ヒトリシズカのつぶやき特論

起業家などの変革を目指す方々がどう汗をかいているかを時々リポートし、季節の移ろいも時々リポートします

横浜赤レンガ倉庫に行ってきました

2010年11月19日 | 旅行
 来年2011年に、創建100年を迎える横浜の赤レンガ倉庫に行ってきました。お昼時に、少し時間ができたので、関内の横浜市の官庁街から、大桟橋(おおさんばし)に近い赤レンガパークまで行ってみました。片道1.4キロメートルのぶらり散歩でした。お昼時で、赤レンガ倉庫の中のレストランやカフェは観光客などで賑わっていました。修学旅行の学生風の集団も多かったです。

 赤レンガ倉庫がある横浜“新港埠頭(ふとう)”は、明治32年(1899年)につくられ、その上屋施設として二号倉庫が1907年に着工し、1911年に竣工しました。一号倉庫は1908に着工し、1913年に竣工したとのことです(二号が早く建てられた理由は不明です。あるいは番号を後で変えたのかもしれません?)。




 建設後は、葉タバコや羊毛、洋酒、光学機器などの輸入品の保管場所として大いに利用されたそうです。横浜港の海外への窓口として大活躍したようです。このため、二号館の裏側には旧税関事務所があったとのことです。一号館の半面に3基の荷役用エレベーター、二号館に2基のエレベーターが設けられたそうです。日本最古の荷役用エレベーターです。1号館には当時のクレーンも設けられたとのことです。広場には、鉄道のレール跡もあります。現在の桜木町駅付近を経て、日本各地に鉄道車両で運ばれていったそうです。


 この繁栄は1923年9月1日の関東大震災によって一変します。一号倉庫は半壊し、倉庫は縮小されたそうです。もちろん、補強工事を施して再開されました。

 第二次大戦後に米軍が接収した後に、1956年ごろに接収が解除され倉庫として再び利用されました。しかし、近代的な本牧埠頭が台頭し、1989年に倉庫としての役目を終えました。その後、横浜市が1992年に赤レンガ倉庫を国から買収し、安全性などの補強工事を施し、2002年4月に文化・商業施設として再開発したそうです。二号館は、1階の半分と3階がレストランなどの飲食店街です。1階の半分と2階が衣料やアクセサリーなどの個性的なお店です。3階には眺めのいいバルコニーがあるとのことでした。一号館は、3階に音楽や演劇などが楽しめるホールを設けてあります。街おこしの成功例です。

 この横浜赤レンガ倉庫から関内の中心部の官庁街に向かう途中に、横浜市の「キング」など三塔が一望できる場所がありました。海側から見る「キング」(神奈川県庁)と「クイーン」(横浜税関)、「ジャック」(横浜市開港記念会館)は港町ヨコハマを感じさせます。


 クイーンは海側から見た方が美しいと思います。

 黄色く色づいた銀杏並木まで戻ると、約3キロメートル歩いたことになりました。ちょっとしたぶらり旅でした。横浜はもうクリスマスの化粧を始めている感じでした。


 “ぶらタモリ”を実践するには、かなり予習が必要だと思いました。