インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

寒さに想う

2011-03-17 07:02:07 | 苦しみを分かち合う
  昨夜はこの辺でもかなり寒かったので、被災者はさぞ寒かったことだろうと思う。あの状態で放り出されるわけだからどう考えても限界状況で、理性的には耐えているのだろうが、不平不満でいっぱいだと思われる。このブログは原始的なブログであるからこういう時にはアクセスが異常に増え、「何か書け」ということなのだろうか。

 大規模な火種は昔から「革命」や「戦争」の火種であった。何もかも奪われて無くなってしまったら、奪い返す権利があるのだ(とういか、そうしなければ生きていけない究極状況)、となるのかもしれない。安全地帯にいて、ぬくぬくと食べて眺めているだけでは、こういう心境は全然理解できない。自分たちはこのままの生活でいい、しかし被災者たちは辛いだろうけれどもこれまでと同じルールに従ってもらいたい、と考えている(都合がいい)。

 被災者は、少なくとも「僕たちは苦しいんだ!」と大きな声で叫ぶ権利はあるだろう。今の世の中は(でなくとも)、主張したり行動したりするもののみが、浮かばれるわけで、日本人の美徳のように思われている黙って耐えているだけでは、変わらない。周りは口だけだ。

 かくいう我が輩もボランティアに行くわけでもなく、口だけかもしれない。予備自衛官の知り合いが、岩手の方へ志願して行くらしいが、実に立派なことである。働くけれども、全然給料が出るわけでもない(むしろ集合場所まで行くのにカネを払うらしい)。「苦しんでいる人を助けてあげたい。ありがとう、と言ってくれる声が聞きたい」「子供にお菓子でもあげたい」とこの寒さの中、出発する。立派だと思う。