丑寅勤行から戻ってきて再び寝床に入ってはみたものの、なかなか深く眠ることはできず……。
何だか変な夢を見た。
私や紹介者、その他の班員が坊内でガンサバイバーをやっている夢だ。
見たこともない詰襟制服の男子高校生の誘導で、外から侵入してきた魍魎達を手持ちの銃で倒すというものだ。
他の人達がハンドガンなのに、私だけアサルトライフルで申し訳無い。
どうもその魍魎達の中に、顕正会時代に知り合った顕正会員の成れの果てや学会員の成れの果てがいたことから、堕獄した者達が宗門境内に侵入してきたという設定のようだ。
まあ、私は容赦なく蜂の巣にさせて頂きましたがw
2階の仏間で御僧侶を人質に取った太ったオバハンがいたのだが、あれ、茜オバハンだな。
私の小説で倒されただけでは飽き足らず、夢の中にまで出て来たか。
私がM3ショットガンに武器変更している間に、同志の方が倒してくれましたw
タイラント茜にはマシンガンよりも、コルトパイソンの方が効くらしい。
てか夢の中の私、タイラント戦でショットガンは無駄な抵抗だと知っているはずなのに、何故に使おうと思ったし!
すいません、ガンサバイバルゲーム(特に“バイオハザード”)のやり過ぎでした。てへてへw
という夢で目が覚めた。
夢の話を周囲にしても、変な顔されただけである。当たり前だ。
とっとと布団を片付けて、勤行の会場へ。
御住職を人質に立て籠もった中ボスのタイラント茜BBA戦を繰り広げた(まだ言うか!)仏間で行われる。
心なしか、引き題目が丑寅勤行よりも短いような気がする。
まあ、長さは導師によりけるのだろう。
恐らく、信徒の朝食の時間に際して気を使ってくれたのかもしれない。
朝食は夕食と同じ弁当。
婦人部員のオバちゃんがご飯の量が多いからと、我々青年部に分けてくださる。
もっとも、私とて少食派。
大食派の青年部員が引き受けた。
確かにこういうほのぼのとした融通さ加減は、顕正会には無いかもしれないな。
何故なら、向こうはそんなに4者……もとい、3者間でそんなに交流があるわけではないでしょう?
疑問に思うのは、昨夜の夕食の時もそうだったが、朝食の時も題目三唱してから食べること。
御本尊以外に向かって題目三唱して大丈夫なのか?
……あー、何かそういう話を報恩坊でして頂いた気がしたが、忘れたなぁ……。
やっぱり、宿泊登山しないと分からない所はあるということだな。
総会の準備をする信徒は広布坊へ。
ただの参加者たる私は総二坊の掃除を手伝った。
ふむ。これが身の供養ってヤツか。
ところで、余った弁当はどうしたんだろうと思っていたら、大食派の方が処理していた。
しょうがないので、私は1階の自動販売機でペットボトルの水を買ってきてあげた。
私も、もう少し健康状態が良かったら、少し手伝うところだったのだが……。
広布坊は1994年に建立された宿坊で、開基は日顕上人。
大講堂よりも広いせいか、ここの御本尊は塔中坊の御本尊よりも大幅であるらしい。
一泊登山者は優先的に入れるらしく、荷物置き場に荷物を置いて会場に向かう。
その前にちょっとトイレ。
うむ。トイレも広くてきれいだ。
総会の式次第には書かれていないが、前座というか余興というか、始まる前にポンポン隊、鼓笛隊、ソーラン隊の演目が行われる。
ポンポン隊はその通り、4〜6歳の未来部(という名称だったっけ?)が“アンパンマンのマーチ”に合わせ、ポンポンを振りながらダンスをするというもの。
ステージ下では指導員の大人が数人、指揮を執っていたが。
一家広布の叶った家に生まれ育ったのだから、将来は安泰だろう。
一代法華の私よりも、ずっと恵まれている。
鼓笛隊の凄さは演奏しながら、アグレッシブに動き回ることである。
確か創価学会にもあるし、顕正会にもあると聞いた。
顕正新聞を見る限りでは、顕正会の鼓笛隊は椅子に座ったままなので、アグレッシブではない。
