学校教育を考える

混迷する教育現場で,
日々奮闘していらっしゃる
真面目な先生方への
応援の意味を込めて書いています。

全国学力調査についての素朴な疑問

2008-09-19 | 教育
全国学力調査の結果の公表をめぐって
いろいろと話題になっている。

よくよく考えてみると,
もしもこの調査が,
「学力」の向上を目指しており,
そのための努力を
学校や教育委員会に求めるものであるのならば,
学校教育の地域や保護者との連携を重視する
文部科学省の施策から言って
学校・地域・保護者が情報を共有して,
「学力」向上の方策を考えるというのが妥当であろう。
情報がある機関だけに独占されているというのも
何だか妙な話である。

もしも,結果を公開することが
学校や地域間の過度の競争をあおり,
教育上望ましくないというのであれば,
悉皆調査など行うべきではなかったのである。

悉皆調査を行っておいて,
結果の公表を制限するというのは
無理があるのではないか。

それはさておき,
本当に,義務教育段階の「学力」を
保証したいのであれば,
全国学力調査で一定基準に達しなかった児童生徒は
小学校あるいは中学校を卒業させず,
原級に留め置くというのが最も効果的である。

基準に達するまで,
きちんと国が無償で教育を受ける権利を保障し,
ゆっくりと学ぶ権利を確保すべきである。
それでこそ,「個に応じた教育」である。

「学力」が高いか低いかは,
学校の教育の結果でもあるであろうが,
児童生徒の個別的な問題でもある。

もともと,義務教育学校は,
「学力」をその修了の根拠とはしていない。
在学年限が事実上の修了の根拠となっている。
ある期間在学すれば,
義務教育は終わったものとみなしているのである。
つまり,同年齢集団である年数,
生活を共にして(あるいは在籍して)
学校生活を送ることが,
すなわち,義務教育を受けたということなのである。

「学力」をつけることを
義務教育の目的であるとするならば,
「学力」が基準に満たない者に
義務教育修了の認定はできないはずである。

そのあたりのあいまいさがある限り,
全国学力調査に実効性は乏しいであろうし,
現在のやり方では
あまり意味がないのではないかとさえ
思えるのである。


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28 Comments

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多分初めてコメントします (masaki)
2008-09-20 14:39:16
madographos 様、初めまして。

前段の文章、全面的に同意します。
何のための、誰のためのテストなのでしょうか。

後半の「原級留置」も同意します。
私の「原級留置」についての駄文を披露させていただきたく、勝手にアドレス貼りますm(_ _)m

日本の小学校に留年を
http://www.ariori.com/diary/2008/06/24/

失礼ついでにもうひとつ。

日本に於ける PISA の母集団と、フィンランドの教育課程について考える。
http://www.ariori.com/diary/2007/12/08/
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Unknown (madographos)
2008-09-20 20:43:26
>masaki様。はじめまして。コメントありがとうございます。学年制と「学力」はそもそも完全には両立しないので,そのあたりをすっきりさせることが必要なのだと思いますが,どうもそのような考え方は我が国では受け入れられないのでしょうか。フィンランドなどは,そのあたりがすっきりしています。PISAを金科玉条のようにしている教育界も問題ですね。全く同感です。
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子どもの立場で考えてみると・・・ (kurazoh)
2008-09-20 21:39:58
madographos様の文脈では、「原級留置」賛成派ではなく、

>「学力」をつけることを
義務教育の目的であるとするならば,
「学力」が基準に満たない者に
義務教育修了の認定はできないはずである。

という主張をもとに学力調査を反対されているだけでは?
特別支援教育への視野をお持ちの方でしょうから、インクルージョン教育に価値が置かれる時代に、「原級留置」措置の主張はさすがに・・・。

一人一人の子どもの立場で考えてみると、市町村レベルのデータなどどうでもよく、個別の学力分析を学校側がきちんと行い、その成果をかえしていく=さらなる学力向上を図ることが学校側の使命ではないでしょうか?・・・もちろん、十分満足な結果が出続けたとしたら、教育への信頼も高まるので、そのときは不要になると思いますが。
現に、問題のレベルが低すぎて、参加に意義を見いだしていない学校は実施していません。
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話がそれますが・・・ (yo)
2008-09-21 06:14:02
ピントがずれるコメントで失礼いたします。

