田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

札幌ウォークⅡ №4 中央区・宮の森眺望と円山周辺を巡る散策路コース 前編

2010-08-21 16:25:19 | 札幌ウォーク & Other Walk
「札幌ウォーク Ⅱ」とは、札幌市の各区が設定した118のウォーキングコースを完歩した筆者が、次のターゲットとしてさっぽろ健康スポーツ財団や札幌歩こう会、その他民間の機関などが設定した日本ウォーキング協会認定の25(平成22年8月現在)のイヤーラウンドコースを巡ろうとするものである。 

 ずいぶん長いコース名ですが、長い名前に負けないくらい見所がいっぱいのコースを汗だくになりながら巡りました。
 
 このコースはこれまで私が歩いてきたような公の機関が設定したコースではなく、「ボアネージュ」というスポーツシューズと中敷の専門店が設定したコースです。
 我が家から自転車でおよそ15分、宮の森にある「ボアネージュ」で受付を済ませて早速ウォーキングを開始しまた。

        
        ※ ウォーキングステーションの靴と中敷の専門店「ボアネージュ」です。

 ボアネージュが設定したイヤーラウンドコースは4コースあるのですが、この日は「宮の森眺望と円山周辺を巡る散策路コース」(11Km)を選択しウォークすることにしました。

 ウォーキングステーション(ボアネージュ)から藻岩山麓通りを北上しますが、途中になんだか豪奢な建物が目に飛び込んできました。壁には「GARDENHILLS GEIHINKAN」とありましたが、それ以外の表示は見当たりませんでした。帰宅してから調べてみると、どうやら結婚披露宴の会場のようでした。(う~ん。なるほど…)

        
        ※ ちょっと周囲から浮いているかなぁ…、と思われる建物ですが…
 
 コースは「宮の森緑地」に入ります。住宅街の中にポコッと飛び出たこの緑地は「なまこ山」とも呼ばれているようです。

        
        ※ 「宮の森緑地」内の上りの遊歩道です。

 宮の森緑地を降り、「札幌彫刻美術館」(本郷新美術館)を横目に見ながら「大倉山ジャンプ競技場」を目ざします。このあたりはひたすら上りが続きます。
 この日(19日)も晴天で気温が高く、木陰を探しながらのウォークが続きます。

        
        ※ この建物は「本郷新美術館」の方だと思います。        

 「大倉山ジャンプ競技場」はたくさんの観光客で賑わっていました。ここでもやはり中韓台方面の観光客が目立ちました。

        
        ※ たくさんの観光客が目立った大倉山ジャンプ競技場です。        

 ジャンプ競技場を後にして、今度は住宅街目ざしての下りです。途中、聖心女子学院、宮の森中学校を横に見ながら下ったのですが、ここからまた激しい上りがありました。

        
        ※ 丘の中腹に建つ宮の森中学校です。        

 宮の森中を過ぎると方向を変えて、かなり急な上りです。そうした上り坂にもたくさんの住宅が並んでいます。夏季はまだ良いとしても、降雪期の冬はかなり大変なのではないかと思われるほどの坂でした。
 そうこうするうちに坂の到達点に建つ「隆光寺」に到着です。全長11Kmのコースのうち、ようやく4Km地点に到達です。ここで一休憩です。(次回後編を)

        
        ※ 丘を上りきった頂きにあった「隆光寺」です。

《ウォーク実施日 ’10/08/19》


札幌・体験型観光ボランティアガイド養成講座

2010-08-20 21:16:26 | 講演・講義・フォーラム等
 観光ガイドを目ざすつもりはないけれど、より広く、より深く「札幌を知る」ことができるのではないか、と期待しおよそ6ヶ月に及ぶ長丁場の講座を受講することにしました。

                
 
 講座案内に「札幌の自然(植物)」、「札幌の自然(地質)」、「札幌の生活文化」、「札幌の文化」などという文字が躍っていたために、「これは札幌を知ることのできる一つのチャンス」と思い受講申請をしました。

