インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

新しい価値観、新しい商品・サービス

2011-03-30 20:31:46 | 聖なる木を創る、地域通貨
  夢日記のようなブログになってきたが、かえってアクセスが増えてきた(200人…)。ここで「インディオ組合を作る」「火山が爆発する」云々書いたところで、価値観は人それぞれだから?「アホか」ということになるのだが、夢とかの神秘的体験は「自分もそんなことがありました」と共感されるのだろうか。

  ネイティブ・アメリカンとかはキノコを食べたり、宗教的をしたり、神秘的な体験によって、人間同士がつながっていることは間違いない。東北の被災者のような壮絶な体験も、非日常的で奥深い人間の絆ができるように思われる。親族を奪われた悲しみ、絶望感、それでも生きようという意志、これまでとは違った価値観で生きざるを得ない。

 現代人は、多種多様な商品・サービスを消費し、それを繰り返して生活しているわけだが、カネを稼ぐため、生産者サイドに回らなければならない。資本に雇われるわけである。集まった人間の価値観がどんなにかけ離れていようとも(だからストレスがたまる?)、カネになるからルールに従い、協力し合って仕事を成し遂げる。カネにならねばすぐに分散である。価値観が合った仲間同士では、仕事を超えてずっと仲間でいられるかも。

 しかし集団になれば個々人が主義主張をしまくって収拾がつかない。得体のしれぬ力学が働き、自分の重要性が高まる方へと動く。当たり前である。自己中心性をとにかく抑えさせなければ、社会の秩序は維持できない。どうすればいいのか。「カネを稼がねば生きていけない」システムが一番いいということなのだろう。

 資本主義も民主主義と同じで、多数決で選ばれた商品だけが残る。「カネ=票」である。「あなたは何をすればいいのか?」 それは「市場に出してみて、たくさん票が獲れるような商品を作ればいい」、ということになるのである。ただ個人ではパソコンとか車とか作れないから、小説とかゲームソフトとか作ることになるのであろう。そういえばアルファポリスでも、一票クリックとかになっており、ずば抜けて得票されれば「出版化決定!」ということになっているはずで、それを励みにカネにならなくてもせっせと書いている輩も多い(我が輩もそうか?)。

 しかし朝から晩までカネにもならない小説やらブログを書いていては生活できないので、現実ではカネになることにエネルギーを注いでいる。そこでは、あんまし自分というものを主張しないし、まさか我が輩がこんなブログを書いているとは思いもよるまい。人それぞれだから、自分とて大した個性でもないのかもしれないし、世の中にはカネになることで自己実現をしている人も大勢いるだろう(?)。

 しかしながら(またネガティブな冒頭であるが)、そういう人々も、自分を抑え、多数に支持されそうなこと(カネになりそうなこと)を行っているのが現実ではなかろうか。やはり主義主張については人それぞれで、「自分はこれが正しいと信じている」としても、他人は「いや、ちょっと待った…」ということだらけなのである。

 それでも神秘的体験の世界になると、ごちゃごちゃした理屈、表面的な意識を超えるように思われる。まるで『フラッシュフォワード』(人類が同時刻に意識を失い、未来の同時刻のヴィジョンを見る)の世界であり、強烈な不思議さというのは一生付きまとう。それによって、人間の意識なんて簡単に変わるのである。価値観の多様性とはいえ、我々の価値観の深さというのはその程度のものなのかもしれない。といっても、習慣が意識を作っているのかもしれないが。

 神秘体験をする人間がどんどん増えると、これまでの価値観がバカらしくなって、きっと消費行動も変わってくるだろう。だんだん何を書いているのか分からなくなってきたが、新しい価値観と新しい商品、サービスが必要であるということか