ヒトリシズカのつぶやき特論

起業家などの変革を目指す方々がどう汗をかいているかを時々リポートし、季節の移ろいも時々リポートします

日本経済新聞紙の「苦闘11年 マネー敗戦 エルピーダ」を拝読しました

2014年01月20日 | 日記
 2014年1月19日に発行された日本経済新聞紙朝刊の中面に掲載された「シリーズ検証 半導体興亡史」の第三回目の「苦闘11年 マネー敗戦 エルピーダ坂本社長の奔走」を拝読しました。「日曜日に考える」欄のコラムの一つです。

 今回の第三回目は2002年11月に、NEC(日本電気)と日立製作所、三菱電機の半導体のDRAM事業を合体させて再出発したエルピーダメモリ(東京都中央区)の栄枯盛衰の話です。

 日本経済新聞紙のWEb版である日本経済新聞 電子版では、見出し「苦闘11年 マネー敗戦 エルピーダ坂本社長の奔走 巨額投資 カベ高く」として掲載されています。



 エルピーダメモリは2002年2月に、台湾系半導体ファウンドリー会社の社長だった坂本幸雄さんを“再建請負人”として社長に迎えいれました。その当時のNECや日立製作所の社長たちが三顧の礼で、坂本幸雄さんに社長就任を頼んだからです。

 エルピーダメモリは1999年2月に、NEC(日本電気)と日立製作所のDRAM事業を切り出して「NEC日立メモリ」として出発したDRAMの開発・生産専業の会社です。その後、三菱電機のDRAM事業も加わり、日本でDRAM事業の専業企業になりました。

 しかし、事業売上げはあっても事業収支があまり上がらない半導体事業の体質に悩み、外資系や日本の半導体事業部で手腕を発揮した坂本さんに、2012年2月にエルピーダメモリの再建を依頼したのです。

 坂本さんは、日本体育大学体育学部を卒業後に日本テキサス・インスツルメンツ(TI)社へ入社した非技術系出身者です。同社で次第に営業・経営手腕を発揮し、日本テキサス・インスツルメンツの取締役に就任するなどと、経営者としての頭角を現します。その後は、米国のテキサス・インスツルメンツ(TI)の副社長や神戸製鋼所の半導体事業部の本部長などを歴任し、事業収支の変動が激しい半導体事業の世界で注目される経営者になります。

 その坂本社長は、2012年2月に会社更生法の適用申請手続きを東京地方裁判所に出します。何とか事業再開を目指し、法的な整理を目指しました。その後は、紆余曲折(うよきょくせつ)を経て、米国マイクロンテクノロジー(Micron Technology)を再建スポンサーとして再出発し、坂本さんは社長を降ります。

 記事では、「坂本社長がエルピーダメモリの社長を務めた約11年間に、出資・融資・社債をひっくるめて、延べ1兆4500億円の資金を調達し、DRAM事業の建て直しに奔走した」と伝えています。親会社だったNECや日立製作所が事業資金を出し惜しむ中で、この1兆4500億円の資金を調達したのは、坂本さんの手腕としています。

 しかし、記事では米国調査会社ICインサイツによる2013年の設備投資額予測(2012年3月時点)によると、2013年1年間の米国インテル(Intel)と韓国サムソン電子は、そえぞれ半導体事業に130億米ドル、120億米ドルを投資する見通しです。1米ドルを100円と換算すると、1兆3000億円、1兆2000億円になります。エルピーダメモリの11年分の事業投資額を1年間で投入していることになります。これが記事の見出しの「マネー敗戦」の意味です。

 長くなったので、残りは明日にさせていただきます。