 その第一回講座が8月18日(水)に札幌エルプラザでありました。
 受講者は29名、年齢はさまざまでしたがやはり若い人が多いように感じました。

 第一回目の講座の内容はオリエンテーション的な内容だったのですが、その中で受講者に「講座に期待すること」というコーナーがあり、各自メモしたものが張り出されました。
 すると、やはり多かったのはアウトドアの知識や技術を習得したいというものでした。主催がアウトドアでの活動を通して持続可能な社会を目ざすことを目的としている「NPO法人ねおす」ですから当たり前といえば当たり前のことです。
 しかし、私と同様「札幌のことをもっと知りたい」との願いをもって受講した人も数人いたようです。

 これから来年1月末のスノーシューの実習まで不連続的に12回の講座が続きます。
 果たして最後まで受講意欲を持続できるか不安な部分もありますが、70歳を迎えてまだまだ意欲的な受講者にも出会いましたので負けずに受講していきたいと思っています。

札幌Cafe紀行 26 石の蔵ぎゃらりぃ はやし

2010-08-19 16:10:56 | 札幌Cafe紀行
 店名が示す通り札幌軟石を使った石蔵をギャリーとし、母屋をカフェスペースとしたレトロなティストが魅力のカフェです。

        
        ※ 「石の蔵ぎゃらりぃ はやし」のエントランスです。        
 
 石の蔵ぎゃらりぃ はやしは札幌駅の北側、第一合同庁舎が建つ道路向かいにあります。
 道路から札幌軟石を使った石蔵がとても目立つので店を見つけるのは容易です。

        
        ※ エントランスの横にはギャラリースペースの石の蔵が建っています。

 店内に入ると、全体がダークブラウンの色調でまとめられていて落ち着いた雰囲気を醸し出しています。
オーナーもスタッフもシニアといわれる年代で落ち着きを感じさせてくれます。
ちょうど居合わせたお客さんも落ち着きを感じさせる年代の人たちが多いようでした。

        
        ※ 窓際に設けられたカウンター席です。

        
        ※ カウンター席もテーブル席もご覧のように落ち着いた色調です。

 併設されているギャラリーは1階と2階に分かれていて、二人の方の個展が開かれていました。1階のスペースではペン画が、2階では木工品の展示即売が行われていました。

        
        ※ ギャラリースペースでは展示即売が行われていました。

 さて、オーダーの方ですが、ガイドブックで「ガトーショコラが売り」と出ていたので、「ガトーショコラとブレンドコーヒーのセット」(700円)をオーダーしました。
 ガイドブックでは「どっしり濃厚な」と紹介されていましたが、なるほど存在感のあるココアの味がじわーっと伝わってくるガトーショコラでした。
 ブレンドコーヒーも私の舌には柔らかさが感じられる美味しいコーヒーでした。

        
        ※ コーヒーもケーキも私にはとても美味しく感じられました。

 石の蔵ぎゃらりぃ はやしは、落ち着いた年代の人たちが会話を楽しんだり、ゆったりと時間を過ごしたい向きには最適のカフェと私には映りました。

【石の蔵ぎゃらりい はやし データ】
札幌市北区北8西1-1-3
電  話 011-736-0884
営業時間 10:00~20:00 
定休日  水曜日
座  席 22席
駐車場  あり(5台)
入店日  ‘10/08/12

「棟梁 堂宮大工の世界」展

2010-08-18 12:59:20 | 札幌(圏)探訪
 宮大工の世界を私は「斑鳩工舎」のドキュメンタリーで知ったが、その斑鳩工舎の舎主小川三夫氏の師匠の西岡常一棟梁を主人公とした宮大工展を覗いてきました。 

              
        ※ 「棟梁 堂宮大工の世界」の開催を知らせるパンフレットです。        
        
 「棟梁 堂宮大工の世界」展は7/30~8/29の日程でJRタワープラニスホールを会場に開催されています。
 この会場が田舎者の私には難関でした。先週一度JRタワーまで行ってみたものの会場を見つけることができずに帰ってくるという苦渋を飲まされたのです。よく調べてみると、なんとそれは[札幌エスタ]の11階にあるということが分かり昨日(17日)念願を果たすことができました。

        
        ※ 展覧会会場のエントランスです。(実写はこれだけです)

