田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

スノーシュー in 前田森林公園

2015-01-21 23:21:31 | スノーシュートレック & スノーハイク
 前田森林公園は冬を楽しむ人たちで賑わっていた。クロカンスキー、歩くスキーはもちろんのこと、ソリを引いた親子連れ、雪上パークゴルフ、そして愛犬族の散歩とさまざまに楽しんでいた。そんな中に一人スノーシューを履いてお邪魔した。 

          
          ※ 公園内で私が最も美しいと思える光景です。

 昨年、石狩川河口から三日間かけて河岸を遡ったが、その続きをしてみたい思いが募っている。(まだ決心はつきかねているのだが…)
 そこで、そのトレーニングも兼ねて今日(1月21日)、手稲区にある「前田森林公園」まで出向いた。
 昨日までの雪模様、吹雪模様が嘘のように晴れ上がり、風もなく、スノーシューには絶好のコンディションだった。ただ、数日来の降雪のため道幅が狭くなっているのには閉口した。

 道幅が狭く、道路が渋滞していたことも手伝って、我が家から1時間近くかけて10時30分頃に公園の駐車場に着くと、すでにたくさんの車が駐車していた。冬を楽しもうとする人たちがけっこういるようだ。

          
          ※ 駐車場にはこうした車の列が3列出来ていました。

          
          ※ 楽しんでいる人が最も多かったのは、意外にも雪上パークゴルフだったようです。

 さっそくスノーシューを装着し、雪原に出た。公園内はクロカンや歩くスキーのためにしっかりと整備されたコースが整っていて、そこでたくさんの人たちが汗を流していた。
 私はというと、そのコースから外れ、誰も踏み入っていない林間を歩くことにした。これが心地良いのだ。

          
          ※ 私の往く手には道はない…。

          
          ※ しかし、私の後には道ができる…。

 スイスイと前へ進むスキーに対して、雪原をただ黙々と往くスノーシューの何が楽しいの?と言われそうだが、誰も踏み入ることができない林間に踏み入ることができるところに無上の楽しみを感ずるのだ。
 しかし、その楽しみには代償が伴う。新雪が覆っていることもあり、スノーシューで踏み込むとけっこう足元が沈んでしまうのだ。ゆっくり、ゆっくり歩いているつもりでも背中には汗がしたたりはじめた。
 それでも快晴の空の下では気持ちが良い。公園内を2/3周くらいしたところで前田森林公園のシンボル「カナール」(人工池)のあるところまで来た。この水のある景色が前田森林公園の呼び物の一つなのだが、調べてみると、老化によって今年いっぱいは改修工事のために楽しめないらしい。

          
          ※ 写真中央部分がカナール(人工池)で、その周りはクロカンスキーコースになっていました。

 約1時間半かけて公園の外周を一周することができた。ここで昼食休憩をとり、午後からは、踏み跡をつけたところを再び歩くことにした。
 新雪の中を歩くのと、踏み跡をつけたところを歩くのとでは、当然であるが要する時間も、体にかかる負荷もまったく違う。トレーニングであれば、バンバン新雪を歩くのが良いのだが、そこまで追い込むこともあるまいと思った。公園内にみだりに踏み跡を残すのも気が引けことだし…。

          
          ※ 午後からは、自らが付けた踏み跡を辿りながらのスノーシューイングでした。

 都合、3周して今日のスノーシューを終えた。歩数計を見てみると11,927歩となっていて、一日のノルマも達成した。しかし、体への負荷は3万歩以上の負荷がかかったのではないだろうか?
 それにしては終えた後の疲労感をそれほど感じなかった。少しは日常のウォーキングの成果が出ているのだろうか?

 さ~て、石狩川はどうしょう??



《ウォーキング覚書》

 1/16~1/20の5日間は歩数に凹凸のある5日間だった。

 ◇1/16 11,314歩 ◇1/17 6,361歩 ◇1/18 15,184歩 ◇1/19 11,202歩 ◇1/20 11,698歩

 ◇5日間合計 55,759歩  ◇1/11~1/15の一日平均 11,152歩

 1/17は白石でイベントがあり、その帰りをウォークに充てよう思ったのだが猛吹雪のため地下鉄一駅間分で諦めてしまったため歩数が少なくなった。その補充でもないのだが翌日1/18は豊平橋を渡ったところにあるルネサンスサッポロホテルで講演会があり、その往復をウォークとしたため歩数が増えた。ということでこの5日間も無事一万歩をクリアすることができた!


