不協和音の中で、どれ位、私は佇んでいられるだろう、
と、フと思う。
武満徹やジョンケージが活躍した時代、
前衛音楽が現代音楽といわれていた時代‥。
「実験音楽」は哲学的で、芸術的で、宇宙的だった。
不協和音というのは、予知しない音、
自分にとって未知の音源である。
だから、音の洗礼を受けるように、時には
不協和音の中に、漂ってみる。
自分にとって、美しい心地よい旋律ばかりが、
あふれているわけではない。
<調和>と思っている和音も、
いつも、心に安定をもたらすとは限らない。
不協和音との組み合わせによって、ハッとする
輝くような、美しさを感じることがある。
音のことから、私たちには、既知のことの方が
はるかに少ないという事実を認識する。
ゆえに、いつだって既知だけで、
世界を割り算してはいけないのだと思う。
そのためにも、あえて不協和音の海を泳ぐ。
そして、人も又、1人人1人違って当たり前なのだから、
地上に立つ人達よ、
不協和音にたゆたう進化を、遂げよ、と思う。
不協和音にこそ、生命の躍動を感じてみる。
地球のふところの深さが、伝わってくるようだ。
そう、宇宙では、どんな音も私たちに聞こえてこないと
すると、今、空気を伝わり聞こえてくる音という音は、
地球上で生きる、多様な私たちの姿を、鏡のように
映しているのだといえるのだ。
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はるかに少ないという事実を認識する。
ゆえに、いつだって既知だけで、
世界を割り算してはいけないのだと思う。
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そして、人も又、1人人1人違って当たり前なのだから、
地上に立つ人達よ、
不協和音にたゆたう進化を、遂げよ、と思う。
不協和音にこそ、生命の躍動を感じてみる。
地球のふところの深さが、伝わってくるようだ。
そう、宇宙では、どんな音も私たちに聞こえてこないと
すると、今、空気を伝わり聞こえてくる音という音は、
地球上で生きる、多様な私たちの姿を、鏡のように
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