田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

難しすぎた演劇「半神」

2019-12-01 20:05:49 | ステージ & エンターテイメント

 現代演劇の良さをおじさんが感ずることはもはや難しいことなのだろうか?それほど私には難解を極めた野田秀樹脚本の「半神」だった。打ちのめされた気分でコンカリーニョを後にした私だった…。

            

 今日(12月1日)の午後、生活支援型文化施設コンカリーニョで行われた「総合芸術ユニットえん」の公演「半神」を観劇した。

 観劇の動機は、札幌劇場祭(TGR2019)の観劇券を2枚入手することができたので、数ある公演の中から劇作家、演出家として名高い野田秀樹氏の脚本だということでチョイスしたものだった。もう一枚は過日(11月13日)レポしたミュージカル「Little Step」を観劇した。

 事前のリーフレットには「半神」の内容について「醜いが高い知能を持つ姉シュラ、美しいが頭が弱いマリア。二人は半身を共有しながら存在してきた。十歳を目前に二人の身体は衰弱し、死の危機に直面する。分離手術でどちらか片方しか生き延びさせるしかなかった。生き残ったのは、シュラか、マリアか…」とあった。この文章を読んで私はヴェトナムに生まれたベトちゃん、ドクちゃんのことを連想した。そのことから、あるいは枯葉剤など薬物や化学兵器を告発する内容なのだろうか、などと思いながらコンカリーニョに向かった。ところが案に相違して、私には難解としか思えないようなストーリー展開だった。確かに全体としては案内のようにストーリーは進行しているのだが、私からみると無意味なセリフがあまりにも多くて、それが何を意味するのかまったく理解できないのだ。それが現代演劇なのだろうか???結局70をすぎた親爺にはこの「半神」という演劇が観客に何を訴えようとしたのか分からないまま2時間が過ぎてしまった…。

 はたして脚本が野田秀樹だったから、それとも現代演劇は多かれ少なかれこんな感じなのだろうか?

 「半神」を演出し、演じた「総合芸術ユニットえん」について少し調べてみた。そこには「2015年に札幌で活動する若手役者5人で立ち上げられた団体。舞台作品をメインに年数本の公演を行っている。その他、映像作品なども制作している。団体名の『えん』は様々は意味を持つ。作品によって『えん』の意味が変わる。その根底にあるものは人との繋がりの『えん』である。」とあった。今回の出演者は20名にのぼったが、うち6名は主演の二人をはじめとして客演の方だったようだ。

 これからもできれば機会を見て演劇も楽しみたいが、私の場合は学校演劇にフォーカスして楽しもうかな?と思い始めた…。