 会場には唐招提寺金堂を修復した際の木組みの原寸大模型や、寺社の木組みの数分の一の模型など展示されていました。
 目を惹いたのが西岡棟梁の直筆の技術ノートです。非常に繊細な文字と図形は西岡棟梁が精魂こめて仕事に打ち込んでいたことの証のように思えました。
 また、西岡棟梁が愛用した大工道具の数々も展示されていました。

        
        ※ 展示されていた寺社の木組みの模型です。(バンフから)

 展示品の中で西岡棟梁が木片に達筆な字で認めた「寺社工口伝」というものが展示されていたので書き写してきました。

  寺社工口伝

 一 堂塔を建てるには伽藍を念頭におくべ志
 一 用材は木を買はず山を買ふべし
 一 木組は寸法とともに木の性質を木と話し合って組め
 一 木の性質を組むには人の心を組むを要とする
 一 人の心組むは人の非を思はず自らの不徳を思ふべし
 一 工具は物ならず自らが心の尖端と悟るべし
 一 打つ墨縄唯一寸志彌

            昭和五十三年六月吉祥日  西岡常一

 後ろの二行については、あるいは多少の違いがあるあるかもしれませんが、一つ一つの言葉の中に日本の寺社建築の技術を後世に伝えていってほしいという西岡棟梁の切なる願いが込められているような気がします。

        
        ※ 西岡棟梁愛用の大工工具です。(パンフから)
 
 けっしてきらびやかな展覧会ではありませんが、日本の素晴らしい伝統技術を再認識することができる展覧会だと思います。


「古代ローマ帝国の遺産」展

2010-08-17 22:58:04 | 札幌(圏)探訪
 改めて古代ローマの文化の素晴らしさを実感した。悲劇の街ポンペイから発掘された数々の出土品は2,000年前とは思われない精巧さをたたえていた。ポンペイはまた私とって忘れられない特別な街でもある。

              
        ※ 展覧会の撮影はもちろんNGです。写真はパンフレットです。        

 北海道立近代美術館は毎年7~8月にかけて大きな企画展が催されています。
 今年はそれが「古代ローマ帝国の遺産~栄光の都ローマと悲劇の街ポンペイ~」展です。その展覧会が7月3日~8月22日までの会期で現在開催されています。
 
 ところが会場がすぐ間近にあるということは「いつでも行ける」という思いがあるために、混雑ぐあいを見ているとなかなか足を向けることができませんでした。
 重い腰を上げ、まだ観客が殺到しないうちにと今朝開館(午前9時30分)と同時に行ってきました。それでもかなりの人たちが押しかけていて、会場は混雑していました。

 展覧会は紀元前から紀元後にかけて、志半ばで暗殺されたユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)の意志を継いだアウグストゥスが築いた古代ローマ帝国の遺産を展示するものでした。
「第1章 帝国の誕生」、「第2章 アウグトゥスの帝国とその機構」、「第3章 帝国の
富」の三部から構成され、大小の出土品117点かせ展示されていました。

 展示品の中で存在感を誇っていたのは何と言ってもアウグストゥスの「皇帝坐像」でしょう。高さ215cmの白大理石の坐像は堂々としたものでした。
 そして私が注目したのは数多くの壁画です。壁画というと彩色を施しただけの稚拙な絵というイメージが私には強かったのですが、ポンペイから出土された壁画はどれも完成度が高く、また出土状態も良好で、私の壁画感を覆してくれました。

 今から2,000年前というと日本はまだ弥生時代中期の時代区分です。その時代にすでにローマ帝国には素晴らしい文化が出現していたことを改めて認識させられました。特に「第3章 帝国の富」の部でポンペイの人々の生活用具、装飾品などを見せられた時は「2,000年前にこれほどのものが!」と驚かされました。

 今回の展示品のほとんどは紀元後の西暦79年のヴェスヴィオ火山の大噴火で埋まったポンペイから出土されたものがほとんどでした。
 ポンペイというと、今から40数年前に私がヨーロッパ・アジアを彷徨した際に立ち寄ったところでもあります。小さな街ながら水道や集会場、舗装(石で)された道路など都市的な機能が整備されていたことに驚いたことをよく憶えています。

