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私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

北海道・北東北の縄文遺跡群巡り〈7〉 二ツ森貝塚(七戸町)

2023-10-22 13:42:07 | 北海道・北東北縄文遺跡群関連
  •  二ッ森貝塚は縄文前期から中期にかけて栄えた貝塚を伴うムラの跡である。つまり温暖期にあって縄文海進の時期にあたり、現在は貝塚からは遠くに望む「小川原湖」の湖岸が貝塚の近くまで延びて豊かな湖(海)の幸が豊富に獲れた地であったことが窺われた。
         
 今回の北東北の縄文遺跡を巡る旅の成果をどうまとめるべきか?少し迷ったところがあったが、結局昨年巡った北海道の縄文遺跡巡りでまとめた形を継続することが一貫性があることと考えた。これからは旅から帰宅後に体験する出来事も投稿しながら、断続的に縄文遺跡巡りについてレポしていくことにしたい。
 10月11日(水)朝5時に八戸港に着岸した私は仮眠をとらず、すぐに最初に訪ねる七戸町の「二ツ森貝塚」を目ざした。七戸町は八戸市からはおよそ70キロ北上したところにある。ナビに従い細い県道を北上した。まずは真っすぐにガイダンス施設の「二ツ森貝塚館」を目ざした。貝塚館に着いたのは7時を少し回ったところだった。開館時間は午前9時だからかなりの時間があった。
 私は場所を確認したので、貝塚生成に関わったと思われる近くの「小川原湖」に行ってみることにした。小川原湖は現在は、汽水湖であるが、縄文時代は海の一部となって、豊富な魚介類が獲れたと想像される大きな湖だった。
  
  ※ 小川原湖の湖面です。早朝らしく太陽の位置が低いですね。(下の写真も)
  
 午前9時、「二ツ森貝塚館」に開館と同時に入館した。「二ツ森貝塚館」は閉校された校舎を活用したガイダンス施設だった。入館すると、ボランティアガイドの男性の方が待っていた。ガイドの方はガイドの会の代表のかたということで退職されてガイドをしているということだった。
  
  ※ 廃校した校舎を活用した「二ツ森貝塚館」です。
 さっそく貝塚館の展示について解説していただいた。呼び物は貝塚の「貝層断面」を展示していた。素人にはただの貝層にしか見えないが、考古学の研究者にとっては縄文人の生活を探るうえで貴重な情報源であるという。
  
  ※ 貝塚の貝層をはぎ取り、展示した貝塚の様子です。(下の写真も)
  
 その他では「鹿角製の櫛」が櫛の先は欠けているものの見事に装飾を施された櫛の遺物は貴重であろう。さらには亀ヶ岡石器時代遺跡の「遮光器土偶」ほど有名ではないが、遮光器土偶も発掘されたようだ。また、取っ手の部分に「人面が象られた土器」も珍しい一品だった。
  
  ※ 鹿角製の櫛です。
  
  ※ 遮光器土偶です。(下半身が欠けているのが残念です)
  
  ※ 取っ手の部分に顔面を象った土器です。
 その後、貝塚館から数百メートルはなれたところある貝塚跡に向かった。貝塚跡は「二ツ森貝塚史跡公園」として整備されていた。貝塚そのものは発掘調査の跡は覆土されて、ただの緑の芝生が一面に広がっていた。その中に当時の竪穴建物が二棟復元展示されていて、内部も見学することができた。
  
  ※ 整備された「二ツ森貝塚史跡公園」の全景です。
  
  ※ 復元された当時の竪穴式の住居です。
  
  ※ 竪穴式住居の内部です。
 感動したことが一つあった。それはガイドの方が芝生の一部を指さすと、そこには白いしじみの貝殻が多数無造作に転がっていたことだ。もちろん貝塚に遺されていた貝殻の一部だという。それだけ貝塚が広く広がっていた証拠のように思われた。
  
  ※ 史跡公園の片隅にはこうして貝殻がこ転がっていました。
 感激したのは、ガイドの方の親切な説明だった。私一人のために親切丁寧に説明してくれる姿には頭が下がる思いだった。秋らしい晴れ上がった空の下、まずは快調にスタートを切った私の北東北の縄文遺跡を巡る旅だった。

ガイダンス施設「二ツ森貝塚館」青森県七戸町鉢森平181-26
 ◇入館料 無料
 ◇訪問日 10月12日(木)