学校教育を考える

混迷する教育現場で,
日々奮闘していらっしゃる
真面目な先生方への
応援の意味を込めて書いています。

学校のICT化の「推進」

2010-06-19 | 教育
学校のICT化を推進する議論が盛んである。

これらの議論で疑問に思うのは,
ICTを「活用」し「推進」することが
前提になっていることである。

学校でICTを活用せず,推進しない可能性が
はじめから除かれているのである。

これはなぜだろうか?

それはさておき,ここでは活用せず,
推進したくない側の言い分を書いてみよう。

よくさまざまな電子機器を学校に導入したが,
使われずに眠っているなどという話を聞く。
あたかもそれが教師の怠慢であるかのように語る人もいるが,
実際はそうとばかりも言い切れない。
現場感覚で,「使えない」と感じる場合が多いのである。

例えば,教室内に設置されるプロジェクタや
電子黒板などをみても,
さまざまな可能性があるように見えて,
根本のところで,教材提示装置としては未成熟である。

黒板とチョークその他
従来からある教材提示法のもっている柔軟さやすきま時間の創出,
もろもろのアナログの人間的な安心感は,
まだ現在のICT技術では実現できていないと思う。

現在のところ,教室のICT化によって,
新しくできるようになったと実感できることはあまりない。
いままで使っていたもので,十分対応できるばかりか,
むしろ,学習者にとっても安心である場合が多い。

欧米で普及しているからといって,
それがそのまま日本で有効であるとは限らない。
例えば,これは私の実感にすぎないが,
日本語の文字は,
アルファベットと比べて画数が多く複雑なために,
プロジェクタ等に移された文字がちょっと小さくなると,
認識するのに疲れてしまうのである(老眼のせいも多々ある)。


ともあれ,
学校のICT化を,
本当に「推進」すべきなのかどうなのか,
メリットとデメリットを勘案して,
もっと慎重に「検討」すべきであろう。




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5 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
映画と同じ…? (taketyann)
2010-06-20 13:06:32
こんにちは。ご無沙汰しています。

これまでICTを活用してきた者としては、大いに不満があるのですが(笑)、同時にICTのデメリットについては仰るとおりだと思います。

プロジェクタや電子黒板を使えば、確かに今までできなかったことができるようにはなります。集中力の続かない発達障害の子にも、視覚的な情報は有効です。

ただし、そのための準備にかなりの手間や時間がかかるという事実については、あまり触れられていません。様々な利点を差し引いても、実際の所、全ての教員が日常的に授業に使えるほど、ICTは身近なツールには成り得ていないのです。


例えて言うなら、ICTは映画における特殊効果(VFX)のようなものです。CGを多用すれば、一見派手な作品を作ることはできるけれども、それで映画の質が決まるわけではない。

昔の名画といわれる作品には、特殊効果など一つも無いものがほとんどですが、それが作品としての評価に影響を与えることがあるでしょうか。「CGを使わなければ映画じゃない!」などと言ったら、映画界からは嘲笑を浴びるだけでしょう。でも教育の世界では、そういうことが平気で語られてしまう。


安心感についても、(残念ながら)仰るとおりです。機械的なトラブルで大事な授業中、何度肝を冷やしたことか…。

使わないのは教師の怠慢、という人がいるのなら、せめて各教室にパソコンとプロジェクターを1台ずつ設置するぐらいの条件整備をしてから言ってほしいですね。

最近流行りの電子黒板にしても、学校に1台しかない物を、どうやって日常的に使用しろというのでしょうか。毎日の食事を作るのに、わざわざ倉庫から杵と臼を運んできて餅をつけ、というようなものです。包丁とまな板のように、いつも傍にあってすぐに使える状態に無ければ、日常の仕事の道具としては使い物にならないのです。電子黒板が埃をかぶるのは当然の帰結でしょう。

教育委員会だって、そのことに気付いていないわけではないでしょうが、電子黒板の購入が政府の景気対策だったりするから、無理やり活用策を考えたりして話がややこしくなる。