映画 123 ウォーダンス/響け僕らの鼓動

2015-01-20 20:45:04 | 映画観賞・感想

 ウガンダ内戦によって全てを奪われ難民となってしまった子どもたち。そんな彼らに生きる希望を与えたのは、伝統の音楽と踊りだった…。生きる希望を音楽と踊りに懸けた子どもたちを追ったドキュメンタリーは十分な訴求力のある映画だった…。 

               

 ウガンダというとアフリカ大陸の中央の東部に位置する国である。人口約3千4百万人、面積は日本の約3/5という国である。この国はイギリスからの独立以来政争の絶えない国で、映画では2003年以降の内戦によって難民となり6万人以上が暮らす北部ウガンダのパトンゴ難民キャンプの子どもたちに焦点を当てたものだった。

 1月17日(土)午後、札幌国際交流会館(リフレサッポロ)において、函館市に本拠をおく北海道国際交流センターの主催による「『ウォーダンス/響け僕らの鼓動』上映会 & ウガンダNGO視察報告」の集いが催され参加してきた。

 映画は内戦において虐殺を繰り返す反政府軍によって肉親を失った子どもたちへのインタビューから始まる。彼らの深い悲しみに打ちひしがれた悲痛の叫びが胸を突いた。
 そのような絶望の淵から、子どもたちに希望の灯を与えたのが難民キャンプ内にある学校の愛情と才能にあふれる教師たちだった。
 彼らは子どもたちに歌を、踊りを、音楽を与えた。それは先祖伝来のリズムにのって体を揺らし、足を鳴らし踊るという、子どもたちの魂を揺さぶるものだった。

 ウガンダには全国20,000校を超す学校が参加をかけて挑む「全国音楽大会」というものがあり、学校の教師たちはこの大会の出場を目ざし、子どもたちを励まし、指導を続けた。
 楽器もない、衣装もない、無い無いづくしの中でも、子どもたちは水を得た魚のように生き生きと、そして急激に技量を伸ばしていった。
 やがて彼らは北部地区の予選を突破し、全国大会出場を決めた。紛争地域にあるキャンプ内の学校が全国大会へ参加できたのは歴史上初めてのことであり、記念すべき事件だったという。

 パトンゴ避難キャンプの学校の実力は首都カンパラにも届き、カンパラから音楽の専門家が指導に来るほど注目される存在となった。音楽大会にはさまざまな部門があるが、彼らが特に力を入れたのは、伝統舞踊、聖歌合唱、器楽の3部門だった。特に祖先からの大事な文化であり、代々受け継がれてきた伝統舞踊には特別な思いで臨んだ。

 初出場、しかも無い無いづくしという圧倒的なハンディを背負いながらも、彼らは持てる力の全てを注ぎ込んでステージで歌い、そして舞った。
 その結果、器楽部門で木琴を演奏した子が最優秀器楽奏者に選出され、伝統舞踊の部門では見事最優秀賞を獲得したのだった。

          
          ※ 手作りに近い木琴を演奏し、見事最優秀器楽奏者に選ばれた子(だと思います)

 この映画はフィクションではない。ドキュメンタリーだからこそ見る者の心を強く打った。
 アフリカは映画が扱ったウガンダだけではなく、いまだに民族紛争が各地で勃発しているというニュースが届く。
 庶民や子どもたちにとって理不尽な殺戮を繰り返すこうした戦いが一刻も早く終焉するような時代が到来することを望みたいものである。


《余話》
 今夜はサッカーアジアカップの予選第三試合対ヨルダン戦でした。
 本当はクラシックの演奏会に出かける予定でしたか、過去のヨルダン戦から考えてけっして侮れない相手のため、ちょっと心配になりサッカー観戦を優先させました。
 結果は日本の完勝でした。これまでの予選三試合を観戦して、日本はアジアにおいては頭一つ抜け出ているかな?という印象です。
 とは言っても、これからは決勝トーナメントの一発勝負ですから何が起こるか分かりません。
 ドキドキ、ハラハラしながらこれからの試合も見守るつもりです。


札幌ぶらり散歩 47 北大の離れ座敷

2015-01-19 20:26:56 | 札幌ぶらり散歩 & Other
 それを離れ座敷と呼ぶのが正しいのか、どうかは分からない。私にとって長い間謎だった北大の中で離れ小島のように存在する一角を今回初めて訪れてみたところ、意外なことが判明した。 

 自宅から北大を訪れるとき、北大の農学部の端から「道々石山通(下手稲通)」を跨いで架かる人道橋の先にいったい何があるのか、いつも疑問だった。
 一説には、海外からの留学生や教員のための施設があるとも耳にしていたがはっきりしたことは分からなかった。そして、そこはなんとなく不可侵領域といった感じで近づき難い雰囲気だった。

