ヒトリシズカのつぶやき特論

起業家などの変革を目指す方々がどう汗をかいているかを時々リポートし、季節の移ろいも時々リポートします

長野県下諏訪町の山麓にある八島湿原では、秋の様相を深めています

2014年09月13日 | 旅行
 長野県諏訪郡下諏訪町の北東側山麓にある霧ヶ峰高原の八島湿原は、初秋の風景になり始めています。

 霧ヶ峰高原の北西側に位置する八島湿原(標高は約1600メートル)は、霧ヶ峰高原の主峰である車山(標高1925メートル)の北西側の裾野に広がっています。



 現在の野草の主役の一つはサラシナショウマです。真夏にゼンテイカ(ニッコウキスゲ)などが咲いていた斜面では、小さな花が多数並んでいるサラシナショウマが咲いています。



 黄色い小さな花なので、オミナエシかと思ったら、キオンでした。キク科です。



 初秋に咲く青紫色の美しい花はトリカブトです。根などが有毒成分を持っています。



 タムラソウの花に、アサギマダラが蜜を吸いに来ています。



 真夏には、アサギマダラはあちこちで飛んでいましたが、今回はこの1匹しか見かけませんでした。アサギマダラはほとんどが里山に下り、西に向かう準備をしているようです。

 初秋を迎え、ウドは実をつけ始めています。実はだいぶ黒く色づいています。



 8月初めに、八島湿原のあちこちで咲いていたヤナギランは実を付け始めています(ヤナギランの花が満開なことを、弊ブログの2014年8月11日編でお伝えしています)。実を遠くへ飛ばすための綿毛が目立つようになっています。



 八島湿原は9月中旬を迎え、夏に咲く野草が実を付け始める一方、初秋に咲く野草の花が短い秋を楽しませてくれます。

さいたま市緑区にある見沼自然公園では、スイレンの花がまだ咲いています

2014年09月12日 | 季節の移ろい
 さいたま市緑区にある見沼自然公園では、スイレン(ヒツジグサ、睡蓮)の花がまだ多数咲いています。

 見沼自然公園の中にある大池では9月中旬に入っても、スイレンが岸沿いに花を咲かせています。





 弊ブログでは、大沼でスイレンが満開になったことを、2014年7月10日編でお伝えしています。

 大池には、カルガモが10数羽住み着いています。そのカルガモの群れの中に、オオバンが1羽混じっていました。



 オオバンは真っ黒な身体の羽根の色に、顔のくちばしの上の白い部分が印象的です。

 しばらくしてオオバンの姿が見えなくなったので、探すとスイレンの群生地の中にいました。



 ここで、オオバンは時々、水中に潜っています。

 大沼の水面の上には、多数のトンボが飛んでいます。羽根が美しいチョウトンボが何匹か飛んでいるのですが、ほとんど留まりません。

 枯れたアシに留まったコシアキトンボです。身体の途中の白い模様が目立ちます。



 石の上にシオヤトンボ(と推定されるトンボ)が留まっています。



 大沼の周囲にある雑木林には、野鳥が何羽か来て、さえずっているのですが、茂った葉に遮られて、姿を見ることができません。初秋になって、野鳥が姿を見せているようです。

真保裕一さんの文庫本「アマルフィ 外交官シリーズ」を読みおえました

2014年09月11日 | 
 人気ミステリー作家の真保裕一さんの文庫本「アマルフィ 外交官シリーズ」(発行は講談社)を読みおえました。

 先日、都内にある大手書店に行った際に、真保さんが書いた文庫本「アマルフィ 外交官シリーズ」(2013年1月13日発行)が多数、平積みされていて、最近は真保さんの小説を読んでないので、読んでみようと思い、買い求めました。

 この文庫本「アマルフィ 外交官シリーズ」は、2009年にフジテレビが開局50周年記念事業の一環として製作した映画「アマルフィ 女神の報酬」の原作と思っていました。しかし、その後に、映画のクレジットには原作の“原案”として協力したとのクレジットもなく、いろいろなうわさが飛んだと聞きました(詳細は知りません)。



 この小説「アマルフィ 外交官シリーズ」と映画「アマルフィ 女神の報酬」はいくらか中身が違っていて、この小説は映画のストーリーを単純にノベライゼーション(シナリオを小説化)したものではないとのことだったので、読んでみました。

 文庫本「アマルフィ 外交官シリーズ」は冒頭のギリシャの片田舎の海岸での冒険活劇シーンは、例えば映画「007」シリーズのような派手なアクションシーンです。日本の外務省の“特命”領事である黒田康作が派手な行動で問題を一見落着させます。

 実は事なかれ主義の日本の大使館員とは、まったく異なるはみ出し外交官の物語だと伝える冒頭のエピソードです。

 小説の主人公の大使館員の肩書きは、小説と映画では少し違うそうです。外務省の事務次官の指示で動く特命領事ですが、微妙に違う肩書きのようです(原作の映画を見ていないので違いがわかりません)。

