現実の根本に迫る「科学の目」が人々の心揺さぶる

2016-08-01 11:18:45 | 科学的社会主義

昨日の東京都知事選挙の結果は、私たちにも幾多の課題を投げかけた。参議院選挙の結果と合わせて、今後、いろいろな場所で、議論され、総括されるのだと思う。私は、物事の真理を明らかし人々に伝える作業は、いかに困難な活動なのか、この間の選挙戦を通して実感している。

それだけに、あらためて科学的社会主義の哲学、経済学を落ち着いて勉強し、物事に一喜一憂せずに仕事をしたいと思う。

 

以下、選挙期間中に「しんぶん赤旗」日刊紙に掲載された、山田敬男さん(労働者教育協会会長・現代史家)の投稿です。

 


哲学(学問)は、真理に接近する喜び

2016-07-31 16:16:59 | 科学的社会主義

ドイツの哲学者ヘーゲルはこう言っている。

「哲学とは、人間の無数の有限な目的や意図から解放して、人間をそれらに対して無関心にする」。

難しい言葉だが、哲学は何に関心をもつかといえば、真理にのみ関心をもつ、ということ。だから、お金があるとかないとか、そんなことはどうでもよいことであり、いわば真理に接近する喜びを味わうのが哲学である、つまり哲学する以上の喜びはない、とヘーゲルは言いたいのだと思う。

ヘーゲルが活動していた1820年代までは、自然科学、社会科学、人文科学を全部総合して「哲学」と呼んでいた。その後、1830年代に、自然科学と社会科学などの実証科学は独立し、哲学は真理探究の方法論としてのみ、存在することになった。だから、ここでヘーゲルが「真理探究に接近する喜びを味わうのが哲学」といっているのは、「哲学」を「学問」と言い換えてもいいだろうと思う。

それはともあれ、あまりいろいろな日々の雑念に囚われすぎずに、また選挙結果や政局に一喜一憂せずに、常に真理を探究し、それを社会変革の実践に活かしていきたいと思う。まずは決意だけ。

 

 

 

 


恐慌論、未来社会論…学びつつ考える日々

2016-05-04 22:24:23 | 科学的社会主義

 

 この2ヶ月間は、「資本論」第三部を第15章まで再読(利潤率の傾向的低下の法則の部分)、主に恐慌論や資本主義から未来社会への必然性などを考えるために、不破哲三さんの「古典教室」「資本論 発掘・追跡・探究」「資本論はどのようにして形成されたか」、広島県労学協の高村是懿さんの「資本論の弁証法」、近代経済学者の水野和夫さんの「資本主義の終焉と歴史の危機」、雑誌「経済」2015年1月号「21世紀の資本主義 限界論と変革の課題」の諸論文などに目を通してきました。

 マルクスの恐慌論は、不破さんが「資本論」研究の中で発見した「恐慌の可能性」「恐慌の根拠」「恐慌の運動論」、高村さん流にヘーゲル論理学の言葉でいえば、「恐慌の抽象的可能性」「具体的可能性」「恐慌の現実性」となるのでしょうか。そのことはある程度整理はできたと自分では思っているのですが、問題は「一般的利潤率の傾向的低下の法則」をどう捉えたらいいのか。ある時期までマルクスが囚われていたように、この法則を恐慌の原因とする考え方はマルクス自身によって乗り越えられたのは理解できるが、では、この法則を単なる数字の上の法則として、恐慌とは無関係なものと片づけていいのか。水野和夫氏が著書の中で、「利潤率ゼロ=金利ゼロ=資本主義の死」といっているくらい、利潤率の低下は資本家にとっては脅威であり、それだけにその「制限」を乗り越えるために、「電子・金融空間」を創造し、利潤のあくなき追求に突き進むのではないのか、などと考えを巡らせています。いまも。

 

 さて、いま盛んに言われている資本主義の「終焉論」「限界論」ですが、その「限界論」の限界は、未来社会論がないことです。未来社会=ソ連の失敗という歴史の現実を見て、「社会主義は失敗した」という思い込みが広範にあります。その点で、日本共産党の綱領には、未来社会の基本は「生産手段の社会化」であり、「国有化」ではないことを明記しています。いま大事なことは、その「生産手段の社会化」の内容をいかに豊かに議論し語るのかということ,それにとどまらず、本来の社会主義の理念を明らかにすることではないかと思っています。