          
          ※ 写真が北大農学部の端のところから道々石山通を跨いで架けられている人道橋です。

 ある日のウォーキングの際に思い切って近づいてみた。
 すると、特別に立ち入り禁止とかの領域ではないらしいことが分かった。
「 石山通」を跨ぐ人道橋の袂には「演習林実験苗畑」という表示が出ていた。「あゝ、農学部の林学関連の実習林があるんだ」と私の中にあった謎が解明した思いだった。

          
          ※ 農学部側の端の袂です。下の写真はそこに書かれていた「演習林実験苗畑」という表示です。

          

 人道橋を渡ってゆくと、なるほど林が広がっていたり、苗木を育成したりしている様子が見て取れた。その向こうには管理棟のようなものも見えたので、橋から向うは外部の者は立ち入るべきではないと思い引き返してきた。
 それにしても猫の額ほどしかない敷地の中で林業に資する研究がどれだけできるのだろう、という率直な疑問も残った。

          
          ※ 雪の人道橋を渡っていくと…

          
          ※ 人道橋はご覧のように交通量の多い石山通を跨いでいます。

          
          ※ 演習林実験苗畑の様子ですが、とても狭い敷地という印象です。

          
          ※ いかにも演習林実験苗畑という感じで、幼苗が育成されていました。

 翌日のことである。
 再びウォークに出た私は、「そうだ!演習林実験苗畑を裏側から見てみよう」と思い立った。裏側とは市立病院の敷地のところにあたる。
 市立病院と実験苗畑の境界に近づいたときだった。実験苗畑の敷地の方に大きな集合住宅が数棟見えた??
 「あれっ?」と思い、近づいてみると、そこには「北海道大学桑園国際交流会館」という案内図が出ているではないか!そこには5棟もの集合住宅が建っていた。

          
          ※ 集合住宅の前にはこのような表示板が掲げられていました。

          
          ※ 集合住宅の一部です。全部で5棟あります。

 真相は諸兄が推測のとおりである。
 実験苗畑の奥に、噂で聞いていた留学生や海外からの教員の宿舎が存在していたということである。そして、人道橋はその人たちが大学に通うための橋だったということだ。

          
          ※ 演習林実験苗畑の方から見た国際交流会館の建物群です。

 話のオチはその先にある。
 その日、私は歩数を一万歩にすべく、北大のインフォメーションセンター「エルムの森まで赴き、コーヒーブレイクをしながら、そこにあったキャンパス地図を見た。なぁ~んと、そこにはしっかりと「インターナショナルハウス北8条」と出ているではないか。
 これまで何度も手にしたキャンパス地図である。単に私がこれまで見逃していただけという話であった…。


《余話》
 拙ブログの1月9日付で「札幌ぶらり散歩 45 ビルの屋上に大きな松の木が!」という話題を投稿した。その際、「木の種類が分からない」と記した。
 実はその木を植えている「丸久中央物産」に問うたときに、「できれば木の種類を知りたい」と希望を伝えていたのだが、先日丁寧に回答をいただいた。木の種類は「ドイツトウヒ(ヨーロッパトウヒ)」という種類だということだった。
 調べてみると、名前のとおりヨーロッパからロシアにかけて広く分布する常緑針葉樹で、クリスマスツリーにも多用される樹だということだ。
 丸久中央物産のトウヒは、植えられてから既に14~5年経つとのことだった。遠くからなので正確性には欠けるが目測で5~6mには成長しているように見えた。

日本ハム ファン・カンファレンス

2015-01-18 20:37:13 | スポーツ & スポーツ観戦
 日本ハムファイターズは、球団としてスポーツ・コミュニティーの実現を目ざすという。大社オーナー代行が、栗山英樹監督が、日本ハムファイターズが北海道に果たす役割を語った。 

 話題としては少し色褪せた感がないでもないが、1月12日(月)午後、道新ホールで開催された「ファン・カンファレンス」の入場券を手に入れたので参加してきた。
 カンファレンスとは、会議とか、協議と訳されるが、実際には球団によって行われたシンポジウムといった形式だった。

          

 全体のテーマは「ファイターズが北海道に果たす役割とは」というテーマのもとに、第1部が、大社オーナー代行と栗山監督が「スポーツのチカラ、地域のチカラ」と題して道新運動部の記者の質問に答える形で進められた。
 第2部は「ファイターズとファンが紡ぐ北の大地の未来」と題して、大社オーナー代行を始めとした日ハム球団幹部の方々が事前に募ったファンからの質問に答えるという形のイベントだった。