教育予算の少ない国なのですから、費用対効果の面を真剣に議論すべきです。地震で倒壊の危険のある校舎や悪臭の漂うトイレを直すことよりも、ICTの方を優先すべきなのかどうかを。



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Unknown (madographos)
2010-06-20 18:04:47
>taketyann様。ご無沙汰しております。コメントありがとうございます。いつもながら,がさつなエントリーに対して,いつもながら丁寧なご意見を頂戴し,恐縮しております。
 ICTが有効に機能するためには,ICTをどのように用いるのが本当に効果的なのか,ICTを用いないほうが効果的である可能性も排除しないで,冷静に判断していくことが大切だと思っています。それが本当の意味でICTを生かすことにつながると思います。
 予算配分のお話,まったくもってその通りだと思います。
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学校のICT化を子どもたちから見て ()
2010-06-20 20:36:50
 たしかに教育予算上から発生する課題は多い。けれども、学校のICT化はお金や教員サイドから論じるよりも、子どもたちがこれから生きていく社会(ユビキタス社会)に目を向けた議論がなされるべきではないかと思う。
 現在そしてこれからの社会では、ほとんどの職業において、また日常生活でもパソコン等の機器操作が必要となる。時代は後戻りしない。子どもの頃からICTを活用する能力の育成は、これからを生きていく者にとって必要です。
 話は変わりますが、インターネットで研究紀要などを閲覧したことがあるでしょうか。学問追求は時間のない中でもインターネットにつなげれば可能となりました。ネット上にはさまざまな情報があふれており、垂れ流しの状態です。惑わされない情報検索の仕方、著作権を侵害しない情報活用は、教えなければならないことです。
 さらに話が変わりますが、高齢者になり自宅から出ることが困難な身体状況になっても、インターネットにつなげれば食事を配達してくれる、そんな時代はすぐそこです。孫が使い方を教えてくれるかもしれません。
エントリーとは離れましたが、周辺に関することを書いてみました。
 
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Unknown (madographos)
2010-06-20 21:31:25
>み様。コメントありがとうございます。現在の社会状況からいって,子供たちにメディアリテラシーや,ネットマナー,ネットのセキュリティーに対する姿勢を身につけさせる必要はありそうですね。ただ,未来社会についての展望に基づく教育は,あまり意味のあることだと私は考えていません。将来ユビキタス社会になるというのは,ひとつの楽観的仮説に過ぎないように思います。むしろ,学校教育は,未来がどんな社会になろうとも生きていけるように準備させるものであるべきであろうと思います。
 なお,頂いたコメントの内容がエントリー内容とずれる場合,公開しない場合もありますので,その場合はご了承ください。
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専門ゆえに賛同します (tsuguo-kodera)
2015-11-07 18:20:50
 ICTは私の50年以上の専門担当領域でした。論旨も説明もすべて賛同いたします。
 私は高校や大学や高専でサラリーマンの傍ら20年以上教えてきました。一度もICT技術もシステムも使ったことはありません。
 大学では自分が書いた教科書だけ、高専ではアメリカの先生が書いた論文の輪講、今は高校では薄板に書いていますが高々100文字以下です。
 その程度しかできない、理解しない、集中できないのが今の若者です。ICTで自習するなど臍でお茶を沸かせる話です。
 流石ですね。ICTの専門家と思えない管理人様なのにICTしか担当しなかった70の男と同じような考え方を披露するのだからです。
 やはり人はセンスと感受性と好奇心が大事なのでしょう。先生はありません。勉強した先生ほどこれらの大事な特性が欠けているように思えて仕方がありません。
 やはり日本の教育はお陀仏、精々個人の塾や家庭教師が生き残るのだと思えます。残念ですが私も南無阿弥陀仏で失礼することになるでしょう。
 その時は笑っておさらばいたします。再度、ありがとうございます。だって私の代弁者のようだからです。
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