              
        ※ 写真は「豹を抱くディオニュソス」(高さ152cm)の像です。

 間もなく「古代ローマ帝国の遺産」展は幕を閉じますが、こうしたイベントの参加はやはり早く参加してブログ上でレポートするのがいいですね。今ごろ「良かった、良かった」と言っても、このブログを読んでいただく皆さんには何の役にも立ちませんもねぇ…。

札幌Cafe紀行 25 CAFF JIMMY BROWN

2010-08-16 22:09:55 | 札幌Cafe紀行
  いい歳をしたシニアのオヤジ3人が彩り鮮やかなワッフルを頬張っている姿は他から見たら異様な姿かもしれません。私たちはお店のスタッフに勧められるまま「2周年記念ハッピーワッフル」に舌鼓みを打ったのでした。

        
        ※ CAFE JIMMY BROWNのエントランスです。手前が広い駐車場。   

 CAFE JIMMY BROWNは北1条宮の沢通り沿いにありました。
 私たちは例のように講座の受講後に立ち寄りました。
 ダークレッドのようにペインティングされた外壁が特徴で、テラス席も備えたカフェです。
 駐車場も市内のカフェとしては広く用意してあり(9台分)寄りやすいカフェといえそうです。

        
        ※ ダークレッドの柱が印象的なテラス席です。
        
 店内は照明を抑えてあり昼間でも外界から隔絶された雰囲気を醸し出しています。

        
        ※ 店内はご覧のように光を極力抑えています。

 オーダーはブレンドコーヒー(500円)としたのですが、スタッフが「2周年記念ワッフル(780円)はいかがですか?3人でちょうど良いボリュームですよ」と勧められました、
 記念ワッフルとは、「焼きたてワッフルにアイスクリーム、レアチーズ、ベイクドチーズケーキや季節のフルーツがいっぱいのワッフルです」とテーブル上に説明がありました。
好奇心旺盛(?)な私は勧められるままオーダーしました。

        
        ※ この派手な彩りは味わう人を文字通りハッピーにしてくれます。
 
 その「2周年記念ワッフル」は写真でご覧とおりに彩り豊かないかにも女性名喜びそうなスィーツです。アイスクリームとワッフル、ケーキのバランスが絶妙でシニアの私たちにも十分美味しい味でした。
 ブレンドコーヒーも舌に残った甘さをやさしく取り除いてくれるほど良い苦さの味でした。

        
        ※ 私にはほど良い味と感じさせてくれたブレンドコーヒーです。

 ことろで「JIMMY BROWN」という店名が気になって少し調べてみると、「株式会社ジミーブラウン」という飲食業開業サポートやログ建設企画プロデュースなど多展開している会社経営のカフェということが分かりました。
 肝心のJIMMY BROWNという名前については、アメリカの歌手の名前ではなかったかと思うのですが、私が調べたかぎりでは分かりませんでした。私は会社のオーナーがJIMMY BROWNという歌手に心酔していたために命名した会社名かな?と想像するのですが…。果たして真実は?


【CAFFÉ JIMMY BROWN データ】
札幌市西区山の手2-12
電  話 011-788-6677
営業時間 11:00~21:00 (金土日祝は23:00 冬季変更あり)
定休日  なし(冬季変更あり)
座  席 20席(テラス15席)
駐車場  あり(9台)
入店日  ‘10/08/07



久闊を叙する

2010-08-15 19:15:53 | その他
 この言葉はウェブ上で知り合いになった方から教わった言葉です。恥ずかしながら私はこの言葉を知らなかった。あなたはご存知でしたか? 