               

 さまざまな面から、これからのファイターズについて語られたが、ここでは「スポーツ・コミュニティーを目ざす」と語った大社オーナー代行の言葉について取り上げてみたい。
 最近はいろいろなところで語られる「コミュニティー」という言葉である。コミュニティーとは、一言でいえば「居住地域を同じくし、利害をともにする共同社会」ということのようだ。

 ファイターズは他球団と違い、選手に次の三つを求めているという。①選手として成功すること。②ファンに感謝すること。③社会貢献をすること。特に③はファイターズ独特のものであり、それを率先垂範しているのが栗山監督だと大社氏は力説した。
 大社氏の話を伺っていると、以前から栗山町との関わりが深かった栗山監督がファイターズ監督に就任するのは必然だったのかな?とさえ思えてくる。

               

 そして昨シーズンで引退した稲葉氏の存在である。彼は今年ファイターズの「スポーツ・コミュニティー・オフィサー」に就任した。この肩書は、日本ハム球団が推進しようとしているスポーツ・コミュニティーの実現のための推進役であるという。
 地域還元活動「北海道Aiバトンリレー」少年野球教室、児童施設訪問などなど積極的に地域貢献活動を続ける稲葉氏に最適なポジションであり、日本ハム球団が目ざすスポーツ・コミュニティーづくりを体現していける人といって良いだろう。

 札幌に本拠地のある日本ハムファイターズは、野球というスポーツを通して地域を豊かにし、同時に球団としても発展していきたいという。そこには、巧まざる球団としての戦略も見え隠れするが、地域におけるプロ野球球団の在るべき姿を希求しようとしている球団の姿は道民の一人として大歓迎したい思いである。
 今季のファイターズの健闘と、稲葉氏の活躍を心から祈りたい。

※ ところで稲葉氏は栗山氏、工藤氏の後任としてテレビ朝日「報道ステーション」のスポーツキャスターにも就任したという。さらに日本代表のコーチも務めている。コミュニティー・オフィサーの仕事は大丈夫なのだろうか?(まあ、大丈夫だから引き受けたのだろうが…)

北海道警察音楽隊コンサート

2015-01-17 23:19:23 | ステージ & エンターテイメント
 北海道警察音楽隊(以下、道警音楽隊と称す)というと、軽快な音楽を演奏するバンドと理解していたが、今回のコンサートでは重厚な音楽も披露して幅の広い面を見せてくれた。ホールいっぱいに入った老若男女が楽しんだコンサートだった。 

          
          ※ コンサートは写真撮影がNGだったので、音楽隊のHPから借用した。

 今月の私は吹奏楽月間の様相を呈している。
 10日の「道警音楽隊定期演奏会」を皮切りに、24日は「市民吹奏楽祭」、25日には「陸上自衛隊 北部方面音楽隊演奏会」と続く。

 1月10日(土)午後、ニトリ文化ホールにホールいっぱいに入った聴衆を前に道警音楽隊コンサートは行われた。
 道警音楽隊は昭和26年発足というから、今年で60周年を迎える歴史ある音楽隊である。編成はカラーガード隊を除くと30名ということで、けっして大編成ということではないと思うが、さまざまな分野の音楽に対応できる人数ということだろうか?(専門的なことは分からない)

 コンサートは2部にわたって行われた。
 1部は純粋に音楽隊のみが演奏し、2部ではカラーガード隊が加わり、警察活動のPRも兼ねたパフォーマンスも披露するという形だった。

 私が道警音楽隊の新たな一面を見た思いがしたのが、1部の前半だった。ライニキーの「鷺が舞うところ」、シベリウスの交響詩「フィンランディア」と本格的なクラシック音楽を披露してくれたことだった。
 おそらく定期演奏会では毎回そうした音楽も披露してはいるのだろうが、これまで私はカルチャーナイトとか、街頭での演奏とかで聴く機会が多かったため、軽快な演奏が主なバンドと曲解していたかもしれない。
 今回のコンサートを通して、道警音楽隊は十分な実力を備えたバンドであることを改めて認識させられた。

 実は道警音楽隊の中に、詳しく触れるのは避けるが私に関わる人も加わっている。このこともコンサートに足を向けさせた要因だったのだが、彼も音楽隊の一員として素晴らしい音作りに寄与しているようだった。
 たくさんの聴衆を魅了した道警音楽隊は今後も追ってみたいバンドの一つである。

