保坂正康氏は言います。「江戸時代265年間、一度も対外戦争はなかった。一方で1868年、明治の世になってから1945年までの僅か77年間に大きな対外戦争だけでも6度も発生した。ここには時の政府と天皇との間の微妙な関係性が存在している」と…。
昨日4月29日は「昭和の日」でした。この日に合わせて、北大大学院の城山英巳教授の研究室が主催する「保坂正康氏講演会」が北大学術交流会館で開催され、参加することができました。
テーマは「歴史をどう引き継ぐか~戦後80年と昭和100年の視点~」と題するものでした。
昨日4月29日は「昭和の日」でした。この日に合わせて、北大大学院の城山英巳教授の研究室が主催する「保坂正康氏講演会」が北大学術交流会館で開催され、参加することができました。
テーマは「歴史をどう引き継ぐか~戦後80年と昭和100年の視点~」と題するものでした。

保坂氏は、歴史を後世に引き継ぐことの重要性を次のような事例を示して警告しました。
曰く、「江戸時代265年間の間、内乱も含めて戦乱はほとんど起きていない」ことを指摘しました。この大きな要因を保坂氏は「徳川幕府は、形式とはいえ、朝廷が徳川幕府の当主を将軍に任じ、政治を委ねるという形態をとり、天皇は政治に関与しない」という仕組みを作り上げたことが大きな要因であると指摘しました。この仕組みはある意味、現代の象徴天皇制とも云える仕組みかもしれません。(これは私の感想です)
戦乱がなくなった江戸時代の武士階級は、武術の鍛錬よりむしろ「人格陶冶」に重きを置くようになり、武士らが互いに知恵を働かせ、戦争を避けようとした、と指摘します。

一方で、徳川幕府の幕藩体制に不満を抱いていた薩長をはじめとする下級武士たちは、ペリー来航など海外の圧力にも乗じて、幕府に反乱することによって、1868年「明治維新」を成し遂げました。
明治維新を成し遂げた指導者たちは「江戸時代の知恵を否定し、欧米の軍事知識を半端に取り入れるようになった」と保坂氏は指摘します。そして天皇を頂いて帝国主義へと突入していくのです。
振り返ってみると、明治維新から1945年の第二次世界大戦敗戦までの77年間に日本は大きな戦争だけでも、実に6度もの戦争をしているのです。
具体的に振り返ってみると、
◇日清戦争 1894~1895年
◇日露戦争 1904~1905年
◇第一次世界大戦 1914~1918年
◇満州事変 1931~1932年
◇日中戦争(士那事変)1937~1945年
◇第二次世界大戦 1942~1945年
保坂氏は言います。「江戸時代265年間もの間、戦乱を起こさなかった日本が、明治以降わずか77年間の間に6度もの対外戦争を起こしてしまったことに慄然とすると…。

明治の世になって天皇と政治の関係性が徳川幕府の時代とは異なり、天皇主権の世となり、天皇が絶対権力を持つ存在と位置付けました。しかし、実態は異なっていたのです。
明治天皇は、日清戦争を前にした御前会議で「これは朕の戦争ではない」と発言したと伝えられているそうです。また大正天皇は、戦争は大嫌いで軍事には嫌悪感を持っていたと伝えられているそうです。こうしたこともあり昭和天皇には幼少の頃から周到に教育されたことによって、明治、大正天皇のような思い、発言を封じられたということです。
そして実質的に天皇は、時の指導者あるいは軍部に利用された存在だったと保坂氏は言います。
保坂氏はこうした発言をするにあたって入念に文書などにあたり、確信を得たうえで発言していると言います。
さて、主題である「歴史をどう引き継ぐか」ということについて、保坂氏は「歴史を政治化するのはダメだ」と強調し、次代を引き継ぐ子どもたちの教育をする側の行政、教師たちをけん制します。
事実を事実として伝え、そのことに対して子どもたちが自ら考え、発言していくことが大切である、と強調された。
保坂氏は当年取って85歳という高齢ですが、旺盛な文筆活動は衰えを感じさせません。氏の説得力あるお話は非常に参考になり、意味ある「昭和の日」を過ごせた思いです。
(なお、拙文には事実誤認や私の解釈の違いがある場合もあることをお断りしておきます)