私が熱愛してやまないノンフィクションライターの沢木耕太郎は、日本の行く末は「アジアの静かな中心」であるべきなのではと提起する。沢木にしては珍しく日本の在り方、行く末を示唆する文章に出合った。
新型コロナウィルスの汚染拡大騒動は思わぬ形で私を沢木ワールドに誘ってくれた。彼のエッセイ集「銀河を渡る」を過日買い求めていたのだが、最近は山崎豊子本にはまっていたこともあり、買い求めたままになっていた。それが今回のコロナウィルス騒動で札幌市の図書館も閉鎖になったために新たな未読の山崎豊子本が入手できず、読む本がなく困っていたところ「銀河を渡る」のことを思い出したのだった。
「銀河を渡る」はエッセイ集である。そのエッセイ集の前半に「鏡としての旅人」という項があった。その中で沢木は若き日にアジアを旅したことを語りながら、次のように旅を語っている。
「たぶん私はアジアを歩くことで旅を学んでいたのだと思う。旅を学ぶとは人を学ぶことであり、世界を学ぶことでもあった。」
と…。そしてそのエッセイの後半に、彼の知人でマカオ在住の日本人男性の妻である中国人を紹介している。その中国人の妻が友人たちを連れて日本に遊びに来たそうだ。彼女らは、日本の道路やトイレがきれいなこと、駅員をはじめとして公的な機関やそれに準ずるようなところに勤める人たちの親切なこと、さまざまな場所で出される食べ物が実にていねいにつくられていることに驚きつづけたという。とりわけ日本の果物の輝くような美しさとおいしさには驚きを通り越して唖然としていたという。ひとりの女性などは、桃の甘さに「これは砂糖水を注射器で注入したにちがいない」と言ってきかなかったくらいそうだ。
この逸話を紹介しながら、沢木は次のように言う。
「日本の政治家たちは、依然として沸騰するアジアの中心にいたいと願っているらしい。それはそれで悪いことではない。しかし、アジアで最初に高度経済成長を遂げ、いまはその終焉の中にいる日本にとって、日本の目指すものはあくまでもアジアの経済発展の中心になろうとすることではないような気がする。」
そして沢木はその続きとしてあの三島由紀夫のエッセイを紹介している。そのエッセイで三島は「世界の静かな中心であれ」という一文をしたためたという。
その三島の言葉を借りて、沢木は
「経済成長を目ざしてひたすら驀進しているかのように見えるアジア諸国にとって、日本は『アジアの静かな中心』となるべき存在のように思える。」
と語っている。
沢木はけっして声高に日本の在り方や、日本の政治について語る人ではない。その彼が珍しく日本の行く末について穏やかに示唆する一文を著した。私は、沢木がこうした一文を著す前から、国として成熟しつつも、人口が減少し続ける日本が再び世界経済の中心に返り咲くことには無理があるのではないか、と薄々感じていたところだ。
三島が言い、沢木も言う「アジアの静かな中心」こそ我が国が目指すべき道ではないだろうか、と私も思うのだが…。