学校教育を考える

混迷する教育現場で,
日々奮闘していらっしゃる
真面目な先生方への
応援の意味を込めて書いています。

市場化と学校

2006-03-19 | 教育
学校に市場原理を導入しようとする議論がさかんである。
学校に市場原理を導入するということの意味について考察してみたい。

学校という組織に市場原理をあてはめると,
保護者と生徒が顧客であるということになる。
ところがこの顧客は,一定の年限で顧客ではなくなるので,
学校としては,
現在の顧客に対するサービスよりも
新規顧客の開拓に力を注ぐことが必要になる。

さらに,新規顧客は学校選択に際して,
数値化されたデータ(偏差値や進学率,スポーツなどの戦績)と
イメージを基準にする。
学校は,いきおいデータとイメージの改善に力を注ぐことになる。

とくにデータは一朝一夕には改善できないので,
イメージ改善が至上命題となる。

そのため,まずは広報によるイメージ改善に精力を注ぎ,
お金をかけたパンフレットやポスターができあがるのである。
イメージ改善のためには,パフォーマンスも必要である。
地道な教育実践を続けて良質な教育を提供するよりも,
教育効果もさだかではない新しい教育を導入したと宣伝するほうが,
広報価値が高い。

さらに,新規顧客に好まれるよい学校イメージというのは,
実は案外画一的である。
いろいろな学校のパンフレットやHPが
驚くほど似かよっているのはそのためである。

そこにおいて教師は,現存の顧客を少なくとも怒らせず,
学校イメージをそこなわない教師であることが求められる。
つまり,人当たりがよく批判的でなく従順な教師である。
授業力は,顧客から批判が来ない程度でよい。

なぜなら,新規顧客は,
「あの学校,いい授業してくれるらしいよ」という価値基準では
決して学校を選ばないからである。
むしろ,
「あの学校の説明会にいったけど,
 感じのいい先生が多いね」というほうが,価値が高いのである。

批判力のある個性の強い教師や,
地道な教育実践の重んずる教師,
伝統を重んじる地味な教師や
学識や授業力にすぐれてはいるがあくの強い教師は,
敬遠されることとなる。

かくして市場化によって
実は学校の個性化などは進まず,
学校の没個性化がすすむのである。

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7 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
究極の市場化 (木村正司)
2006-03-21 17:38:50
「あの学校,いい授業してくれるらしいよ」という価値基準では

決して学校を選ばないからである。

むしろ,

「あの学校の説明会にいったけど,

 感じのいい先生が多いね」というほうが,価値が高いのである。



この感覚がまったく違うように見えるのですけど、私の場合、高校ですが、高校はもう偏差値の高い生徒がどれだけいくか、ということが単に指標です。そういう意味で言えば、担当教員がどうの、なんてどうでもいいんです。やはり、大学進学、いわば「東京大学幻想」というモチベーションがもっとも高いようにみえますが、いかがでしょうか。東京大学幻想を東京大学=いい会社というパターンだとしたら、いなかは特に近年このモティベーションをかなり高めています。他方で、おそらく、この財政事情ですから、大学の次は高校の独立法人化がなされると思いますね。いまの公立学校の先生の給料をいじするための増税に応じるとは思えませんから、国民が。そうなったときに、二極化すると思いますね。いま、東京大学ではじつは、パイプの機能がかなり薄れていることが問題になっています。3割近くの学生が就職できていいないとききます。早稲田慶應のマンモスでは同様に職がこれまでのようには分配できないとすれば、実質の能力とは何なのかという流れは加速することが予測されるわけです。いま、やありコネなんですね。佐藤俊樹がいうように。しかし、その二極化のむこう、つまり、下の極に至れば、これからどんどん教育予算を値切ることが予想されるわけです。そのときに、若いこと、従順なこと、こういうことを単位とした学校が確実に誕生する。学校のさくらや、山田電気ですね。これは、もう、近いと僕はみています。そうしたときに、公立学校が教育委員会のグリップをどう左右されるのか。あんがい、離さないんですね。地方では高校ではまだまだ公立なんです。それが、どうなっていくのか。私はそのさいの市場原理になったときに、はじめて私学も私学の実をとわれ、予備校の参入問題と直面するように見えます。いま、河合塾高校では人は集まりません。しかし、河合塾が静岡高校を買収したらまちがいなく人は集まります。そして、それは、たんなる広報どまりの問題ではなくなると思います。進学校の保護者はよく見ています。最後にバカな消費者がいるから、バカな商品が買われるという議論がじつはなされます。お金をとっているのだから、学校はどんなに逆立ちしても教育活動の対価、報酬としてカネをとっているわけです。そのさいのカネをとっているという次元を見ない議論ってなんでしょうか。
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Unknown (ほり)
2006-03-21 21:34:54
>>「あの学校,いい授業してくれるらしいよ」という価値基準では決して学校を選ばないからである。

