ベートーヴェンの第九交響曲の第一楽章の冒頭、あの小鳥のさえずりのようなヴァイオリンの音色が流れてくると「あゝ、今年も年の暮れを迎えたんだなぁ…」という感慨に浸る瞬間である。今年で11回目を数える「札響の第九」を聴いた。
昨夕(12月14日)、札幌芸術文化劇場hitaruで開催された「札響の第九」を鑑賞してきた。私にとって「札響の第九」は2009年に初めて聴いて以来連続11年目となる。その始まりは2009年の拙ブログでルポしている。(https://blog.goo.ne.jp/maruo5278/d/20091226)2009年以来、一緒に聴く友人の数は多少変動したもののクラシック好きの友人がいたこともあって今日まで欠かさず聴いてくることができた。今年は私を含め3人の友人と聴いた。
今年の演奏会で今までと違ったのは、会場が変更になったことだ。これまではずーっと札幌コンサートホールkitaraで行われてきたのだが、今回は前記したとおりhitaruでの開催となった。私たちが購入した席は例によって最安値(3,000円)の3階席だったので、かなり高い位置での鑑賞となった。
「札響の第九」では毎年、第九の演奏の前に15分程度の小作品が演奏されるが、今年は三善晃作曲の「オーケストラのためのノエシス」という曲が演奏された。この曲がクラシック音痴の私を驚かされた。耳障りの良い曲が多いクラシックの中で、あるいは不協和音かと思わされるような耳障りの悪い音が流れたり、曲自体が壊れるのではという瞬間があったり、と「えーっ!」と思うような演奏だった。安定した指揮で定評のある尾高忠明氏が指揮する演奏とは思われないほど冒険的とも思える曲だった。「壊れそうで壊れない」あたりがこの「オーケストラのためのノエシス」だったのか?ちなみに「ノエシス」とは、wikipediaで調べてみると「『考える』という精神作用を指す用語」とあったが、私のレベルでは「なんのこっちゃ?」という感じで「不思議な音楽を聴かせてもらった」という思いが残った。
さてベートーヴェン作曲「交響曲第9番ニ短調op.125『合唱付き』」である。3階の高い位置からの鑑賞だったが、特に違和感なく繊細な音もしっかりと私の耳に届いた。指揮者は前述したように長年札響の音楽監督を務められた尾高忠明氏だったこともあり、奇をてらわず安定した第九を披露してくれたように私には感じられた。新鮮だったのは、ここ数年キタラのP席(ステージ後の席)から聴いていたのだが、正面から聴く120名余りの大合唱が当たり前だが、より迫力ある音として私の耳に聴こえてきたことだった。
※ 私の席(3階席)から開場直後に写しました。ステージを見下ろす感じです。
クラシック好きのH氏によると、会場のhitaruは席によってはステージ全体が見えないところがあったり、3階、4階などはステージを見下ろすような感じになったりと、コンサートホールとしては「いかがなものか?」と疑問を呈したが、私も札幌コンサートホールkitaraの方が相応しいのでは?との思いを抱いた。果たして来年の「札響の第九」はどこで聴くことができるのだろうか?