 この冒頭のエピソード後に、イタリアの首都ローマ市に赴任命令が下ります。日本の外務大臣がイタリアに、ある件の調印式で行くため、その警備対策をサポートする任務です。

 そして、ローマ市を観光旅行で訪れてた日本人の女性の娘が誘拐される事件が起こります。イタリア大使館としては、被害者の女性に協力しながら、深くは介入しないという判断でしたが、主人公はまずはイタリア語が話せない女性のイタリア語通訳として介入し、イタリアの警察と“誘拐事件”の対応を図ります。お互いに考え方の違いがあり、対処法を巡ってぶつかります。

 以下は、ミステリーの中身に関係します。実はこの日本人女性の娘の誘拐は、犯人側が警備会社のセキュリティーシステムのサーバー室に入り込むために起こした誘拐劇でした。
 
 主人公の外交官は少ない手がかりから、大手警備会社のセキュリティーシステムが事件のカギと推理し、大手警備会社の中枢にたどり着きます。これが犯人側の狙いでした。

 話は飛んで、最後はローマ市内にあるバチカン市国に引かれた鉄道での活劇シーンになります。この部分は映画と小説ではいくらか異なるようです。バチカン市国がかなり協力しないと、撮影できないシーンです。この点、小説は自由に書くことができます。

 小説「アマルフィ 外交官シリーズ」の第一作は冒険活劇としては面白いですが、途中がやや長い感じです。犯人の意図通りに、ローマから観光名所のアマルフィに行く部分は、ややしまりのない感じです。

 真保さんが小説家になった当初の「小役人シリーズ」のような緊張感のある文章ではない印象を持ちました。小役人は地道な推理作業を積み重ねて行きますが、はみ出しスーパーヒーローの外交官は派手に動く冒険活劇の主人公です。

 この「外交官シリーズ」は次作があるようです。日本では少ない冒険活劇シリーズとして成功するように期待したいと思います。

長野県佐久市望月の山あいでは、ソバの白い花が満開です。

2014年09月09日 | 旅行
 長野県佐久市の望月の山あいでは、稲穂が実る田んぼの中にあるソバ畑で、ソバの花が満開です。

 長野県の伊那市や諏訪市、茅野市、佐久市などの各地の山あいにあるソバ畑では、現在、ソバの白い花がよく咲いています。一面のソバ畑では、満開の白い花が風にそよいでいます。

 本当は、茅野市の山麓のソバ畑を撮影したかったのですが、気に入った場所がなく、佐久市の望月(旧 望月町)郊外にあるソバ畑に立ち寄りました。

 田んぼの中にある割と小さなソバ畑です。田んぼの持ち主農家の自家用のソバ畑かもしれません。





 ソバの白い花の下にある茎と葉は緑色が美しいです。



 ソバ畑を囲む田んぼでは、稲穂が頭を垂れ、黄金色になり始めています。





 近くにあるリンゴの果樹園では、リンゴの実が赤くなり、美味しそうです。リンゴがたくさん実っています。

 信州各地は実りの秋です。

兵庫県西宮市の関西学院大学のキャンパスの校舎群を拝見しました

2014年09月08日 | 日記
 兵庫県西宮市に西宮上ケ原キャンパスを持つ関西学院大学は、今年2014年に創立125周年を迎える歴史ある大学です。

 関西学院大学の本部がある西宮上ケ原キャンパスにお伺いし、正門から中に入ると、日本有数の美しいキャンパスとして有名な低層校舎群と芝生と木々が目に飛び込んできました。





 この低層校舎群は「スパニッシュ・ミッションスタイル」で統一された建物です。赤い瓦の屋根とクリーム色の外壁が特色のスパニッシュ・ミッション・スタイルで統一されています。





 この低層建築群に加えて、同キャンパスは約240種・4万9000本の木々に囲まれています。特徴ある木には、木の名前のプレートがついています。

 このキャンパスの校舎群は2009年(平成21年)に、経済産業省が認定する近代化産業遺産群の一つに選定されているそうです。

 関西学院大学の西宮上ケ原キャンパスに建つ時計台(創立125周年を記念して2014年9月28日=創立記念日からに大学博物館に)などの低層校舎群を設計したのは、日本で数多くの西洋建築を手懸けた建築家のウィリアム・メレル・ヴォーリズ(William Merrell Vories)です。

 ヴォーリズは、米国で生まれて、1905年に滋賀県立商業学校(現滋賀県立八幡商業高等学校)の英語科教師として来日します。キリスト教青年会(YMCA)活動の一環として、外国への伝道への献身を実践するためでした。

 その後、実務家として京都市で建築設計監督事務所(後のヴォーリズ建築事務所)開業したり、建築家のレスター・チェーピン、吉田悦蔵との3人で「ヴォーリズ合名会社」設立します。この経緯から、後に近江ミッション(後の近江兄弟社など」を設立します。近江兄弟社は塗り薬の「メンソレータム」などを販売し、事業として成功します。
 
 そして1929年に関西学院大学の西宮上ケ原キャンパスに建つ低層校舎群を設計しました。日本各地で手がけた西洋建築建物のごく一部に相当します。