インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

津波をマンダラ思考で考えると

2011-03-13 12:13:41 | 考えるインディオ
 いつどうなるか分からず、まったく考えもつかなかった立場に追いやられる。まさか一か月後、突如、大地震によって家族を失い、ホームレスになるとは想像もつかない。

 かつて、マンダラ思考~世界は相対的~で書いたことを引用するに、

 世の中には他者と無関係に独立して存在しているものなど何一つない、あなたの見方と関わり合い、つまりあなたとの関連性で、本来は実体のない「人や物」が「可愛い妻(夫からみて)」「憎い嫁(姑からみて)」「女主人(メイドから見て)」という実体を持ってあなたの前に出現したり、コップが「水飲み」「ペン立て」「凶器」となってあなたの前に出現するのです…

 我が輩も海辺に住んでいるが、穏やかな渚を見ていると心が安らぎ、とても幸せな気分になれる。浜辺を歩いていると、釣りでもしながら静かに余生を過ごせたらと思う(まだそんな段階ではないか?)。しかし嵐が来ると海は荒れるし、何百年かに一度?は巨大な津波が押し寄せ、何もかも押し流していく。海などの大自然は、別に人間のために存在しているのではなく、ただそこに存在しているだけなのである。


 ただ、大自然の脅威を知る機会が、なかなかない。山間部での集中豪雨とて滅多に起きず、噴火にしても霧島地方へいかないので肌に感じられない。その中で、海というのは、夏場とか暑中泳いでいたので、身近である。潮が高くなり逃げ場がなくなったり、小波にさらわれ溺れかけたりして、海の恐さを自分なりに感じていたのだが、テレビの映像とかを見て、さらにそれが増幅した。あんな津波にのまれて生き残れるわけがなく、丸太に掴まって助かったなら、それは奇跡であろう。街の惨状からして、10万人以上は亡くなられたのではないか?

 人間が大自然とうまくやっていくというのは傲慢で、やはり人間は大自然に生かさせて頂いている存在にすぎない。今回は、人間が自分たちは何でもできるというその自己中心性を、ぶち壊し、思い知らせたような津波である。

 ホームレスを見て「自分とは関係ない」とは言えないし、被災者を見て「自分は大丈夫だ」とは言い切れない。何かネガティブな雰囲気が漂っているが、あまり感情的にならず、物事を淡々と眺めているのが正しいのかもしれない。