先日、研究会で「体力」の話題がでました。

「体力テスト」に関係して、すぐに話が広がりました。

この「体力」も、実は「学力」と同様、その定義をどうするのかで、大きく教育の内容、解釈が異なって来るという話になりました。
「体力テスト」なんて行えば、その「体力」が逆に規定され、体育教育の内容が歪む歴史的な事実も話題にのぼり、経験の少ない私には有意義な話でした。

ここでいう「学力」の規定は、そんなものを想起させます。

この記事を読んで、たいしてコンセンサスのとれていない「学力」に振り回されているのは、実はそれを操ろうとしている側「も」なのかもしれないとも思いました。

時流に振り回されない云々は以前のこちらでのエントリにもあったとおりで、私もやはり愚直に変わらない部分を保ちたいと思いました。
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Unknown (madographos)
2008-09-21 08:46:59
>kurazoh様。コメントありがとうございます。「特別支援教育への視野」と全国学力調査を支える論理との間に矛盾をお感じになりませんか。そのあたりの整合性を吟味しないことが問題なのです。ちなみに,kurazoh様のお好きなフィンランドは,義務教育段階でも留年があるそうですね。
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Unknown (madographos)
2008-09-21 08:53:08
>yo様。コメントありがとうございます。「たいしてコンセンサスのとれていない「学力」に振り回されているのは、実はそれを操ろうとしている側「も」なのかもしれない」,まさにおっしゃるとおりです。「学力」という言葉に振り回されず,「人格の完成」をこそめざすべきだと思います。
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Unknown (kurazoh)
2008-09-21 17:35:30
>kurazoh様のお好きなフィンランドは,義務教育段階でも留年があるそうですね

学校や教師が基本的な信頼を得ている国では問題にならないことでも、今の日本でこれをやったらたいへんなバッシングがおこるでしょうね。

全国学力調査を支える論理をmadographosさん流ではなく文科省が設定しているねらいに即して考えると、より総合的な分析が可能になると思われます。
それも結局学校次第なのですが。
学校側が「学力」のかたちを自律的に整える、よい機会であるとは思われませんか?
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Unknown (madographos)
2008-09-21 19:08:07
>kurazoh様。コメントありがとうございます。「学校が「学力」のかたちを自律的に整える」のに全国学力調査が意味をもっているのであれば,私立学校の不参加率が上がっているのはどうしてでしょうか。
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Unknown (kurazoh)
2008-09-22 01:25:58
私立学校の多くはすでに自校の「学力」のかたちを持っているからでしょう。
それが正解といえるかどうかはわかりませんが。

公立学校でも、総合的な学習の時間の全体計画など、その学校の「学力」観がよく見えるものはあります。
その検証にも役立てることができるでしょう。
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Unknown (madographos)
2008-09-22 01:55:21
>kurazoh様。コメントありがとうございます。
 おっしゃるとおり,「「学力」のかたち」というものは学校が独自に整えていくものです。逆に「正解」といえるものがあるとするならば,学校が独自に整えるべきではないということになります。全国一律に「正解」である「「学力」のかたち」に統一すればよいだけです。
 全国学力調査を,「総合的な学習の時間」の検証に使うというのはちょっと無理があるのではないですか。
 それと,以前頂いたコメントに対しての補足を2点述べます。
 「一人一人の子どもの立場で考えてみると、市町村レベルのデータなどどうでもよく」ということになると,全国学力調査は必要ありませんね。
 義務教育段階の原級留置について,「学校や教師が基本的な信頼を得ている国では問題にならないことでも、今の日本でこれをやったらたいへんなバッシングがおこるでしょうね」というのは変ですね。義務教育段階の原級留置は,現在の教育法上も可能ですから,制度運用の問題です。学校が「学力」をつけるところであるならば,この問題は避けて通れませんし,バッシングなど大した問題ではありません。教育関係諸学会をはじめとするあれだけの反対があったにもかかわらず,教育基本法の改正すら行えたのですから。
 
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