 鰺坂真さん(関西大学名誉教授)は、以下のように述べています。

「われわれの問題としては、地域・職場におけるあらゆる場面における民主主義の観点が強化されることが決定的に重要である。“生産手段の社会化”というときにも、いきなり国有化ではなく、たとえば職場における労働者の経営参加などから始まって、職場における民主主義の発展・企業の社会的責任を果たさせる問題、あらゆる場面における男女の共同参画、などなどを推進せねばならない。それらは、職場における労働運動だけでは実現困難であり、国政革新など政治の改革なしには実現できないであろう。未来社会(社会主義社会)の展望は、そのような広範な民主主義の発展を基礎に切り開かれていくものであろう。未来社会への展望を見いだせない論者は、社会主義といえばソ連型の中央集権型の民主主義を欠いた形でしかイメージできていないのではないか。私たちは民主主義の発展の延長線上に未来社会を展望しつつあることを強調しておきたい」(「経済」2015年1月号P45)。

 

 

 

 

 

 

 


変革の時代と「資本論」

2016-04-11 14:54:29 | 科学的社会主義

今月の雑誌「経済」5月号は、「マルクス経済学のすすめ2016」「変革の時代と資本論」と題して、大特集が組まれています。

それがなかなか面白い。

今宮謙二さんの巻頭論文「資本論の魅力」。今宮さんといえば、銀行で働いた経験もあり金融論が専門です。面白いのは、マルクスも実は投機をしたことがあるということ。貧乏人のマルクスと株とはちょっとつながりませんでしたが、1864年に一度アメリカの公債とイギリスの株式で相場をやって400ポンド以上儲けたとのこと。「敵側から金を巻き上げるためには少しくらい危険をおかしてもよいでしょう」(ちょっと過激ですね)とオランダ商人の叔父に手紙を書いています。「もう一度やる」といっていたけれども、投機取引をした証拠もないし、翌年からはまたエンゲルスの経済援助を受けていたことから、やったとしても失敗したのではないかと、今宮さんは推測しています。マルクスは、翌年以降、「銀行および信用は、賭博とペテンの推進者」と「資本論」で記述していることから、自分の失敗の体験からこういう結論を出しているのではないかと。

さて、昨今、世界的な貧富の格差が大問題になっています。パナマ文書というものが暴露され、名だたる政治家が税逃れをやっていることが明らかとなりました。(氷山の一角でしょうが。)

将来の株や国債、外国為替の上下を見込んで利潤を上げようとするマネーゲームが世界を窮地に追い込んでいます。かつて、1998年の「ロシア経済危機」の直後、アメリカのサマーズ財務副長官は、ロンドンの国際会議で当時の日本の榊原財務官に「世界は地獄に落ちつつある」というメモを渡したと報道されました。日本でも、国民の年金の積立金を株式市場に投資し、8兆円もの赤字をつくり出しました。ものづくりを放棄し、手っ取り早くマネーゲームで利殖するという「投機資本主義」は、人類の発展にとって、もはや最大の障害物となっています。

いつまでも、我慢しているわけにはいきません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


マルクスと友達になろう

2016-02-28 19:31:43 | 科学的社会主義

昨日は、民青の学習合宿に講師として参加し、不破さんの「マルクスと友達になろう」をテキストに科学的社会主義の話をしてきました。時間が限られているので、哲学と経済学だけでしたが、参加者のみなさんは、熱心に話を聞いてくれ、活発な討論をしていました。

あらためて、テキストを読んでいろいろ考えながら準備をしましたが、資本主義社会は搾取の仕組みが見えないために、自己責任論が浸透しやすい社会であることを確認しました。資本主義では、搾取の現場から次の時代の担い手が誕生すると不破さんは解説していますが、搾取の仕組みをはじめ、資本主義社会の構図を勉強することなしに、次代の担い手は自動的には生まれないことも現実です。自然発生的に声をあげはじめた若者をどう育てるかは、私たちの運動の切実なテーマです。

討論の中で、いま学校現場で、自分の頭で考えるのではなく、ただ教師のいうことを、素直に何の疑問ももたずに聞くだけの、従順な子どもたちを育てようという圧力がものすごく強まっていることが出されました。そのことは軽視できません。同時に、戦争か平和かという激動の情勢を反映し、そういう教育をうけてきた学生であっても、社会への見方が変化・発展していることも事実です。この間の10代20代の若い世代の運動の広がりがそのことを実証しています。情勢はまさに攻めぎあいです。情勢を一面的にではなく、「対立物の統一」として全面的にとらえることを肝に銘じて活動したいと思います。