また、どうしても入信資格が16歳以上に限られている為、中学生以下の鼓笛隊員がいる法華講と違い、顕正会のそれはもう少し平均年齢は高い。
ソーラン隊だが、こちらは青年部有志によるものらしい。
私の知っている顔はいなかったが。
太鼓を叩かない顕正会の雷門会に相当する組織か。
但し、私が現役当時、雷門会は男子部員しかいなかったのに対し、こちらは女子部員も含まれる。
こういう余興も必要だ。
顕正会ではなかなか無いだろう。
いざ実際始まると、ステージの上に椅子を並べ、その上に幹部の皆さんが着座するのは顕正会の大会と似ている。
で、御主管(大石寺総監)の着座される位置というのが、正に顕正会では浅井会長が座る位置である。
浅井会長、明らかに狙って座ってんなーというのがこれで明らかになったわけだ。
当たり前だが、相手が御主管であっても伏せ拝はしないよ。
猊下様であっても、合唱したままの姿勢で拝したり唱題することはあるが、信徒が伏せ拝をすることはない。
猊下様が入退出時に一礼して下さった場合、それに信徒として答礼することはもちろんある。
その際、最敬礼の姿勢になることも多々ある。
しかし、それは伏せ拝とは言わない。
なので、いかに浅井会長が増上慢であるのかがこの様子で見ても明らかなのである。
たかだか在家の団体の長が、伏せ拝されていい気になるとは、おこがましいにも程がある。
と、この時思ったものである。
講頭の挨拶は、どちらかというと講頭自身の成果報告みたいなものだ。
講頭が率先して東南アジアの人間を引っ張って来てるからなぁ……。
まあ、実際に講頭が総会に連れて来たベトナム人は日本語が分からないようだった。
講頭は英語が喋れるようなので、英語でそのベトナム人に色々と説明していたようだが。
ベトナムの公用語は英語なのかと、今さら知った。
あいにくと私は国内だけで精一杯なもんでね。
しかし、講頭自ら率先して折伏に走り回っているという姿は素直に素晴らしいと思う。
どこぞの顕正会みたいに、下を引っ叩くだけの不要幹部とは大違いだ。
体験発表を行った人は、やはり無宗教から入った人。
最近、うちの支部では無宗教から入信してきた人が体験発表をすることが多い。
もちろん、良い事だ。
元顕や元学会員だとね、結構お決まりのテンプレートとかあるからさ、だいたい話の流れも似たようなものになっちゃうんだよね。
だから私も顕正新聞の体験発表の中で、1番つまらない内容は元学会員の『正義に目覚めて』の部分である。
茜オバハンはそこが1番面白そうなことを書いていたようだがね、あいにくと私は逆だ。
その点、無宗教者はそれぞれ違う話を持っているから、結構新鮮味がある。
私が体験発表をしたら、重々しい雰囲気に包まれることになるだろう。
私はまだ適度に楽しんだ方だから良いが、本当に向こうで地獄を見て来た元顕が体験発表しようものなら、【お察しください】。
中には浅井会長などへの恨みつらみを書く者もいるだろう。
……これでは、元顕が体験発表させてもらえるわけがないか。
最後に“広布の青嵐”を合唱する。
覇気の無い歌であまり好きではないのだが、歌いやすさでは推薦できるかな。
鼓笛隊が伴奏してくれていたので、幾分覇気はあったか。
因みに『邪宗の砦♪打ち砕き♪諸天は怒り♪地も震う♪』という歌詞の何とかって歌は覇気があると思うのだが、その分、歌詞の内容が随分と物騒なものになっている。
ところで今のフレーズ、どこかで聞いたことのある元顕はいるだろう。
そう、顕正会愛唱歌“両眼滝のその日まで”にも、『諸天も怒り♪地も震う♪』というのが入っているのである。
この両曲がいつ作られたのかは知らないが、当時はそんなフレーズが流行っていたのだろうか。
そんなこんなで私の一泊登山は終わり。
え?布教講演?で、出ましたよ、もちろん。ええ。内事部で勤務されている方が、確かお話されていたかと……。
ね、寝てないよ……別に……。
というわけで、カット!
