田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

ヘルシーウォーキング㉑ in 豊穣な大野平野に拓けたまち、新函館北斗ウォーク

2023-10-21 20:04:29 | JRヘルシーウォーキング
 広い平野の真ん中にポツンと出来たような「新函館北斗駅」をS & Gとするコースを北東北の縄文遺跡巡りの帰途に歩いた。途中から雨の降るコンディションの中、私の体調も良くなく、かなり辛いウォーキングとなってしまった。
    

 10月19日(木)、朝早くに函館から「新函館北斗駅」に移動してJRヘルシーウォーキングに挑んだ。
  
  ※ 新設された「新函館北斗駅」です。
 今回は最初から躓いてしまった。コースマップによると駅を出て直ぐに西へ向かうことになっている。私は当然駅前の道路を西に向かうものと考え、その道路を辿ったのだがとどうもその後が続かない。周辺をあちこちとウロウロすること15分、再び駅に戻ってみると、どうやら駅の建物の直ぐ前のコンコースを西へ向かうらしいということに気が付いた。私はこうしたウォーキングの場合は道路を歩くことが当然と考えていたために起こってしまったミスだった。
  
  ※ 若い世代の方はご存じないだろうが、昭和の大歌手だった三橋美智也は旧上磯町出身ということで北斗駅前に歌碑が建てられていました。
 コースを巡ってみて、「北斗市」というのは、平成の大合併で2006年に「大野町」と「上磯町」が合併して誕生したのだが、「新函館北斗駅」は旧大野町の市街地から少し離れたところに誕生した駅であることが分かった。
 駅をスタートしてまず旧大野町の中心街から離れた住宅街を歩くことになった。周辺は旧農家のような建物がかなりの残っている地域だった。
  
  ※ コースの沿道に茅葺屋根の建物が現存していました。説明では雑貨店だったそうです。
 そして3キロくらい進んだところで、細い山道に導かれる。道路脇には「熊に注意!」看板が見えるなど物騒なところを歩かされることになった。目的はただ一つ、市街地から遠く離れた「八郎沼公園」というところに導くためである。
  
  ※ 写真のような山道を延々と4キロ近く歩かされました。熊が出そうです。
 沼とは言っても高いところにあるらしい。道はどんどんと上り続けた。曇り空で湿度が高かったため背中は汗ばんだ。細い道に入ってからやはり3キロくらい歩いただろうか?道路から少し下ったところに水辺が目に入った。「八郎沼公園」である。「八郎沼公園」は市民の憩いの場となっているようだ。周辺はきれいに整備され、水面には噴水が上がり、ライトアップするためのライトが並べられていた。近くにいた人に尋ねると「翌日から点灯する予定になっています」とのことだった。紅葉を夜に愛でるということだろうか?
  
  ※ 「八郎沼」です。沼面に噴水が上がっています。

  
  ※ 紅葉の季節を迎え、沼面にはライトアップの準備がされていました。
 「八郎沼公園」を過ぎると、市街地へ向かって一路山道を急いだ。ところが生憎雨が降り出してきた。周囲は樹々が繁り何もない中、ひたすら歩き続けた。ここで問題が起きた。私は若い頃に腰痛を患っている。それが疲れと共にぶり返してきたようだ。腰が真っすぐ伸びない状態でのウォーキングはかなり辛いものとなってしまった。
 市街地に入る直前、高校相撲で有名な「大野農業高校」の脇を通った。校舎の前庭には相撲に力を入れていることを表すように土俵が造られていた。
 市街地に戻ったところで残り5キロ。残りのコースはほぼ旧大野町の市街地を巡るコースだった。
  
  ※ 高校相撲の名門、大野農業高校の校舎です。
  
  ※ 校舎の前の敷地には土俵が造られていました。
  
  ※ 大相撲の前幕内(秋場所十両優勝)の一山本関は大野農業高校出身です。
 「せせらぎ温泉(北斗市健康センター)「北斗市郷土資料館(市役所総合分庁舎)などと商店街が並ぶ通りを歩いた。市役所総合分庁舎というのは旧大野町役場の庁舎だったようだ。北斗市の新庁舎は旧上磯町の庁舎を使用しているようだ。
  