稲本潤一選手 ようこそ!札幌へ

2015-01-16 21:58:13 | スポーツ & スポーツ観戦
 大変な聴衆を集めて稲本潤一選手のコンサドーレ札幌への入団会見が行われた。旬は若干過ぎたとはいえ、世界で活躍してきた稲本選手への期待の表れだろう。残念だったのは音響のせいで稲本選手の声がやや聞きづらかったことだった…。 

 私の最近の行動は、特に予定がない場合「さて、どのようにして一日一万歩を達成するか?」と考えることである。徒歩で行ける中央区の道はほとんど歩き終えてしまい、珍景に出会う可能性も小さくなってしまった。

 そうした中で今日のコースを模索していたところ、新聞で「稲本選手のコンサドーレ入団会見がサッポロファクトリーで行われる」という記事を目にして「よし、今日はこれでいこう!」と決めてサッポロファクトリーに向かったのだった。

          
          ※ 稲本選手の入団会見をつたえるアトリウムのディスプレイモニターです。

 コンサ熱がすっかり冷めてしまった私だが、それでも多少は気になる存在である。
 日ハムにすっかり札幌のスポーツシーンの主役を奪われてしまった感のあるコンサドーレである。例え稲本選手といえどもそれほど多くのファンは集まるまい、という私の考えは甘かった。
 ステージ前は報道陣席に割り当てられていたとはいえ、一階のフロア、2・3・4階のテラス席の全てがファンによって埋め尽くされ、私はといえば人垣の間から覗くという羽目になってしまった。(報道では集まったファンは1,500人とか)

          
          ※ ご覧のように2~4階のテラス席は鈴なり状態でした。

 午後4時、野々村社長に伴われて入場した稲本選手は「札幌をJ1に昇格させるために貢献したい」と力強く語った。
 しかし、それからがいけなかった。その後は着席して記者団の質問に答える形式となったのだが、そのやりとりがほとんど私には聞こえないのだ。以前からサッポロファクトリーのアトリウムの音響設備は良くないな、と思っていたのだが…。
 私はすっかり興醒めして、途中で中座してしまった。

          
          ※ 会見場に登場した稲本潤一選手です。

 さて、せっかくの稲本選手の札幌入団である。
 少し関連したことを話題としたい。
 コンサはこのところ以前に名を成した有名選手を獲得することが多い。
 2010年の中山雅史選手しかり、昨年の小野信二選手しかりである。そして今回の稲本潤一選手である。
 コンサは北海道に有力企業が少ないこともあって、球団経営が脆弱であることをいつも云われている。だから、高給を用意して有力選手を獲得することは難しいようだ。
 そこで旬を過ぎ、他球団から高給でオファーされる可能性の少なくなった過去の有名選手獲得という手段を取っているようだ。それは話題を集め、集客にも繋がるという球団の判断もあるようだ。

          
          ※ 記者団の質問に答える稲本選手です。左は野々村球団社長です。

 確かに中山選手などは2年間ほとんど試合に出ることはなかったものの、いつも話題の中心にいて札幌を盛り上げてくれた。
 しかし、小野選手、稲本選手には球団として集客力を期待しつつも、選手としての力量もかなり期待しているようである。小野選手、稲本選手ともに35歳とサッカー選手としてはかなり高齢であるが、世界で戦ってきた技術、戦術眼など一流のものを備えていると思う。さらには、そうした場で培ってきたメンタル面でコンサの若い選手に与える影響力にも期待したい。

          
          ※ 会見の前に野々村社長からユニフォームが稲本選手に手渡されました。

 大化けすることはないにしても、小野、稲本の両ベテランが存在感を発揮し、若い選手が彼らと上手く連携し、機能するとしたら2015シーズンは案外期待の持てるシーズンなのかもしれない…。
 
          
          ※ 会見場を後ろから見たところです。空いているスペースは通路として立見は許可されませんでした。


《ウォーキング覚書》 
 1/11~1/15の5日間はかなり頑張った5日間になった。天候もさまざまだったが、毎日楽しくウォーキングすることができた。

 ◇1/11 10,242歩 ◇1/12 11,463歩 ◇1/13 11,293歩 ◇1/14 14,139歩 ◇1/15 18,409歩

 ◇5日間合計 65,546歩  ◇1/11~1/15の一日平均 13,109歩

 この5日間の特記事項はやはり一万歩を大きく上回った14、15日である。14日は久しぶりに八軒地区を歩いた。雪のない時期は八軒地区まで自転車で向かい、そこからウォーキングを開始したのだが、この時期は自宅から徒歩で向かったので歩数が多くなった。
 また、15日は昨日のブログでも報告したとおり、三角山~奥三角山を縦走したことで歩数を大幅に稼ぐこととなった。

北海道低山紀行 45 三角山~奥三角山縦走

2015-01-15 17:04:41 | 北海道低山紀行 & Other
 天気晴朗にて、風もなし、気温これまた適温にあり! そう打電したいほど絶好の冬山日和だった。未踏コースを含む縦走だったが、何の不安もなく冬山を満喫した。奥三角山山頂でのポタージュスープは最高だった!!
 