終了後は売店でお土産やリーフレットを買う。
職場に持って行き、さりげなくリーフレットを置いておく作戦だ。
帰りは富士急静岡バスの富士宮営業所までタクシーで移動した後、高速バスに乗り込む。
例によって、1Aの展望席である。
(私がお世話になった“やきそばエクスプレス”14号。撮影日は17日で、これは15時ちょうど発の新富士駅行きに使用されるシーンである。この翌日、この下山バスは私を乗せて東京に向かうことになる。フロントガラスの上に“かぐや姫エクスプレス”と書かれている通り、本当に何にでも使用する車種らしい)
バスは大して混雑しておらず、1B席に誰も座ることはなかったが、東名高速に入ると随分とバイクのツーリンクが多かった。
尚、私がお世話になった便は珍しく東名富士を通らず、西富士道路から直に新東名に入った。
14号だけこのルートだそうである。
理由は不明。
途中で中央分離帯に激突して、バイクもろとも火を噴いていた事故車のせいで渋滞があったが、まあ、冥福は祈っておこう。
日曜日の東名高速らしく、綾瀬バス停付近だの、ベタな場所で渋滞していた。
何故そこが渋滞の名所なのかというと、上り坂だからである。
必要以上に減速した車が全車線塞ぎやがったりするもんだから、後ろに渋滞の列ができるのである。
高速道路は、高速で走る所ですからね。
因みにあからさまな“普段着の折伏”は思いの外不評だったようで、リーフレットは、もう少し一般人に分かりやすい内容に改めるべきだと思った。
あと、顕正会員用のも欲しいね。
これで今年の支部総登山は終わり。
あとは11月にでも添書で行って、今年の登山納めとしよう。
何だか変な夢を見た。
私や紹介者、その他の班員が坊内でガンサバイバーをやっている夢だ。
見たこともない詰襟制服の男子高校生の誘導で、外から侵入してきた魍魎達を手持ちの銃で倒すというものだ。
他の人達がハンドガンなのに、私だけアサルトライフルで申し訳無い。
どうもその魍魎達の中に、顕正会時代に知り合った顕正会員の成れの果てや学会員の成れの果てがいたことから、堕獄した者達が宗門境内に侵入してきたという設定のようだ。
まあ、私は容赦なく蜂の巣にさせて頂きましたがw
2階の仏間で御僧侶を人質に取った太ったオバハンがいたのだが、あれ、茜オバハンだな。
私の小説で倒されただけでは飽き足らず、夢の中にまで出て来たか。
私がM3ショットガンに武器変更している間に、同志の方が倒してくれましたw
タイラント茜にはマシンガンよりも、コルトパイソンの方が効くらしい。
てか夢の中の私、タイラント戦でショットガンは無駄な抵抗だと知っているはずなのに、何故に使おうと思ったし!
すいません、ガンサバイバルゲーム(特に“バイオハザード”)のやり過ぎでした。てへてへw
という夢で目が覚めた。
夢の話を周囲にしても、変な顔されただけである。当たり前だ。
とっとと布団を片付けて、勤行の会場へ。
御住職を人質に立て籠もった中ボスのタイラント茜BBA戦を繰り広げた(まだ言うか!)仏間で行われる。
心なしか、引き題目が丑寅勤行よりも短いような気がする。
まあ、長さは導師によりけるのだろう。
恐らく、信徒の朝食の時間に際して気を使ってくれたのかもしれない。
朝食は夕食と同じ弁当。
婦人部員のオバちゃんがご飯の量が多いからと、我々青年部に分けてくださる。
もっとも、私とて少食派。
大食派の青年部員が引き受けた。
確かにこういうほのぼのとした融通さ加減は、顕正会には無いかもしれないな。
何故なら、向こうはそんなに4者……もとい、3者間でそんなに交流があるわけではないでしょう?