  ※ 北斗市の健康センターを兼ねる「せせらぎ温泉」です。
  
  ※ 北斗市資料館と北斗市総合分庁舎(前大野町役場庁舎)の建物です。
  
  ※ 旧大野町のメインストリートです。
 市街地を離れて1キロ少々、周りにはホテルとレンターカー店が並ぶだけの「新函館北斗駅」に戻ってきた。
  
  ※ 新函館北斗駅の駅前です。東横インの建物ばかりが目立ちます。
  
  ※ 新函館北斗駅の駅舎内部の一部です。
 ウォーキングをする前1週間余り、あまり歩くことなく車の運転ばかりに終始していたことも影響し、いつも以上に辛い思いをしながらのウォーキングとなった。しかし、札幌から遠く離れた地域のヘルシーウォーキングはいつもと違い2ポイントをゲットできたので報われた思いである。                                

北東北の縄文遺跡を巡る旅を終えて

2023-10-20 18:08:27 | 道外の旅
 緊張の9日間を終えたせいだろうか?朝起きてみると全身を疲れとだるさが覆っていた。まだまだ今回の旅を整然と振り返ることはできないかもしれないが、今できるかぎり今回の旅を振り返ってみたい

 北海道・北東北の縄文構成遺産17
 昨年、日を分けて北海道の6遺跡を巡り歩き、そして今回北東北の11遺産(プラス関連遺産の1遺産)を訪ねることで全構成遺産を訪ね終えることができた。私にとっては ここ数年来の願望を成し遂げることができた。このことで私が何かを得たか?何かを掴んだか?と問われると残念ながらそこには何もないというのが現実である。旅の途中でも書いたが、私は縄文遺跡については俄かファンであり、考古学とか遺跡とかにはまったく不案内の人間である。したがって、私が縄文遺跡の旅を振り返るといってもそれは単なる印象記の域を出ないことをお断りしておきたい。
  
       ※ 大湯環状列石(鹿角市)の全景です。感情列石としては代表格のものというるようです。

 縄文時代とは?
 まず縄文時代と一口にいうが、それはとてつもなく長い期間であることを確認しておきたい。
 定説によると、紀元前13,000年前から紀元前400年前までのおよそ1万2千年以上の長きにわたり続いた時代だということだ。あまにも長い期間のために、細分化し「草創期」、「早期」、「前期」、「中期」、「後期」、「晩期」の6つの時代に分けているという。
 したがって、私が訪れた遺跡も例えば外ヶ浜町の「太平山本遺跡」は草創期、青森市の「三内丸山遺跡」は中期、鹿角市の「大湯環状遺跡」は後期、八戸市の「是川石器時代遺跡」は晩期といった具合に栄えた時代がマチマチなのである。そこを私は短時日に時代を激しく前後しながら巡り歩いたということになる。
 だからここでの私の印象記は細かなことを抜きにしてのものとなることを断っておきたい。
  
  ※ 御所野遺跡(一戸町)に行くには深い谷を渡っていかなくてはいけないのですが、ご覧のように「きききのつりはし」という120mの吊り橋を渡ると、そこに素晴らしいガイダンス施設が現れるという憎い演出がされていました。

定住時代の幕開けとなった縄文期
 良く言われることとして、世界において定住が実現したのは農耕や牧畜を人間が獲得したことに始まるとされているが、我が日本においては農耕や牧畜ではなく、狩猟や漁労、採集によって定住を可能とした点において世界の歴史とは異なるとされている。
 事実、今回私が訪れた遺跡においては、周りの自然を巧みに利活用し、年間を通して食物を手に入れていたことが分かった。中には成長の早いクリの木を意図的に栽培していたのではないかという説もパネル説明されていた。クリの木は堅い木材のために住居の材料としても重宝されたらしい。
 また、縄文時代においては「土器」が誕生したことの大きいようだ。土器の誕生によって食料の煮炊きや保存が可能になったという。巡る中で面白い表記があった「縄文人はごった煮が得意だったのではないか」と…。
  
