学校教育を考える

混迷する教育現場で,
日々奮闘していらっしゃる
真面目な先生方への
応援の意味を込めて書いています。

原級留置をめぐって

2008-09-23 | 教育
我が国の義務教育は,
9年間と定められているので,
学齢期を過ぎれば,義務教育は終了する。

ところが,
法律上は原級留置が可能になっているので,
義務教育の終了は,中学校の卒業とイコールではない。


かつてのイギリスのパブリックスクールでは,
原級留置が一般的で,
何度も同一学年を繰り返すということがあったが,
一定年限が来ると卒業になるというシステムを
とっていた学校があるようだ。

つまり最上級学年に到達しないでも卒業できるわけである。

これは,なかなか面白いシステムだと思う。
学力については,当然,原級留置されるが,
生活の面については,パブリックスクールで
一定年限生活したことをもって卒業とするというのである。

なかなかおおらかな制度である。

学校の機能に対する考え方は,
国によって異なるが,
その考え方が,学校制度の在り方に反映されている。

我が国の場合,
義務教育学校はほとんどが実質的には年齢主義であり,
原級留置はほとんどなくなってきている。
ということは,学校で生活を共にする(あるいは在学する)と
いうことに実質的には卒業認定の根拠があるということになる。

このことはとりもなおさず,
我が国の義務教育学校が,
生活学校であることを示している。

ところが,最近「学力」を
ことさら重視する考え方が出てきている。

「学力」が大切なのはもちろんであるが,
それが学校において最も大切かというと,
議論は分かれるであろう。

もしも,「学力」を個に応じて最大限伸ばすということを
学校に対して要求するならば,
原級留置と飛び級がセットで導入されるべきであろう。
それが最も合理的である。

もしも,学習も含めた生活全般を身につけることが
目的であって,「学力」はその一面にすぎず,
「学力」の伸びは個々の子どもが,
限られた時間の中で伸び得る範囲でよいとするならば,
原級留置も飛び級も必要ない。

一体何を学校に求めるのか,
制度的な整合性が求められているのである。



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3 Comments

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Unknown (kurazoh)
2008-09-23 17:19:55
madographos様
かしこまりました。
いつも私のブログでは扱っていることなのですが、
今回のようにおかしな前提が生まれてしまう原因について私なりに分析し、後日記事にしたいと思います。
もちろん、私の主張として、ということです。
返信する
Unknown (madographos)
2008-09-23 11:18:23
>kurazoh様。コメントありがとうございます。「道徳教育を」以下の文,「問題なのは」以下の文は,kurazoh様の主張ですから,コメントの範囲を超えています。ご自分のブログで展開なさってください。
返信する
学校や教師に求められていること (kurazoh)
2008-09-23 11:07:25
原級留置の必要性を、二分法で論じること、そして、

>「学力」を個に応じて最大限伸ばすということを
学校に対して要求する

ことと、

>学習も含めた生活全般を身につけることが目的であって,「学力」はその一面にすぎず,「学力」の伸びは個々の子どもが,限られた時間の中で伸び得る範囲でよい

という二つの観点で述べることが適切なのだろうか、という感想をもっています。

なぜなら、そもそも『学習も含めた生活全般を身につけることが目的であって,「学力」はその一面にすぎ』ないのは当然のことであって、だからといって、
「学力」を個に応じて最大限伸ばす努力をしなくてよいというわけにはいかないからです。

>最近「学力」をことさら重視する考え方が出てきている

のと同時に、道徳教育を重視すべき考え方も出ていていますね。「学力だけ」が重視されているわけではありません。
その「学力」も、基礎・基本の習得部分だけが重視されているわけではありません。
これからの社会を生きていくのに、問題解決力を図っていく能力の育成が強く求められていますが、その能力は「学力」の中に当然含まれています。

問題なのは、「限られた時間の中で伸び得る範囲」が学校や教師の力量によって異なっていることであり、その格差を是正することが、「学校において最も大切
」なこと、「学校に求められていること」ではないでしょうか。
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