疑問に思うのは、昨夜の夕食の時もそうだったが、朝食の時も題目三唱してから食べること。
御本尊以外に向かって題目三唱して大丈夫なのか?
……あー、何かそういう話を報恩坊でして頂いた気がしたが、忘れたなぁ……。
やっぱり、宿泊登山しないと分からない所はあるということだな。
総会の準備をする信徒は広布坊へ。
ただの参加者たる私は総二坊の掃除を手伝った。
ふむ。これが身の供養ってヤツか。
ところで、余った弁当はどうしたんだろうと思っていたら、大食派の方が処理していた。
しょうがないので、私は1階の自動販売機でペットボトルの水を買ってきてあげた。
私も、もう少し健康状態が良かったら、少し手伝うところだったのだが……。
広布坊は1994年に建立された宿坊で、開基は日顕上人。
大講堂よりも広いせいか、ここの御本尊は塔中坊の御本尊よりも大幅であるらしい。
一泊登山者は優先的に入れるらしく、荷物置き場に荷物を置いて会場に向かう。
その前にちょっとトイレ。
うむ。トイレも広くてきれいだ。
総会の式次第には書かれていないが、前座というか余興というか、始まる前にポンポン隊、鼓笛隊、ソーラン隊の演目が行われる。
ポンポン隊はその通り、4〜6歳の未来部(という名称だったっけ?)が“アンパンマンのマーチ”に合わせ、ポンポンを振りながらダンスをするというもの。
ステージ下では指導員の大人が数人、指揮を執っていたが。
一家広布の叶った家に生まれ育ったのだから、将来は安泰だろう。
一代法華の私よりも、ずっと恵まれている。
鼓笛隊の凄さは演奏しながら、アグレッシブに動き回ることである。
確か創価学会にもあるし、顕正会にもあると聞いた。
顕正新聞を見る限りでは、顕正会の鼓笛隊は椅子に座ったままなので、アグレッシブではない。
また、どうしても入信資格が16歳以上に限られている為、中学生以下の鼓笛隊員がいる法華講と違い、顕正会のそれはもう少し平均年齢は高い。
ソーラン隊だが、こちらは青年部有志によるものらしい。
私の知っている顔はいなかったが。
太鼓を叩かない顕正会の雷門会に相当する組織か。
但し、私が現役当時、雷門会は男子部員しかいなかったのに対し、こちらは女子部員も含まれる。
こういう余興も必要だ。
顕正会ではなかなか無いだろう。
いざ実際始まると、ステージの上に椅子を並べ、その上に幹部の皆さんが着座するのは顕正会の大会と似ている。
で、御主管(大石寺総監)の着座される位置というのが、正に顕正会では浅井会長が座る位置である。
浅井会長、明らかに狙って座ってんなーというのがこれで明らかになったわけだ。
当たり前だが、相手が御主管であっても伏せ拝はしないよ。
猊下様であっても、合唱したままの姿勢で拝したり唱題することはあるが、信徒が伏せ拝をすることはない。
猊下様が入退出時に一礼して下さった場合、それに信徒として答礼することはもちろんある。
その際、最敬礼の姿勢になることも多々ある。
しかし、それは伏せ拝とは言わない。
なので、いかに浅井会長が増上慢であるのかがこの様子で見ても明らかなのである。
たかだか在家の団体の長が、伏せ拝されていい気になるとは、おこがましいにも程がある。
と、この時思ったものである。
講頭の挨拶は、どちらかというと講頭自身の成果報告みたいなものだ。
講頭が率先して東南アジアの人間を引っ張って来てるからなぁ……。
まあ、実際に講頭が総会に連れて来たベトナム人は日本語が分からないようだった。
講頭は英語が喋れるようなので、英語でそのベトナム人に色々と説明していたようだが。
ベトナムの公用語は英語なのかと、今さら知った。
あいにくと私は国内だけで精一杯なもんでね。