 一日一万歩運動に少し変化を加えたいと思っていた。
 「北海道スノーシューハイキング」というガイドブックに比較的手軽な冬山ハイキングコースとして「三角山~奥三角山縦走」コースが紹介されていた。
 途中の大倉山までは経験があったので、「大丈夫だろう」との判断で、今日(1月15日)登ってみることにした。

          
          ※ 私の前を登っていた高齢者のグルーブです。

 三角山は冬でもたくさんの人たちが楽しむ手軽な山である。手軽な山とは登攀時間が短いからだが、山としてはけっこうな上りが連続する山である。
 ただたくさんの人たちが楽しんでいるため、コースは固く踏み固められとても登りやすい。
 ゆっくりと登っていたつもりだったが、やはり汗が出てきた。私の前を私より高齢のグループの方が登っていたが、その方たちと同じペースで登って25分後に三角山山頂に達した。
 山頂は風もなく、展望も効き気分爽快だった。しかし、私は先があるため写真を撮り、一口給水して直ぐに出発した。

          
          ※ 三角山山頂がら見た札幌市街です。

          
          ※ 建物のようなものが見えるのが大倉山。その向こうに見えるのが奥三角山だと思われます。

 三角山から大倉山にかけては尾根歩きなのだが、急峻な上り下りが続くコースである。急峻とはいえ、軽アイゼンがなんとか効く程度だから、素人にはやっかいとはいえ、それほどでもないのかもしれない。
 日光が当たっているところの雪は融けかかっているほど気温は上昇しているようだ。(この日の札幌の正午の気温は2.4℃)

          
          ※ 大倉山から見た札幌市街地です。

 三角山から25分後に大倉山に到達した。
 大倉山では実業団の選手だろうか、それとも大学の合宿している選手だろうか、ジャンプの練習が行われていたようだ。
 大倉山から見える三角山、奥三角山を写して、いよいよ私にとって未踏の奥三角山を目ざしての登山となった。

          
          

          
          ※ 大倉山の近くから見た奥三角山です。

 大倉山に向かうとき、すれ違った方から、奥三角山に到る登山路も足跡がしっかりできていると聞いていたので安心して向かった。
 大倉山の山頂からのコースは一度大きく下ると、目の前に奥三角山が大きく立ちはだかっていた。
 コースはこれまでと違い、踏み跡はしっかりできているものの、登る人が少ないためか踏み跡がしっかりとは固まっていないため若干登りにくかった。とは言っても、三角山のコースが舗装路なら、こちらは砂利道といった程度か?

 誰とも出会わず、一人黙々と登りつづけた。無風、無音、心地良い静寂が支配する中、時々アカゲラだろうかドラミングの音が聞こえるが姿は確認できない。
 立ちはだかっている方向は太陽が当たらぬ北方向だったようだ。そこを突破すると、尾根状態のところに出て、明るくなりコースの雪も融け気味の状態だった。

          
           ※ 奥三角山の稜線に辿り着いたときの山頂に続く足跡です。


 長い尾根を登りきったところが奥三角山山頂だった。大倉山から35分を要していた。
 奥三角山山頂は狭いながらも眺望が良く効き、なかなかの眺めだった。
 山頂で持参したポタージュスープに熱湯を注ぎ味わったが、雪上ということもあって、極上の一杯となった。

          

          

          

          
          ※ 雪の上に置いたポタージュスープのカップです。美味しそうでしょ。

 帰りは同じコースを折り返し、約3時間の三角山~奥三角山縦走を終えた。
 持参した歩数計の数字は15,701歩を示していた。
 私は今、心地良い疲れを楽しんでいる。

【三角山~奥三角山縦走 登山データー】
標 高  三角山 311m  奥三角山 354m
駐車場  三角山登山口のところに数台の駐車スペースがある。
行 程  三角山登山口(緑ヶ丘療育園コース)→(35分)→三角山山頂→(25分)→大倉山山頂→(35分)→奥三角山山頂
     奥三角山山頂→(25分)→大倉山山頂→(15分)→三角山山頂下→(25分)→三角山登山口
時 間  登山(約1時間35分) 下山(約1時間05分)
 ※休憩時間を除く、高齢なのでかなりゆっくりペースである
天 候  晴れ、無風、気温(札幌市内12時現在 2.4℃)
登山日  ‘15/01/15