 辞書を引いてみると、「久闊(きゅうかつ)」とは、「久しく会わないこと。無沙汰。」
 そして、「久闊を叙する」とは、「久し振りに友情を温める」とあった。

 昨夜、私は二十数年来の友人三人と久闊を叙した。
 私たち四人は道東のとある田舎町の職場で出合った。
 私を筆頭として年齢はバラバラだったが、あの頃はみんな一様に若かった。
 意気投合した四人は仕事に遊びにスクラムを組み、何事にも懸命に取り組んだ。

 ただお酒を飲んで楽しむだけじゃ生産的じゃないと、職務に関する自己研修を自らに課して定期的に集まり、その後で楽しいお酒を飲もうと…。
 その頃、NHK北身放送局が主催する北見-網走間駅伝大会というのがあった。陸上の素養もない素人集団がチームを組んで出場した。もちろん成績はいつも後ろの方を走るだけだった。それなのに4年も続けて出場した。大会の後に楽しいお酒を飲もうと…。

 そんな四人もやがてはそれぞれの転勤によってバラバラとなった。
 いつしか誰からか「また集まって語り合いたいね」と提案があった。
 以来、年に一度定期的に集まり、近況を語り合っている。

 年に一度じゃ寂しいと、この度臨時に集まり久闊を叙したのだ。
 久闊と称するには「けっこう集まっているじゃないか」と指摘されそうだが、私にとってはやっぱり久し振りに友情を温めた機会だったと思っている。

 心おきなく語ることができる仲間との語らいは何にも換え難い。
 楽しい語らいだった。そして再会を約した…。

北海道を元気にする!? Part Ⅴ

2010-08-14 11:58:46 | 札幌学 & ほっかいどう学
 ここまで4回にわたって「北海道を元気にする!?」イベントについて紹介してきたが、シリーズの最終回として私なりの考えをまとめてみたい。素人の空理空論にすぎないが、自らの地域について素人なりに考えてみることは悪いことではないだろう。 

 Part Ⅳで自分なりにまとめてみたいと書いたが、このような大きな課題をどのように論述するか迷いに迷った。結果、素人っぽい方法で「誰が」「どのように」「どうするのか」という視点からまとめることを試みてみることにした。

《リーダーの育成》 
 地域の活性化を推進していくにはリーダーの存在が欠かせない。
 それは小さな地域の集まりから、市町村、そして北海道全体をリードする存在まで、それぞれにおいて意欲的なリーダーの存在が不可欠だと思う。
 以前、「一村一品運動」が華やかし頃、北海道各地に意欲的なリーダーがたくさん出現したように思う。私はそうした彼らの何人かと話をする機会があったが、彼らは一様に自らの地域を愛し、自らの実践を進めることにとても意欲的だった。
 それらの中から、上士幌町の熱気球や、置戸町のオケクラフトなどが生まれた。

 そうした熱意は今やどこへ行ったのだろう?
 「一村一品運動」の功罪はいろいろとあるのだろうけれど、私は今一度あのようなムーブメントが必要ではないかと思うのだがどうだろう?

 また北海道の現状を改革することに意欲的な北海道全体をリードするリーダーの誕生も待たれるところである。 

《誰かを頼らず》 
 生討論の中で「中央を頼ろうとする北海道」という指摘があった。つまり何をするにも行政を頼ろうとする北海道民の気質を指摘したものである。行政と連携する、行政に提案していくことは地域の活性化を図るとき欠かせぬ視点である。
 しかし、必要以上に行政に頼っていては地域の活性化も、地域の自立もおぼつかないと思う。全国には中央を頼らず、あるいは行政を頼らずとも元気な地域がたくさんあることが報告されている。
 
 誰かを頼ろうとするとき、そこから自由な発想や闊達な動きに制限が加えられてしまう恐れがある。
 誰にも頼らず、自らの知恵と力で自由な試行錯誤を繰り返すことが地域に眠る未知の鉱脈を探り当てることに繋がると私は思う。

《自立の道こそ北海道を元気にする!》
  日本は今、政治的にも、経済的にも、文化的にも、全てが中央集権的な傾向となっている。したがって中央から離れるほど全てが遅れ、離されていくという構図となっている。
 この構図から脱却することこそ今最も北海道に求められることではないかと思う。
 とは言っても、長年培ってきたこれまでの構図からの脱却は言うほど容易ではないことは誰もが知っている。

 しかし、その萌芽は少しずつではあるが育ってきているような気がするのだ。
 例えば以前は存在しなかったプロスポーツチームが次々と誕生したこと、北海道発の文化人やタレントが育ってきたこと、など文化的な面で中央と比肩するような存在が誕生してきたことがある。
 つまり北海道の自立を論ずるとき、そのトップランナーは文化的な事象からではないかと思っている。そのことを後押しするのが北海道内のメディアであろう。メディアが積極的に後押しすることによって北海道民の意識に変革をもたらすのではないだろうか。