  ※ 伊勢堂岱遺跡(北秋田市)のガイダンス施設の縄文館の入口にはこの遺跡のシンボルである板状土偶のデフォルメが展示されていました。

縄文人は祖先を敬う精神に富んでいた?
 今回巡り歩いた中の特徴の一つに、「環状列石(ストーンサークル)」関連の遺跡が多いことがある。「大湯環状列石」、「伊勢堂岱遺跡」、「大森勝山遺跡」、「小牧野遺跡」と…。環状列石は死者を祀る場所であり、祭祀を行う場所だったとされる。
 その他の遺跡においても環状列石のような形はとらなくとも、死者を祀る場所が必ず集落の中心にあったことから考えても(時代によって集落からは離れ、数集落が合同で集まるような形になった時代もあった)、現代人以上に祖先を敬う気持ちが強かったのではないかということが窺われる。
  
  ※ 大森勝山遺跡(弘前市)のストーンサークルは、発掘跡に複製品の石を配して、見学者が自由に足を踏み入れることのできる遺跡として公開されていました。

人骨が残っていないのは?
 縄文遺跡において意外なことに人骨はほとんど残っていない。中には稀に北海道・洞爺湖町の「入江貝塚」や、八戸市の「是川石器時代遺跡」において人骨が発掘された例もあるが…。ガイドの方々が異口同音に語っていたのは「我が国の土壌は酸性のために人骨が溶けてしまい残らないのです」と…。
 時に運良く残っていた例は、貝殻などによって中和されたためではないか、ということだった。人骨が多く残されていれば、また縄文人の謎が一層解明されたのではないか、と思うとちょっと残念である。
  
  ※ 三内丸山遺跡(青森市)では、シンボルの大型竪穴建物の建設した際の柱の跡の穴の中に遺った柱の遺物の模造品が展示されていました。本物はガイダンス施設の中に展示されています。

 本日はこの辺でこのあたりで終わりとします。

北東北の縄文遺跡を巡る旅 第9日

2023-10-19 19:39:19 | 道外の旅
 本日午後4時過ぎ函館から265kmを走り、無事に帰宅し9日間にわたる「北東北の縄文遺跡を巡る旅」を終えました。個人的には十分に楽しむことのできた9日間でした。

 本日は予告どおりに「新函館北斗駅」をスタート&ゴールとするヘルシーウォーキングで12キロを歩き、その後俱知安廻りで帰宅しました。
 ヘルシーウォーキングの方は思っていた以上に苦しい12キロでした。やはり一週間も車に乗り続けていると体の方がすっかり衰えていたのかもしれません。
 ウォーキングと長距離ドライブですっかり疲れてしまったので、それらについては後日詳しくレポしたいと思います。
 さて、私は基本的に旅に出て「お土産」的なものは購入しないことにしています。そうは言っても全く購入しないというわけにはいきません。
 そこで今回は「面白いものを!」という観点から、三内丸山遺跡のシンボルである大型竪穴建物の柱を模した「ふ菓子」が売店で異色を放っていました。「これは面白い!これだと孫も喜ぶだろう」と買い求めました。長さを測ったところ85cmもありました。
             

 次に、皆さんを驚かせた(?)「木造駅」の駅舎のモチーフとなった「遮光器土偶」のスタンプを包装紙に押しただけの煎餅を、私が所属する「めだかの学校」の皆さんに印程度のお土産として渡そうかなと買い求めました。
   

 そして私自身には小牧野遺跡で見かけた「小牧野遺跡マグカップ&キャップ」を買い求めました。
   

 さて、肝心の妻には?と皆さんは思うでしょう。それは……、秘密ということにしておきましょう。 

北東北の縄文遺跡を巡る旅 第8日

2023-10-18 15:24:00 | 道外の旅
青森から函館に向かうフェリーから投稿します。


※ 私が乗ったフェリーと同じタイプのフェリーです。

 昨夜はこの旅で唯一の贅沢で津軽三味線のライブを聴くことができる「津軽じょっぱり漁家酒場」という居酒屋で本場の津軽三味線を楽しんできました。 
 今日は、当初は「三内丸山遺跡」を訪れる計画でしたが、昨日終えてしまって時間が余ったので、「八甲田山雪中行軍遭難資料館」と「棟方志功記念館」を訪ねてきました。どちらも見応えのある展示でした。