※ 外出しなければならない用件ができました。写真の説明は帰宅後に。

札幌Cafe紀行 �119 おばんざい・おせんべい かまだ

2015-01-14 19:42:57 | 札幌Cafe紀行
 通りから入った目立たぬところに古民家を改造した和風モダンな店「かまだ」はあった。「かまだ」は店の形態としては和食の店であるが、ぜんざいもメニューの一つとなっていたことから、私たちは初詣の帰りに立ち寄り、ぜんざいに舌鼓を打ったのだった。  

 初詣を終えた帰路に甘味処「巧」に立ち寄るのが私たちの初詣の際のルーティンになっていたが、今回はウォーク中に見つけた「かまだ」でもぜんざいがメニューにあることを知り、ちょっと浮気をしてみることにした。
 「かまだ」は裏参道といわれる通りに小さな看板を掲げているのだが、うっかりすると見過ごしてしまうほどさりげなく表示されている。

          
          ※ この細い通路の突き当りに「かまだ」はあった。

 細い通路の突き当りに、古い民家を改造した店があった。

               
               ※ ご覧のように民家を改造した店舗であった。二階の壁にあるのは家紋だろうか?

 店内に入ると、1階は満席だったようで、2階に案内された。店内は屋根裏を剥き出しにするなど和のテイストを出してはいたが、テーブル、ディスプレイ、バックミュージックからは「和風モダン」というコンセプトのように思われた。

          
          ※ 剥き出しの屋根裏が特徴的でした。

          
          ※ 2階の客席です。和の雰囲気が漂っています。

 私たちは「白玉ぜんざい」(580円)をオーダーした。
 しばらく時間をおいて「白玉ぜんざい」が出てきた。
 つぶ餡も、そこに載っている白玉も「なかなか上品」という感じだったが、味の方も非常に繊細な甘みのあるぜんざいだった。ただ、年末に訪れた「あん庵」のような芝漬けやほうじ茶のようなものが付いているとなお良かったのだが…。

          
          ※ 薄焼きのせんべいが添えられたぜんざいです。

 店は「おばんざい・おせんべい」を標榜するとおり、食事がメインのようである。ランチで訪れるのも良し、甘味を楽しむために訪れるのも良し、という店のようである。

           
          ※ 店の前に掲示されていたランチメニューです。

【おばんざい・おせんべい かまだ データー】
札幌市中央区南2条西25-1-31
電  話 011-616-0440
営業時間 ランチ 11:30~15:30(L.O14:30)
[日~木]17:30~24:00(L.O11:00)
[金・土]17:30~25:00(L.O12:00)
定休日  水曜日
座 席  30席
駐車場  有(ランチ1時間無料)
入店日  ‘15/01/03

札幌ぶらり散歩 46 トマソンの宝庫!?

2015-01-13 17:17:29 | 札幌ぶらり散歩 & Other
 いよいよ昨年末の棚卸し物件の最後である。大晦日の日、円山地区を歩いていた。コンクリートや新建材の真新しい住宅が立ち並ぶ中に、その物件は現れた。その建物は私の目から見るとトマソンの宝庫のように思えた…。 

 最近思うことがある。
 札幌の珍景を探して歩く「札幌ぶらり散歩」は、なんだか大好きな札幌の街のあまり触れてほしくない部分を探し出し、そこに光を当てブログで伝えているのではないのか、と思うことがある。確かにそうした面があることは否めない。

 しかし、と私は考える。
 コンクリートや新建材で固められ、ツンとすましたような建物群の中で、ちょっと古いけれどなんとなく温かみが感じられ、住んでいる人たちの歴史を感ずることができる建物は少なくなり、そうしたものは今や遺産的価値さえ伴っていると感じる。
 そこに遺された物の中には侘びや寂びを感じさせるものがあったり、笑いとペーソスを誘ったりするものも少なくない。いつかは消えゆく運命にあるそれらに光を当て、そこに存在したことを記憶に留めるためにも、私は札幌の街を巡り、そうしたものを探していきたいと思っている。

 ただ、面白さを追求するあまり若干品性に欠ける紹介の仕方や表現があったかな、と反省している。今後は取り上げ方や表現の仕方にも留意しながら伝えていくことを心がけたい。


 大晦日の日も私は一万歩を達成すべく、円山地区を歩いていた。できるだけ以前に歩かなかったところを選びながら…。
 すると、ちょうど三叉路の頂点のようなところに少し古びた建物が目に入った。建物の前は三角柱の商標があり、何かの商売をされていた家のようだった。
 この家に続く倉庫のような建物にたくさんの遺産的な物件が散見された。
まず、隣の家が建つ前にはそこにも続きの倉庫があったのではと思わせる跡が遺されていた。屋根の形をしたままのトタンが遺されていた。

          
          ※ 写真の手前が母屋、後ろが倉庫と思われる。右側の家は後から建てられた家と思われる。

          
          ※ 近づいてみると、写真のような痕跡が残っていた。倉庫が続いていたのだろうか?