 経済面においても北海道発の元気な企業の誕生のニュースが見られるようになってきた。まだまだ規模としてはそれほど大きなものとは言えないが、若手経済人の活躍はこれからが楽しみでもある。
 残りはこうした動きを支え、後押しするために政治的にも自立の道を目ざしてほしいということである。政治的などというと大げさに聞こえるが、それほど大それたことではなく、北海道の人々が暮らしやすく、北海道発の産業が成長するための基盤整備を北海道独自に作り出していくことではないか。

 もはや「ルック東京」ではなく、「北海道のローカルスタンダード」を確立すべきときだと私は考える。
 
 まったく稚拙の域を出ない私の考えだが、現時点での思いを述べてみた。
 私のように名もない人間が稚拙でもいい、独りよがりでもいいから北海道を元気するために自らの考えを表出する人が増えることが北海道の自立に繋がっていくと信じている。
 これからも「札幌を知る」活動を続け、仲間と学び続けながら、この問題について私なりに考えていきたいと思っている。



北海道を元気にする!? Part Ⅳ

2010-08-13 09:19:32 | 札幌学 & ほっかいどう学
 講師の木村俊昭氏は、ある時はスーパー公務員と称され、またある時は地域再生の仕事人とも呼ばれ、全国を駆け回っている。NHKTV「プロフェッショナル 仕事の流儀」にも出演されたというスーパーな人だった。

        
 
 HTBの「北海道朝まで生討論」が放映された同じ8日に公開講演「北海道を元気にする!」と題する講演会が自治労会館で行われ、知人と共に参加した。
 講師の木村氏は全く未知の方だったが、案内パンフレットで小樽市から農水省に出向している方だということだけは予備知識としてあった。
 しかし木村氏は今や相当に有名な方であることを知り、私の不明を恥じた。
 木村氏は小樽市職員として、小樽の歴史的建造物を活用した全国初のライトアップに関わったり、「ガラスの街・小樽」のブランド化を成功させた手腕を買われ、2006年より内閣官房企画官として出向し、2009年小樽市に復職後間もなく再び農水省の企画官として招請され現在に至っている人である。

        

 主催者から紹介がなかったが、本当の講演題は「地域活性化の動向~農商工連携等の事例を交えて~」というものだった。
 木村氏は自らの事績について触れることはほとんどなかったが、全国で地域が活性化している事例を紹介する中で自らの理念を語っていった。そのいくつかを紹介したい。

《プラス思考でいこう》

 地域の活性化がうまくいっていないところでは、できない理由を並べ立てる傾向がある。自らの地域の可能性のあるところに目を向けよう。木村氏は全てのことをプラス思考で考えるようにしていると言う。

《如の心を持とう》
 「如」という字には「柔和に従う」という意味がある。この言葉の意味するところは、自らの意思はしっかりと持ちながらも、全体の意思にはしなやかに、柔和に従うことが地域の一体感を生み出すことに繋がるという意味ではないかと私は解釈した。

《エレベータートークを心がけよう》
 人に伝えていくときは「わかりやすさ」が一番である。エレベーターに乗っている程度の短い時間で言いたいこの要旨を述べ、相手に理解してもらうことが大切である。

《いい人で終わってはいけない》
 北海道人は「いい人」と言われる。つまり、北海道人は素晴らしい原材料を提供してくれるいい人だというのである。他府県はその素晴らしい原材料を用いて付加価値の高い製品を産出しているのである。

《街全体の最適化を考えよう》
 個別最適化をやっても地域は活性化しない。街(地域)全体がどの方向に、どのような方法で改善し、潤っていくかを考えねば地域の活性化はおぼつかない。

