田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

札幌ウォーク 31 豊平区・月寒ルート

2008-09-28 17:32:26 | 札幌ウォーク & Other Walk
 ラグビーの観戦を終えた午後3時過ぎから、地下鉄「月寒中央」駅をスタート&ゴールとする正式名「月寒・平和公園ルート」(マップ)3.0㎞をウォークしました。

 まず月寒中央駅ある月寒中央通(国道36号線)から「平和公園」を目ざしましたが、途中この日は月寒神社の秋季祭典の日だったようで御輿の巡幸がルート上を通っていきました。
 平和公園は第二次世界大戦の北部軍司令部がこの地に移設されたことから、平和を祈念し名付けられたようです。
        

 平和公園から月寒通に戻る途中に木造の建物があり、そこに「とよひらふるさと再発見」というプレートが設置されていました。そこには「旧たくんち」と記されていました。
 建築家倉本龍彦氏が昭和47年に自身で設計・建設し住まわれた住宅だそうです。「たくんち」とは、倉本氏の子息の名が「琢」と言ったことから、友だち間でその住宅を「たくんち」と呼ばれたことに起因しているのではないかと想像します。
        

 再び月寒中央通に戻り、都心に向かって少し歩いたところで小路に入ります。
 この小路は「洋次通り」と呼ばれているようですが、それは映画の山田洋次監督が、半世紀前の雰囲気を残した建物が並ぶこの小路を「庶民の街の情景がここにある」と絶賛し、ドラマロケ地に選んだことによる小路名のようです。
        

 洋次通りを抜けると直ぐの道路際に大きな松が見えてきます。「「営門の松」と呼ばれ、明治年代この地に歩兵第25連隊兵営がおかれ、その正門前に植えられていた2株の松の1つだそうです。
        

 続いて進むと、月寒資料館緑地が目に入ってきます。その外側の一部にポプラの並木が空に向かって聳えています。
 緑地の一角に時代がかった構えの「つきさっぷ郷土資料館」があります。時代がかっているのも納得です。昭和16年に建設された北部司令官の邸宅を利用したものだということだす。
                

 その後は、住宅街を縫うようにして右に左に曲がりながら、月寒公民館の横を通りゴールの月寒中央駅に戻りました。
《ウォーク実施日 ‘08/09/14》

 いつまで続く長~いトンネル
 コンサドーレが勝てません。
 いつか歓喜の報告を、と観戦記はそのときまで待つことにしていたのですが…。
 いつも厚別まで出かけてはため息を吐きつつ帰途につくことが続いています。
 今日も15分間程は夢を見させてくれました。
 しかし、力の差はいかんともしがたく…。

 それでも私はサッポロに声援を送り続けます。
 “コンサ”は俺たちの街の誇りだから…。


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