 続いて反対側に廻ってみると、倉庫然とした建物の2階部分に大きく開くドアのようなものが目に入った。そのドアが開閉して製品などを積み下ろししていたのだろうか?となるとかなり背の高いトラックが必要となるが、それにしては少し高すぎないだろうか?ドアにはどのような役割・機能があったのだろうか?

          
          ※ 2階部分の大きなドアには蝶番も付けられていて、明らかに開閉機能が備わっていたと思われる。

 そして最たるものは建物の入口として使われていたであろうところの門のような立体である。この門のようなものがどのような機能を果たしていたのか、どう考えても分からない。しかも、往時はタイル舗装をした立派な門のようであったことが窺われるのだが…。あるいは倉庫然としたこの建物の一画が会社の事務所で、そこへ至る門の構えだったのか?
 剥がれかけたタイルブロックに会社が繁栄した往時の面影が偲ばれる思いである。

          
          ※ 同じ建物を違った角度から見たものです。無用窓も気にな右下の門ようなものが気になります。

          
          ※ 大写しすると、このようにタイルブロックが一部遺されていました。


 本日紹介した三件の物件は、全てトマソン物件に該当すると私は判断したがいかがだろうか?
 私の独断と偏見で、この円山地区のトタンが遺された〔原爆〕タイプの壁を「トマソン物件 札幌第9号」に、
 倉庫然とした二階に付けられたドアは〔高所〕タイプとして「トマソン物件 札幌第10号」に、
 そして、華麗な過去が偲ばれる〔無用門〕タイプを「トマソン物件 札幌第11号」
にそれぞれ指定することにする。


 なお、この建物では2階の窓が無用窓化していたが、〔無用窓〕タイプは古い建物ではけっこう多いことも分かってきたので、今後の指定には少し慎重を期したいと考え、今回は指定を見送ることにした。

今日は「成人の日」?

2015-01-12 20:49:17 | その他
 ハッピーマンデー制度が施行されて以来、成人式の日の日付は毎年変わるようだ。今年は1月12日、来年は1月11日、再来年は1月9日、というように…。記念の日は固定された方がと思う私からすれば、なあ~んだかなぁ、という思いも拭いきれないのだが…。 

 というわけで、今日の昼過ぎ都心でイベントがあって、そこへ向かう途中「ニトリホール」の周りに晴れ着姿の若い女性が集い、華やいだ雰囲気に包まれているのを見て、「あゝ、今日は成人の日なんだ…」と気が付いたのだった。

          

 その前を軽~くパスして都心に向かったものの、華やいだ雰囲気に引き付けられ、思い直して新成人の人たちにカメラを向ける私だった。
 そして会場である「ニトリホール」に近づいてみると、なんとそこには「北区成人式」と案内が出ていた。「北区の成人式を中央区で?」と思わず首を傾げる私だったが、北区にも立派なホールがあるはずだが、そこでは収容しきれない、ということだろうか?(ちなみに中央区の成人式はパークホテルが会場だったようだ)

               

 ところでハッピーマンデーである。
 ハッピーマンデー制度とはご存知かと思うが、祝日の一部を、従来の日付から特定の月曜日に移動させた法改正である。この適用を受けたのが「成人の日」、「海の日」、「敬老の日」、「体育の日」の四つの祝日である。
 その趣旨は連休とすることで、サラリーマンや公務員には旅行に出かけ易くなるなど、消費行動に結び付くとの期待から法改正がなされたと聞いている。

          

 私が違和感を感ずるのは、特に「成人の日」と「体育の日」の日である。「成人の日」は長い間1月15日と固定されていた。10月10日の「体育の日」もしかりである。
 固定されていることによって、自分の若き日の成人式にも思いを馳せることができたし、東京オリンピックの開会式の晴れた秋空に響く古関裕而作曲のオリンピックマーチも鮮やかに耳に蘇る。

          

 全てを経済合理性で判断し、伝統や慣習をいとも簡単に変更してしまうことはどうなのだろうか?
 あゝ、こんなこと云うと、古い考えに固執するオヤジの遠吠えだ、と揶揄されそうだな…。