《行政に頼らない》
 木村氏はこうした語録を披露しながら全国各地のさまざまな実践を紹介した。
 その中で鹿児島県鹿屋市の柳谷(やなだん)集落の実践が印象に残った。
 柳谷集落は戸数わずか126戸、人口330人の小さな集落だが、一人のリーダー(豊重哲郎氏)を中心に行政には頼らず、集落としての生産活動を行い、住民の心を一つにし、さらには外から移住する人を迎えるなど注目すべき地域づくりを実践しているということだ。
 ここで学ぶべきは「行政に頼らない」、そして「強力なリーダーの存在」ということだろうか。
 「行政に頼らない」ということは理念としては理解できる。しかし「強力なリーダー」はそうそう簡単には出現しない。

 木村氏には「地域活性の伝道師」として全国を回り、全国の素晴らしい実践を紹介するとともに、全国各地にやる気のある「強力なリーダー」をたくさん育ててほしいと願った。

        

 さて、次回このシリーズ最終回として、このテーマについて現時点での私なりの考えもまとめなければと思っています。しかし、今の時点では何のアイデアもありません。今日これから一日かけて考えてみたいと思います。

北海道を元気にする!? Part Ⅲ

2010-08-12 16:57:02 | 札幌学 & ほっかいどう学
 「北の大地に未来はあるのか」のHTBテレビ「北海道朝まで生討論」は北海道の負の因子を取り除く処方箋として“北海道独立論”に話が進んでいった。 

【北海道独立論とは?】
 さまざまなところで、さまざまな論者が論じている“北海道独立論”であるが、番組では手嶋龍一氏が文化人類学者の梅棹忠夫氏が若き日に著した「北海道独立論」について紹介した。
 梅棹氏は戦後の北海道には二つの道があると指摘した。
 その一つは、政治を機軸としたとき、中央政府からの自立を目ざすのか、それとも従属するのか。
 もう一つは、産業や文化を機軸としたとき、本州の産業や文化から自立するのか、それとも同化してしまうのか。と指摘したというのだ。

        
        ※ 道産子である手嶋氏は北海道の自立論を熱く語った
 
 その後の北海道の姿は、政治的にも、経済的、文化的にも中央にひたすら従属し、同化する道だったと手嶋氏は指摘する。
 従属同化 、なんと屈辱的な言葉だろう。
 ここら辺りに北海道を元気にするヒントが隠されているような気がするのだが…。

        
        ※ 函館市長の西尾氏はやや我田引水的な論に走ったきらいがあった?

【北海道の自立を模索して…】
 「北海道の独立」と表現すると過激に聞こえる向きもあるかもしれないが、意味するところは梅棹氏が指摘するように政治的、経済的、文化的に中央からの自立を意味する言葉として捉えたい。
 その自立がなぜできないのか。
 パネリストたちは「北海道民は危機意識が薄いのではないか」と指摘した。

        
        ※ 政党の論理から逸脱できない紙氏の論には限界を感じた?

 パネリストの一人、松田氏は北海道民の生活レベルはけっこう高いのでそこに満足してしまっているのではないか。しかし、北海道自体は起債収支(国でいうところの貿易収支)の赤字が膨らみ国からの補填も難しい状況の中、北海道自体が外貨(国内において道外から利益を得ることも含めて)を稼がねばならない状況となっていると指摘する。

 そして松田氏は徐々にではあるが、北海道の中にも「何とかしなければ」という機運が芽生え、従属と同化の歴史から脱却し自立への道を模索する動きが出てきていると言う。
 番組で話題に上った農業、観光業はもちろんのこと、注目すべきは松田氏が直接関わるIT産業においても札幌は国内的に注目されるポジションにいると彼は言った。
 こうした胎動に我々は注目していきたいと思う。

        
        ※ どのような話題にも独特の論理を展開した堀江氏        

 番組の最後に田原氏は「北海道の状況は、日本の状況に似ている」と言った。その意味は地盤沈下が著しい日本経済だが政治家も含めて関係者の危機意識が低い状況は、北海道の状況と良く似ていると…。
 そうさせてはならないだろう。それでは北海道が一番最初に沈没してしまう。そうはさせないために官民一体はもちろんのこと、私たち一般庶民もこの問題に深い関心を示していくことが必要だと私は思う。

        
        ※ 良くも悪くも田原氏の仕切りに左右された討論でした。

 次回は、もう一つの講演「北海道を元気にする!」をレポートすることにします。