家が大都会にあれば、近辺の会社や学校に行けば、そのまま通えるので、そっちの方が合理的なのかもしれないし、確実にそちらの方が現金が残る。しかしそれでも親の介入を嫌ったり、独立を志して出ていくケースも多いし、そもそも我が輩のように実家が田舎であると必然的に出ていかざるを得ない。

 だから家賃を払う生活スタイルは当然なのだが、未だに30代独身で親とべったりで暮らしている人もみかける。いろんなタイプがいるが、中には人生観まで甘くて、全部親に洗濯やご飯を作ってもらうわけで、何かしら巣の中に大きなイヌワシがどっかりと腰を据えているのを髣髴させられる。

 もっとも自分とて、週末戻れば世話になるから、同じなのかもしれぬが、頻繁に戻ると親が妙に帰省するのを期待しているために、「まあ、死んだら会えなくなるから戻るか」という面はある。レオパは狭いし、山奥の空気をのびのびと吸い、別の時空に浸りたいという面も大きいが。実家というのは、居心地がいい面もある。

 親離れはできていても、子離れが出来ていないケースも多いではないか。親の立場からしても、せっせと愛情を込めて育てたが巣立っていくのは寂しいに違いない。ずっと巣にいてもいいという親も結構多いのかもしれないが、親はたいてい先に死ぬし、世の中の厳しさを知るためにも巣立たなければならないのだろう

 ただ巣立ちにはちょっと厳しい経済環境かも(親はの将来が心配です)
 

『クロッシング』 ~警官三人のドラマ~

2011-03-07 06:53:20 | 映画や小説、テレビなど
 この週末は読書やら映画鑑賞やら、そしてリアルな夢を見たりした。読書は『時空のサーファー』(ホゼ・アグエイアス)で、これはマヤの予言する2012年に起こること、について小説形式?で書かれてある。また取り上げたい(読書中)。映画は二本観て、そのうちの『インセプション』は夢がテーマで、これは深すぎて一度ではよくわからない。また取り上げるとして、今回はもう一作の『クロッシング』、某ブログでも取り上げられてあった最新レンタル作についてである。

 この映画は三人の警察官が主人公として登場する。種明かしをするに、三人の視点は、家族を持ち安月給に苦しむサル、大物売人と長いことム所で暮らした潜入捜査官クラレンス(裏の名前はタンゴ)、そしてあと7日で定年退職する孤独な警官デューガンである。

 まったく重苦しい男どものドラマで、「年棒2万ドルで家族が養えるか!」「子供のいないお前に何がわかる!」とサルはカネのために犯罪を重ねていく。一方のデューガン(リチャード・ギア)は退職間際に新人の教育係を任され、「警官の手では何ともすることができない現実を知らない新人め!」な感じである。警官もカネで働くサラリーマンに過ぎないってことか。ただ最後にスピリットを重んじて、己を貫く。

 クラレンスは、犯罪者の仲間に身を染め、その立場から世界を見る。命の恩人を捕まえれば昇進して脱出できる、という限界な選択をさせられるわけで、なかなかそうドライに決行できるものではない。「人生を取り戻せるぞ」といわれ、「もう何も残っちゃいない!」とクラレンスは叫ぶのだ。

 ある意味、バーティカルリミットのような究極な?選択をさせられているわけだが、ふつう、デューガン的生き方では、最後に「長いものに巻かれろ」になってしまうのではないか。殺人はあるさ、ってな感じで世の中を淡々と眺めている警官だったが、最後は信念を曲げなかった。退職してから誘拐犯を捕まえようとしたり、何か矛盾しているような気もしたが、やはり人間は矛盾だらけの存在か。

 これは、ふつうの、三倍は重たい映画で、野郎どもは次々に死んでいくのであった。

反復

2011-03-02 06:54:16 | カスタネダ『呪術の実践』 !
 なぜか幼い頃を思い出したがるのは、カスタネダの本で『反復』なる「追体験してみよう!」が影響しているのかもしれない。現在の自分は、10代前半的には性格やら能力が決定的に完成していて、後で出来た自意識は、何かそこへ戻るための旅をしているのかもしれない。

 反復はエネルギー体に影響するらしく、そのエネルギー体というのは、現在我々が持っている肉体の、有機的世界のものではないらしい。非有機的世界に存在するエネルギーであり、生まれた時には鏡のように一体となっていたのだが、意識の旅を続けているうちに、分離していくようだ。

 「精神と肉体」という二元論的思考で物事をみるというのは、これは肉体の情動による「内的対話」であり、肉体の生命エネルギーを無駄に浪費している、ようだ。意識を与えてくれた存在、果てしない宇宙の、意識の暗い海(イーグル)にむしゃむしゃと食べられているのである。

 「有機的存在(肉体)と非有機的存在(エネルギー体)」という二元論で考える?べきで、古代メキシコの呪術師はこの二つを一つの存在にしようと試み、それに成功したようだ。内的対話を暗い穴のような場所に閉じ込め、「内的沈黙」を維持することによってエネルギー体を復活させる、わけである。

 人間は死ぬときには一挙に記憶が沸き起こるようであるが(たぶん)、怒涛の反復によって、「死の瞬間に意識を放棄する」という行為をしているのかもしれない。イーグルが意識を貸し与え、それを戻させるわけで、各自『反復』することはその先手を打つということか。