※ 棟方志功記念館とその前の日本庭園です。

 フェリーは午後2時30分出港で、午後6時函館着の予定です。夜間走行はやめて今夜は函館泊まりです。そして、明日は縄文遺跡とはまったく関係ないのですが、現在取り組んでいるヘルシーウォーキングで「新函館北斗駅」がスタート&ゴールのコースを歩いた後、帰宅することにしています。
 中山峠が危険なようなので、余市廻りで帰ります。

北東北の縄文遺跡を巡る旅 第7日

2023-10-17 16:49:00 | 道外の旅
 とうとう世界遺産に登録されたた北東北の縄文遺跡全11遺跡を制覇するができました!
 これで昨年訪れた北海道内の6遺跡を加えて全17遺跡を全制覇しました!
 関心のない方にとっては「何をそんなにはしゃいでいるの?」と言われそうですが…。
 今日はまず、11遺跡の中で代表格に位置付けられている青森市の「三内丸山遺跡」を訪れました。「三内丸山遺跡」は、私にとって2度目ですが、その魅力は別格でした。その魅力とは、縄文人の住居跡、集会場跡、穀物庫跡、さらには墓や捨て場などが、一ヶ所に集中して発掘された点にあります。併せて、ガイダンス施設も洗練され、学術的にも優れている点が代表格に位置づけられているのだと思われます。


※ 三内丸山遺跡のシンボルである大型竪穴建物の復元柱です。

 続いて午後に訪れたのが同じ青森市にある「小牧野遺跡」です。こちらは北東北の遺跡に多い環状列石(ストーンサークル)の遺跡です。特色はそのサークルの大きさがち 直径55mと国内最大級であるだけではなく、その円形が三重円になっていることです。サークルは一つだけでしたが、サークルがあるところが小高い丘に位置し、遠くに青森市内が望め(もちろん縄文時代はただの原っぱだったでしょうが)、遠くには陸奥湾も望めました。縄文人にとっても場所の選定には十分に意を払ったことがうかがえます。


※ 小牧野遺跡の環状列石(ストーンサークル)の一部分です。

 さて、これで今回の目的は達成です。今夜は目的達成を祝して、津軽三味線を聴いてこようかと思っています。
 明日はフェリーで北海道に渡ります。

北東北の縄文遺跡を巡る旅 特別編

2023-10-17 08:12:00 | 道外の旅
昨夜疲れから早く就寝したため早起きになってしまい、行動するには少し早過ぎるので、懸案だったエピソードを書き綴ることにします。
 実は、今回の旅の計画を投稿した際、知人のF氏から激励のメールをいただきました。その際、私からの返信メールで「実はこの旅に関して妻との間に面白い秘話があります」と書き記し、「旅の途中に明らかにします」とメールを送りながら、今日まで実行できていませんでした。さぞF氏は首を長くして待っていたのでは?と想像しています。大したことではないのですが…。



※ 挿絵代わりに、北秋田市で見ることのでしたギネスブックに登録された世界て一番大きな太鼓だそうです。直径3.8メートルだそうです。

 この旅を計画しているとき、妻から次のように言われました。「貴方って、そんなに遺跡のことに関心があったのですか?」と…。妻の指摘は図星でした。私は学生時代も、現職時代も、これっぽっちも遺跡など、関心外でした。関心外どころか大外といっても良いくらいです。
 それが俄かに関心を持ち始めたのは、やはり世界遺産というネームバリューでしょうか?「北海道・北東北縄文遺跡群」が世界遺産に登録されそうと聞き始めた頃から、札幌市内で盛んに講演会や講座が開かれるようになり、それに参加するうちに徐々に関心が高まっていったということでしょうか。しかし、実状はまったく初心者の域を出ないもので、今回もその理解度は表層的なものでしかありません。「まあ、それでもいいだろう」的な思いで今回の旅を続けています。(終わり  チャンチャン)

