聞き上手
2008-09-24 | 教育
前にも,同じようなことを書いたことがあるのだが,
もう一度考えてみたい。
私の知っている学識・人格ともに
優秀な人物を見ていると,
彼らは決まって聞き上手である。
相手のいうことに耳を傾け,
正確に理解しようとする。
自分のもっているものさしに
あてはめようとするのではなく,
相手のものさしのあり方を
読み取ろうとする。
結果,彼らは自らのものさしを損なうことなく,
多様なものさしを身につけることになる。
よく批判的思考力が大切だなどというが,
中途半端な批判力ほど
たちの悪いものはない。
相手の思考のあり方を
まずは受け入れることができる懐の広さが,
己のものさしを振り回すより大切なのではないだろうか。
初等中等教育においても,
先賢の多様な考え方をよく吟味して与え,
それをまるごと受け入れ,理解させる訓練も
必要なのではないかと思われてくるのである。
もう一度考えてみたい。
私の知っている学識・人格ともに
優秀な人物を見ていると,
彼らは決まって聞き上手である。
相手のいうことに耳を傾け,
正確に理解しようとする。
自分のもっているものさしに
あてはめようとするのではなく,
相手のものさしのあり方を
読み取ろうとする。
結果,彼らは自らのものさしを損なうことなく,
多様なものさしを身につけることになる。
よく批判的思考力が大切だなどというが,
中途半端な批判力ほど
たちの悪いものはない。
相手の思考のあり方を
まずは受け入れることができる懐の広さが,
己のものさしを振り回すより大切なのではないだろうか。
初等中等教育においても,
先賢の多様な考え方をよく吟味して与え,
それをまるごと受け入れ,理解させる訓練も
必要なのではないかと思われてくるのである。
「聞き上手」になっていだけることを期待してしまったのですが。
「まるごと受け入れ,理解させる訓練」というのは、子どもの立場で考えると、「自分のもっているものさし」が使えず、「相手のものさし」を強要されることになるわけですね。
そうではなくて、考えや意見の交換を通して、自分や相手のものさしにどのような価値があるか、課題があるかを自覚させることが必要ではないかと思います。
「対話」が認識を深め合う基本になるのではないでしょうか。感想です。
どうしてこのエントリーの内容が,「「相手のものさし」を強要される」という読み方になるのか,不思議です。
子どもが「考え方」「ものさし」を受け入れるとき、それが「丸飲み」にならないようにするのが(それらが「多様な」ものであるならなおのこと)教師としての役割であり、内容もさることながら方法についても十分な吟味が必要だと思われます。
先賢の多様な考え方をよく吟味して与え,
それをまるごと受け入れ,理解させる訓練も
必要なのではないかと思われてくるのである。
初等中等教育とはまさに「ものさし」作りの場であるといっても過言はないと思います。
知識も少なく、考察力も備わらないうちから思考も批判もできません。
小学生や中学生というのは「自分のものさし」を作るために学ぶのですから、私はmadographosさんのご意見を支持いたします。
そしてまた、自分のものさしを持つことができれば、相手の考えもよく理解でき、受け入れられるのだと思います。物事を多面的に見ることができる人は安易に批判などしないものです。