むしろ,「あの学校の説明会にいったけど,感じのいい先生が多いね」というほうが,価値が高いのである。



こんにちは。私の場合は、これ、ものすごく、納得いきました。

進学校と言っても、トップ校以外だと、今の状況で食うに困ってない家庭は、親も子どもも結構気楽に考えます。「勉強ばかりじゃなくて、部活も友達付き合いもしたいよね。楽しい高校生活が送れると良いね」が学校選びの基準になります。(ウチなんかその典型。)

返信する
幻想の視座 (yo)
2006-03-22 00:45:52
私等は小学校ですから、就業へのイメージなんて、目の前の小さい子どもを前にたいして具体的に抱けませんが、学校を進学、就職、しかも勝ち負け付きの通過点程度と考えるのならば、木村さんの議論もありなのかな?と前のエントリーから読んでいました。

疑問点は、現在の大学、高校生が、その尻馬に乗る事を全員希望し、競争にのってくるかというと、物理的にも精神的にもどうなのかな?という点。



>かくして市場化によって

>実は学校の個性化などは進まず,

>学校の没個性化がすすむのである。

は、すでに起こっている事実ですよね。

これは構造的には、現場レベルで独自のリードをとれる人が保障されていない結果だと思います。

割と「教育改革」に積極的な校長は、画一化を嗜好しますね。



市場原理って、弱者への責任転嫁ってことですよねぇ。
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多様性の欠如 (木村正司)
2006-03-22 10:56:55
yo様

なんか人様のブログを借りて討論もなんだと思ったのですが、お申し越しのとおりだと思います。実は、市場化といっても、多様性がみこめない、したがって、いわば政治経済分野の用語で言う弱者に目が届かなくなる、という、いいかえれば、選択肢が進学という一点でしかない、という絶望的な問題があるのです。こういう二つの事実を指摘したいと思います。■いわゆる、その地区の有名進学校は少ないわけですね。考えようによっては、選択肢はきわめて少ないのです。しかし、それから下の学校は数の上では多いわけです。選択肢としては選べるはずです。ところが、下の学校へ行けば行くほど、いきたいから来たという人数が減ってゆくことになるわけです。■入試の内実はいえませんが、選抜をみていると、たとえば、私の学校は単位制です。いわば、学年制の否定から出来上がってきたわけです。ところが、そこの職員はあいかわらず学年制で不適応な生徒を排除しようとするわけです。■問題は、市場化などというのですが、多様な供給も多様な需要も存在しない。それはもちろん、独占段階以後の経済システムの不可避の現象ではあります。でも、やはり、何といっても、日本社会では敗者復活はきわめてしにくいし、多様な価値の存在も見込めません、じゃあ、需要側に選ばせないのか?供給側を規制で受け入れさせるのか?しかし、それは

「君はあそこに住んでいるからあそこの商店で買え」に等しくなるわけです。■まとめますと、市場原理が弱者に不利になり、責任をただ転嫁させるシステムになっている、それでも、財政上そうせざるをえない、そこで市場原理、とこういう論理が事実として貫徹していこうとしていると思いますね。
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Unknown (madographos)
2006-03-22 22:53:38
>木村正司様。コメント2通ありがとうございます。

生徒から集めたお金を,(学校のためでなく)その生徒の教育のためにどのくらい使っているかということが,その学校なり地方公共団体なりの見識を示すであろうと思っています。
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Unknown (madographos)
2006-03-22 22:55:26
>ほり様。コメントありがとうございます。

学校選択の基準は,案外情緒的な部分が多いのではないかなと考えています。
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Unknown (madographos)
2006-03-22 23:07:09
>yo様。コメントありがとうございます。

どうせ市場原理を言い立てるのであれば,すべての校務について,細かい手当支給を求めたいとさえ思います。教師の子どもたちに対する無償の愛情をいいことに,奉仕が当たり前というところだけはそのままにしておいて,校務は増加の一途ではやってられません。ぐちです。
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