教師としてどうあるべきか,ということは,
教師自身の職業倫理として自戒すべきことである。
それは,教師の自律性に関わる問題でもある。
ところが,
教師を取り巻くさまざまな教師ではない人々から,
「教師とは○○であるべきだ」という発言を聞くことが
多くなった。
しかし,その○○が,その教育現場の教師からみると,
妥当性を欠いていることもまた多いのである。
そのようなとき,
教師はどのような態度をとるべきであろうか。
とにかく,
「○○であるように努力します」と言って対立を回避するか,
やはりはっきりと,
「いいえ,教師は○○であるべきではありません」と言うべきか。
もし,後者のような言い方をすれば,
最近の風潮からいって,
「教師たる者が何たることを言う」というような怒りを買うことは,
必至である。
しかし,
教師は自ら顧みて教育者として正しいと思うことは,
はっきりと言わなければいけないのではないか。
それ以前に,
自らの人間としての尊厳を守らなければならないのではないか。
そして,
誠実に安心して仕事のできる職場をつくるべきではないか。
教師自身の職業倫理として自戒すべきことである。
それは,教師の自律性に関わる問題でもある。
ところが,
教師を取り巻くさまざまな教師ではない人々から,
「教師とは○○であるべきだ」という発言を聞くことが
多くなった。
しかし,その○○が,その教育現場の教師からみると,
妥当性を欠いていることもまた多いのである。
そのようなとき,
教師はどのような態度をとるべきであろうか。
とにかく,
「○○であるように努力します」と言って対立を回避するか,
やはりはっきりと,
「いいえ,教師は○○であるべきではありません」と言うべきか。
もし,後者のような言い方をすれば,
最近の風潮からいって,
「教師たる者が何たることを言う」というような怒りを買うことは,
必至である。
しかし,
教師は自ら顧みて教育者として正しいと思うことは,
はっきりと言わなければいけないのではないか。
それ以前に,
自らの人間としての尊厳を守らなければならないのではないか。
そして,
誠実に安心して仕事のできる職場をつくるべきではないか。
自分が「全ての教師は自分の思う通りであれ」と思っているのだ、ということに自覚的ではないのでしょうね。
「あなた(たち)は○○であるべきだ」と言われ続ける社会よりも「わたし(たち)はこうありたい」と胸をはれる社会に私は暮らしたいです。
他者からの「○○であるべきだ」とういう強制にさらされた大人(親や教師)に育てられる子供が、自然に自律性のある大人に育つとは考えにくいと思うのですが、教師や親に「○○であるべき」と強制しようとする人たちはそのあたりどう思っているのか気になるところではあります。
『「私(たち)は」教師としてどうあるべきか』ということを日々の実践の中から考え続け、それを発信しているブログ主様の姿勢に共感を抱きつつ、このようなブログが匿名でなければやりづらいという現在の状況への憂いを感じます。
私は教育はアマ、創造性と企画には自負心あり、経験はシステム開発かも。だから実名で問題はありませんでした。
子供の時に学校の先生になりたくなかった原因がここにもあったのかもしれません。
私は承認しコメントを掲載していただけるだけで感謝しています。本当に他意はありません。
ここで、私はやはり変わり者なのだと思ってしまいました。また南無阿弥陀仏と言って、昔の先生方に謝るしかありません。