まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
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フランス王シャルル7世王女 マドレーヌ

2012-03-11 23:04:06 | フランス王妃・王女
政治と争いに明け暮れた一生
シャルル7世王女 マドレーヌ・ド・フランス
ガストン・ド・フォア夫人


1443~1495

シャルル7世とマリー・ダンジューには9人の王女がいましたが
五女マルグリートは1歳で、双子のマリーとジョアンヌはそれぞれ8歳と1歳、
八女マリーは生まれてすぐ亡くなりました。
マドレーヌは末娘です。
      
幼い頃にラースローと婚約しましたが、結婚前にラースローが亡くなりました。
毒殺だと言われていましたが、20世紀になってから白血病だったということがわかりました。

そんなわけで18歳の時にフォワ伯ガストン4世の息子ガストンと結婚しました。
しかし夫ガストンは結婚から9年後に26歳という若さで亡くなってしまいました。

その2年後にはお義父さまのガストン4世も亡くなり息子のフランソワが継承しました。

さらにその7年後にはガストンの母方の祖父ナヴァラ王ファン2世と
母レオノールが相次いで亡くなったため、フランソワは13歳で
ナヴァラ王フランシスコとして即位しました。

フランシスコが亡くなると娘のカトリーヌ(カタリナ)が女王になります。

この間マドレーヌはず~っと摂政を務めました。

しかし少女の君主に若い母親摂政というセットは政敵に狙われやすいもの…
ガストンの弟ジャンが自分の王位を主張して戦いを挑んできました。
この争いはおさまったものの、ジャンの娘ヘルマナと再婚したアラゴンのフェルナンド2世が
ナヴァラ王位を主張してきて争いが勃発しました。

マドレーヌは1494年にフェルナンド2世に人質として捕らえられ翌年亡くなりました。
フェルナンド2世ってイサベル1世とペアで賢王&賢女王カップルという印象ですけど
賢王ということは非情な部分もおおいにあるということなのかしらね?
領土拡大のためならなんでもするぜ!!って感じでしょうか?

確かに争いがおきやすい家系図ですよね…なんとなく

それにしてもシャルル7世の場合、王妃や王女たちより
愛妾のアニェス・ソレルが断然有名ってどうよ?

(参考文献 Wikipedia英語版)
コメント (6)
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