「教育に政治が介入するとき」(雑誌『世界』5月号)

2012-04-14 14:19:51 | 私の愛読書

今月の雑誌『世界』の特集、「教育に政治が介入するとき 大阪の『教育改革』批判」は、注目すべき特集だ。

尾木ママこと教育評論家の尾木直樹氏と東京都立三鷹高校の元校長の土肥信雄氏との対談はおもしろい。土肥さんは、都教委の現場への厳しい管理・統制に異議を唱え、校長退職後は、都教委を相手に訴訟を起こした先生で、非常に優れた教育実践家である。

両氏は、東京の教育現場が(全国にも広がっているが)、モノがいえなくなり、ひどい言論弾圧が行われていることを訴えている。それが、2003年の「日の丸・君が代」の厳格化を求める「10・23通達」と2006年に職員会議で挙手や採決をしてはいけないという通知をだしたことで拍車がかかったことを述べている。

教員を徹底的に管理することで、自主的に考えることのできない子どもたち、お上に従順に従う子どもたちをつくりだそうとする意図が見え見えだ。子どもたちにとって、いい先生との出会いは、生涯の財産となる。人生を左右するだけの影響力がある。しかし、マニュアル化した先生ばかりでは、そうはならない。

教育の現場に競争を導入すれば、教員の質も生徒の学力も上がるという信仰から、早く脱却しなければならない。

かつて、日本の教育は、世界から高く評価されていた。1970年に来日し、日本の教育について視察・点検してとりまとめたOECD教育調査団の報告書では、こう述べている。

「われわれは自分たちの国に比べて、初・中等段階での日本の成果がいかに大きいかに、深く印象づけられた。…日本の人々に役立つようなことをこちらから指摘したり、示唆するよりも、むしろわれわれ自身の方が学ぶべき立場に置かれている」「日本は、15歳まで、すなわち中学校段階まで、差別的な教育はやらないように細心の努力を払ってきた国の一つである。コースの分化を避け、…優秀な子どもには、おくれた仲間の学習を助けさせるという中学校教育のあり方は、もっとも魅力的で人間的な教育の特質として、われわれの心をとらえた」

今日、うらやましくさえ感じる北欧諸国の教育の一つの参考例が当時の日本にあったということだ。ところが、その日本は、いまでは国連の子どもの権利委員会から「日本の教育は競争的過ぎて、子どもたちが発達障害を起こしている」と3度も警告を受けているのだ。

子どもたちは、未来からの使者であり、人類の希望だ。教育の問題を決して為政者の思い通りにさせてはならない。