田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

そらちフットパスウォーク 24 赤平市 前編

2014-10-01 22:11:17 | フットパスウォーク & トレッキング
空知支庁10市14町では空知総合振興局の勧め(?)で各市町それぞれ1コースずつのフットパスコースを設定し、それをまとめたルートガイドを発刊した。いずれもが各市町の見どころを満載したルートとなっている。私はこの24のコースを時間をかけて、ゆっくりと完歩したいと思い立った。   

炭鉱遺産をめぐり、空知川に憩う赤平ルート 

 赤平市のルートはタイトル通りの炭鉱遺産を巡るルートだった。街からは炭鉱遺産を大切に保存するとともに、炭鉱廃坑の痛手から立ち直ろうとする息吹のようなものも感ずることができたフットパスウォークだった。 

 赤平ルートのスタート&ゴールはJR「赤平駅」に設定されていた。
 この赤平駅が芦別駅とは段違いの豪華さだった。6階建ての堂々としたビルが屹立していたのだ。
 あまりの豪華さに、近くにいたタクシードライバーに「いったい、ホテルか何かが入っているのですか?」と尋ねると、「いや、集会スペースのようなものが併設されている」という答えだった。
 帰宅して調べてみると、「赤平市交流セーターみらい」との合築で建てられた施設だと分かった。

          

    
 駅から国道38号線に出た。この街もやはり閑散とした感じは否めない。
 街並みを見下ろすように山が迫っていたが、その山腹に何やらオレンジ色の造営物が見えた。気になったので近くにいたご婦人に尋ねた。「あれはいったい何なのですか?」と。すると、「あ~ぁ、あれは火まつりの印です」という答えだった。それを聞いて、私の中には不安な思いが芽生えた…。

          
          ※ 山の上にオレンジ色の造営物が見えます。それを見た私の不安は後半的中してしまった。

 国道を行くと、道路沿いに古式ゆかしき建物が目に入って来た。炭鉱最盛期の昭和26年に地元商人が建てた「御殿倶楽部(通称:山田御殿)」である。現在は蕎麦屋として利用されているらしいが、私が訪れた日は休業日のようだった。

          

 続いて道路沿いに警察署があった。その名称が「赤歌警察署」とあった。これはちょっと珍名さんである。「赤歌」とは、ご想像のとおり隣り合った二つの市である赤平と歌志内の警察署が合併した際に採用した名称のようだ。

          

 芦別から赤平の街に入って来たとき、道路沿いに真新しい集合住宅がかなりたくさん建っているのが目立った。そのところに至ったのだが、その脇にはやや年代の経った炭鉱住宅のような建物があった。ということは、古くなった炭鉱住宅を赤平市が住宅対策のために積極的に集合住宅を整備しているのでは、と想像された。事実、近くには「住友炭鉱住宅跡地」という表示があった。

          
          ※ 右側のような集合住宅が道路沿いに数えなかったが5~6棟建っていたように思う。

 ルートは空知川沿いに導かれる。その昔、松浦武四郎が蝦夷地調査をした際に発見した「露頭炭の炭層」を発見したということだ。看板はあったのだが、実際の炭層を見つけることができず苦労したが、諦めかけたときになんとかその現場をカメラに収めることができた。

          

          
          ※ 川の向こうに黒く褶曲している川面に近いところが露頭炭の部分です。

 再び、国道に戻ったところに「旧住友赤平小学校」がある。最盛期には児童数が3,000名を数えたこともあるというが、少子化の波には勝てず今年3月に閉校となってしまったようだ。
 それにしても学校名に「住友」と企業名が冠せられているところに、赤平市が住友炭鉱によって成り立っていたことをうかがわせてくれる。ここには「住友炭鉱歴史資料館」が入っているということだが、見学には予約が必要とのことで見学はならかった。

          

 国道から鉄道線路を跨ぎ、道々227号線に入った。
 この道路は「こもれび道路」と称され、並木が整備された気持の良い道路である。この道路の並木道が他には見られない工夫が施されていた。
 好き嫌いはあるかもしれないが、並木道が植わっているところに雑草が蔓延らないようにゴム製(?)のラバーが貼り付けてあった。なるほど雑草はあまり見当たらなかった。整備が十分に見込めないところにはこうした措置も有効のように思える。

          

          
※ 街路樹が植わっているところが写真のように緑色のラバーで覆われていました。

 続いてしばらく行くと、炭鉱の街を象徴するように「旧住友赤平立坑」が目に入って来た。高さ43.8mの立坑は550mの深さまで鉱員を送ることができ、完成当時は「東洋一」の高さを誇ったそうだ。

          

 その道路向かいには、石炭を掘り終えた鉱員たちが汗を流す「旧坑口浴場」が草むらに隠れるようにして建っていた。

          

 「こもれび通り」は炭鉱遺産目白押しといった感じである。この後も、ズリ山跡、選炭場跡、入気坑跡と続く。恐怖(?)の777段のズリ山上りの様子は後編でレポートする。