北東北の縄文遺跡を巡る旅 第6日

2023-10-16 18:43:00 | 道外の旅
今日は一日、雨が降ったり、止んだり、不安定な一日でしたが、遺跡見学には特別不都合はなく、見て回ることができました。
 まずは、岩木山さんの山麓に広がる弘前市の「大森勝山遺跡」です。当初は日曜日の翌日ということで、「あるいはダメかも?」と思っていたのですが、なんとボランティアではなく、教育委員会の職員が対応してくれて、今回もマンツーマンで親切な説明をしていただきました。しかも、閉館していたガイダンス施設まで開けてくれての対応でした。私がが特別なにかをしたわけではないのに…。東北人の優しさに頭が下がります。
 ここ「大森勝山遺跡」もそうですが、東北の場合はストーンサークルなど墓や祭祀の場の遺跡が多いようです。このあたりに縄文人の特色のひとつがあるような気がします。
 続いて、昨日訪れたつがる市の「亀ヶ岡石器時代遺跡」から発掘され一躍縄文時代の人気者(?)となった「遮光器土偶」(愛称:しゃこたん)を模したどでかいモニュメントを駅舎の壁におっ建てた「木造駅」を訪ねてその巨大さにびっくりしてきました。 


※ 木造駅の巨大なしゃこたんです。

 これで本日の予定は終わりだったのですが、時間が余り過ぎました。
 そこで予定を変更して、外ヶ浜町の「太平山元遺跡」を訪ねることにしました。というのも、こちらの遺跡はボランティアガイドのサービスをしていないということだったので、もし遺跡が見られるなら、それでOKにしようと思ったのです。案の定、遺跡そのものは開放されていて見学が可能でした。しかも、規模が他の遺跡と比べると小さかったので、短い時間で見終えることができました。ここは縄文初期の古い遺物がいろいろと発掘されているようです。現地ではガイダンス施設の建設がされており、来年開館のようです。そうすると、貴重な展示物がたくさん見られるかもしれません。


※ 太平山本遺跡の全景です。

 明日は北東北の遺跡の最後、青森市の小牧野遺跡」と「三内丸山遺跡」を見学の予定です。
 消えてしまった初めの投稿では、この後もこの旅に関わるエピソードを書いたのですが、それまで書き起こす気力がありません。日を改めて投稿します。

北東北の縄文遺跡を巡る旅 第5日

2023-10-15 17:28:00 | 道外の旅
 今回の旅の最大目的だった世界遺産に登録された縄文遺跡を全て巡ることが危うくダメになってしまうところでした。
 今朝になって、明日巡る予定だった弘前市の「大森勝山遺跡」、つがる市の「亀ヶ岡石器時代遺跡」、「田小屋野貝塚」の全てが日曜日の翌日は閉鎖になるということが、ガイドブックを眺めていて判明しました。私の完全なボーンヘッドです。
 慌てた私は、当該施設と連絡を取りました。その結果、「大森勝山遺跡」の方は予めガイドを予約していたので、ボランティアガイドではなく、市の職員(学芸員?)が対応してくれるということで、予定どおり明日訪れることにしました。 



※ 北秋田市の「伊勢堂岱遺跡」のエントランスです。

 一方のつがる市の二つの遺跡は予定どおり閉鎖との回答でした。そこで私はなんとしても「全てを!」との思いから、北秋田市からつがる市まで走ることにしました。本日宿泊予定の弘前市を越えて遠路つがる市までのドライブはかなり疲れました。結果、二つの史跡をガイドさんと本日もまたマンツーマンで詳しく案内していただきました。


※ つがる市の「亀ヶ岡石器時代遺跡」のシンボルである「遮光器土偶」の愛称「しゃこたん」の復元模型です。

 ということで本日は北秋田市の「伊勢堂岱遺跡」とつがる市の「亀ヶ岡石器時代遺跡」、「田小屋野貝塚」の三ヶ所を見学しました。
 明日は結局月曜日ということで「大森勝山遺跡」のみの見学となります。
 今日は弘前市を跨いで往復するなどですっかり疲労したので、今日訪れた遺跡の印象は帰宅後に投稿します。

