ちょこっと本音

自分のこと、趣味のこと、ダイエットのこと・・・
心の声をちょこっと文字に。

私の3.11

2015年03月11日 | myself

四年前の今日、仕事中に地震はきた。
かなり大きかったはずだが、部屋の中はファイルも倒れず、状況がわからないまま、窓の外をみると、何人もの人が出てきている。
その後テレビをつけて、震源地等を確かめるが、よくわからない。
その日は、たまたま早く帰った社長から電話があり、仕事を切り上げて電車があるうちに帰るようにとの指示があったが、まだ、事の重大さは把握していなかった。

そしてどうやら電車が止まっているらしいということがわかったが、私は歩いて帰れない。
歩いて帰れる人は帰ったが、帰れない一人が会社に泊まると言った。
その人と二人になるのは嫌だったので、都内に借りているマンションまで歩いて行った。
途中、パン屋でクッキーを買う。
マンションの近くまでバスで行こうとしたが、バスが満員。
それでもなんとかバスに乗れ、後は徒歩でマンションに着く。

ドアを開けたとたん酒の匂い。
冷蔵庫が倒れて、中に入っていた梅酒の瓶が倒れていたのだ。
それを片付けたり、本を片付けたりしてようやく寝る場所を確保。
母に電話したら、近所の人がパンを持ってきてくれたりしたとのことで、ちょっと安心する。
脚が悪い母を、こんな日に一人にするのは心配だが、帰れないのだからしょうがない。

テレビをつけて、ようやく事の重大さに気づく。
でも次の日になると電車が動くだろうと思い、その日は就寝。
朝早くだとまだ電車が動いていないと思い、昼ごろマンションを出る。
クッキーで朝ごはんを済ますことになるが、買っておいてよかった。

家まで直通の電車にのれた。
だが、その電車も途中北千住駅で止まってしまった。
そこからは、つくばエキスプレスが動いているとの情報が入ったので、そのホームへ移動。
しかし、ホームへの階段で、すでに人がごった返していて、ホームにたどりつけない。
疲労もピークだが、これに乗らなければ家に帰れない。
またマンションに戻るのにも人の波の中で動きがとれない。
電車を3台やり過ごして、ようやく乗ることができた。
これでまた乗り換えて、自宅の最寄駅に到着。
あとはタクシーで帰る。

家へ帰り、無事だった母の顔をみて安心する。
倒れている家具はなかったが、食器棚の中の食器が崩れ落ちて粉々になっているものがあり、
扉を開けるとガラス片がこぼれおちてくる。
それを片付けてたりして、ようやく人心地がつく。
あとでわかったのだが、床に置いておいてあったノートパソコンの液晶が壊れてしまい、修理費がかかったということ以外は、大きな被害はなかった。

テレビは地震のニュースを繰り返し繰り返し放映している。
みていると切なくなってくるが、何もほかのものはやっていない。
このとき唯一やっていた公共広告の放映にホッとしたものだった。

また、地域ごとに停電もあった。
その日は早く帰り、夕食を早く済ませ、暗闇でじっとしているしかなかった。
私たちより、大変な目に合っている人がたくさんいるのだから、そのぐらい我慢しなくてはと思ったが、停電の無い地域もあったので、電力供給のためとは思うが、なぜ、ここだけ?と思ってしまう。

あれから4年経ち、地震、災害の備えを一応しているが、食料の確保をしていなかったので、生協でリッツの長期保存缶を買った。
水はある。簡易トイレもある。
あとは薬を肌身離さず、準備しておこう。
家で地震にあうとは限らないから。
そして帰宅困難者のための施設が、会社近くにもあることを知った。
そこも一応確認してこなければ。

いつ何があってもいいように、とは思うけれど、いつの間にか気が緩んでしまう。
自分だけは助かると思うのはやめよう。
最低限の準備だけはしておこう。

コメント
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