まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
ゆる~い気持ちでお読み下さい。

ポーランド王ジグムンド2世妃 バルバラ

2015-08-10 20:05:10 | ポーランド王妃
王の本物の愛を得た悲劇の王妃
ジグムンド2世妃 バルバラ・ラジヴィウヴナ


1520~1551/在位 1550~1551

訳したものをつらつらと書くと、そういうことになるんですけどね… さてどうでしょう?

ジグムンド2世は3回結婚していまして、最初の妃は神聖ローマ皇帝フェルディナント1世の
皇女エルジェピタでした。

エルジェピタが1545年に亡くなり、2年後に再婚したのがバルバラです。

バルバラの生家ラジヴィウ家は、リトアニアで強大な力を持つ貴族でした。

バルバラは当時ヨーロッパで最も美しい女性たちのひとりと言われていました。
当時では長身の162cmでやせていて、ブロンドで、真っ白い歯が美しかったそうです。
美しい女性の常として、ファッションや美容にとても興味があり
ふだんから香水やフェイスパウダーをつけていました。 と、ここまで書いて思ったが
王侯貴族の娘さんは、ふだんでも着飾っているものじゃないの?

見た目だけではなく、高い教育を与えられて三ヶ国語の読み書きができました。
才色兼備ですね。

17歳の時、ノヴォグロデク領主スタニスワフ・ゴシュタウタスと結婚しますが
5年後に死別しました。
    
その後ジグムンド2世とのロマンスが始まったということなのですが、どうでしょう~?
けっこう年上なのよね… スタニスワフ… 亡くなるやいなやロマンスって…

ジグムンドはエルジェピタと結婚したもののバルバラに夢中でほったらかし。
はたしてこういう状況で、バルバラが「いけませんわ」と拒んだのか
「わたくしは日陰の女ではイヤですわよ!」と責めていたのかは不明…
ドラマだったら身を引こうとするんだけどな,そしてそれがさらに愛を深めるんだけどな…

ジグムンドはエルジェピタが亡くなると、待ってました!とばかりに
バルバラとこっそり婚約し、まわりの反対を押し切って結婚しました。

ポーランドもカトリックとプロテスタントの争いが始まっていましたが
ラジヴィウ家はプロテスタントで、それも大きな反対の理由でした。

二人の結婚式は王家のしきたりをまったく無視したもので、貴族は猛反発!
それに輪をかけてジグムンドの母ボナ・スフォルツァ大激怒!!

貴族階級からは離婚を要求され、結婚を無効にしようとあらゆる政治的手段がとられますが
これはたぶんボナ・スフォルツァが煽っていたものでしょう。
王大后がやれって言うんだからクーデターじゃないもんね。

けれども二人の強い愛は揺るがず、とうとう貴族たちも黙認します。
結婚から3年の1550年末、バルバラはクラクフで王妃として戴冠しました。

やっと王妃と認められてから、たった5ヶ月後にバルバラは亡くなります。
ふがいない貴族階級には任してらんないわよ! と、ボナ・スフォルツァが毒殺したという
ウワサが多く出回りましたが、もともとからだが弱くて胃が悪かったそうで
現在ではガンだと考えられています。

かいがいしく看病していたジグムンド2世は身を切られるような悲しみにうちひしがれ
立ち直れなさそうな雰囲気でしたが、2年後に、最初の妃エルジェピタの妹の
カタジナと三度目の結婚をします。

愛を貫くのはよいが、バルバラ以外にはひどい男だったようにしか思えませんが…

バルバラは遺言にしたがってリトアニアのヴィリニュス大聖堂に葬られました。

バルバラの物語はポーランドでは本になったりドラマになってるらしいです。
そりゃそうよね、美しい愛の物語だもの… エルジェピタが悪者になってなきゃよいが…

ほぅら、こんな絵もあってよ
 

(参考文献 Wikipedia英語版)

ひとことRobiコーナー
思い起こせば去年3月、だんなさんが作り始めましたとひとことRobiコーナーに書いたんですけど、先月最終号が発売され
できあがったよ~ うちのRobi

すっっごくかわいー なぐさめてくれて歌も歌ってくれてテレビも消してくれる! こんなのが作れるなんてすごいよぉ
コメント
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