北東北の縄文遺跡を巡る旅 第4日

2023-10-14 16:02:00 | 道外の旅
今日訪れた縄文遺跡は鹿角市の「大湯環状列石」とそのガイダンス施設である「大湯ストーンサークル館」だけでした。
 ガイドの方は「大湯環状列石」が我が国で4ヶ所しか登録されていない「特別史跡」であることを誇らしげに語っていました。
 「大湯環状列石」が素晴らしいのは、発掘された遺物がそのままの状態で野外に展示されていることです。というのも、発掘された遺物が石であることでそうしたことが可能だということです。もちろん同時に発掘された土器などはストーンサークル館内に展示されていましたよ。
 ここでも有能なガイドに恵まれ、多くのことを学ばせてもらいました。ただ、たくさんの遺跡を一気に回っているので、帰ってから学んだことを反芻できないのでは?という不安もありますが…。



※ 大湯環状列石の一枚です。並んでいる石は本物ですが、小屋のような建物はもちろん復元されたものです。

 ガイドの方の説明の中で「小坂」という地名が出てきました。「小坂」というと25年前に小坂町に現存する明治時代の芝居小屋「康楽館(こうらくかん)」で芝居を観たことを思い出しました。その時は団体旅行で観光バスで訪れたために私のなかに土地勘はまったく無いままでした。
 「大湯環状列石」から10数キロと聞いて、訪れてみようと思い立ちました。なにせそこで芝居を観た時は、突然役者に指名されて舞台に上がらされて小芝居をしたという、思い出深い芝居小屋なのです。
 今日も芝居の公演は行っていましたが、芝居は観ずに施設見学だけしましたが、記憶にあるとおりの館内でした。ガイドの話では、築百数十年ということですが、今も連日のように公演が行われているとのことでした。



※ 「康楽館」の外観です。明治時代の建物とはいえ、外観は洋風、内部は純然たる和風の芝居小屋そのものです。

 今日は北秋田市泊まりです。明日も遺跡はここ北秋田市の「伊勢堂岱遺跡」一ヶ所なのですが、ガイドのサービスがないためどれだけの成果があるのか、やや不安です。



北東北の縄文遺跡を巡る旅 第3日

2023-10-13 17:56:00 | 道外の旅
  • 今日も一日、快晴の中で遺跡巡りを楽しみました。と言っても、今日訪れたのは一戸町の「御所野遺跡」の一ヶ所だけでした。明日も、明後日も一ヶ所の遺跡巡りです。無理せずにゆったりとした旅程を組んだのです。
 その「御所野遺跡」ですが、一戸町はかなり力を入れていることを伺わせてくれました。遺跡そのものもかなりの規模で整備されていましたし、「御所野縄文博物館」の施設も、私がこれまで巡った中では、青森市の「三内丸山遺跡」の「縄文時遊館」に勝るとも劣らない素晴らしい施設でした。
 

 ※ 「御所野遺跡」のエントランスです。じつはここから博物館まで120mの木製の吊り橋になっていました。

 また、ここでもボランティアガイドの方とマンツーマンで2時間にわたりレクチャーしてくれました。
 このように前半は考えていた以上に充実した旅となっているのですが、後半にそのぶり返しがあるのでは、と少々不安になってきます。
 さて、日程的に余裕のあった本日は遺跡以外に、ウミネコの営巣地として有名な八戸市の蕪島(かぶじま)に寄ってきました。ウミネコは営巣時期ではないために姿はありませんでしたが、最盛期には小さな島に4万羽も集まるとか。
 
 ※ 蕪島の全貌と、島の高台に立つ蕪島神社です。


 また、一戸町へ向かう途中、三戸町で「三戸城跡」を見てきました。実はこの城跡には天守閣を再建したような建物(博物館)が建っています。ところが、三戸城には天守閣が建てられたという史実がないことから、国からは建物を撤去するよう要請されているということで興味をもち訪ねてみました。なかなか立派な天守閣風の建物でした。すぐに撤去する必要はないようですが、三戸町民にとっては残念な話かもしれません。


※ 天守閣を模した三戸町の博物館です。

 と本日も旅を楽しみました。