しかし、講頭自ら率先して折伏に走り回っているという姿は素直に素晴らしいと思う。
どこぞの顕正会みたいに、下を引っ叩くだけの不要幹部とは大違いだ。
体験発表を行った人は、やはり無宗教から入った人。
最近、うちの支部では無宗教から入信してきた人が体験発表をすることが多い。
もちろん、良い事だ。
元顕や元学会員だとね、結構お決まりのテンプレートとかあるからさ、だいたい話の流れも似たようなものになっちゃうんだよね。
だから私も顕正新聞の体験発表の中で、1番つまらない内容は元学会員の『正義に目覚めて』の部分である。
茜オバハンはそこが1番面白そうなことを書いていたようだがね、あいにくと私は逆だ。
その点、無宗教者はそれぞれ違う話を持っているから、結構新鮮味がある。
私が体験発表をしたら、重々しい雰囲気に包まれることになるだろう。
私はまだ適度に楽しんだ方だから良いが、本当に向こうで地獄を見て来た元顕が体験発表しようものなら、【お察しください】。
中には浅井会長などへの恨みつらみを書く者もいるだろう。
……これでは、元顕が体験発表させてもらえるわけがないか。
最後に“広布の青嵐”を合唱する。
覇気の無い歌であまり好きではないのだが、歌いやすさでは推薦できるかな。
鼓笛隊が伴奏してくれていたので、幾分覇気はあったか。
因みに『邪宗の砦♪打ち砕き♪諸天は怒り♪地も震う♪』という歌詞の何とかって歌は覇気があると思うのだが、その分、歌詞の内容が随分と物騒なものになっている。
ところで今のフレーズ、どこかで聞いたことのある元顕はいるだろう。
そう、顕正会愛唱歌“両眼滝のその日まで”にも、『諸天も怒り♪地も震う♪』というのが入っているのである。
この両曲がいつ作られたのかは知らないが、当時はそんなフレーズが流行っていたのだろうか。
そんなこんなで私の一泊登山は終わり。
え?布教講演?で、出ましたよ、もちろん。ええ。内事部で勤務されている方が、確かお話されていたかと……。
ね、寝てないよ……別に……。
というわけで、カット!
終了後は売店でお土産やリーフレットを買う。
職場に持って行き、さりげなくリーフレットを置いておく作戦だ。
帰りは富士急静岡バスの富士宮営業所までタクシーで移動した後、高速バスに乗り込む。
例によって、1Aの展望席である。
(私がお世話になった“やきそばエクスプレス”14号。撮影日は17日で、これは15時ちょうど発の新富士駅行きに使用されるシーンである。この翌日、この下山バスは私を乗せて東京に向かうことになる。フロントガラスの上に“かぐや姫エクスプレス”と書かれている通り、本当に何にでも使用する車種らしい)
バスは大して混雑しておらず、1B席に誰も座ることはなかったが、東名高速に入ると随分とバイクのツーリンクが多かった。
尚、私がお世話になった便は珍しく東名富士を通らず、西富士道路から直に新東名に入った。
14号だけこのルートだそうである。
理由は不明。
途中で中央分離帯に激突して、バイクもろとも火を噴いていた事故車のせいで渋滞があったが、まあ、冥福は祈っておこう。
日曜日の東名高速らしく、綾瀬バス停付近だの、ベタな場所で渋滞していた。
何故そこが渋滞の名所なのかというと、上り坂だからである。
必要以上に減速した車が全車線塞ぎやがったりするもんだから、後ろに渋滞の列ができるのである。
高速道路は、高速で走る所ですからね。
因みにあからさまな“普段着の折伏”は思いの外不評だったようで、リーフレットは、もう少し一般人に分かりやすい内容に改めるべきだと思った。
あと、顕正会員用のも欲しいね。
これで今年の支部総登山は終わり。
あとは11月にでも添書で行って、今年の登山納めとしよう。