報恩坊の怪しい偽作家!

 自作の小説がメインのブログです。
 尚、ブログ内全ての作品がフィクションです。
 実際のものとは異なります。

運の無い男

2015-10-12 21:10:23 | 日記
JR埼京線と湘南新宿ラインで全線運転再開

 だいぶ前のことだ。
 R25だか“ネタりか”だか忘れてしまったが、そこの恋愛ネタに、『彼氏にしたくない男ランキング』なるものがあった。
 往々にしてその場合、『彼女にしたくない女ランキング』と共通していることが多い。
 私が苦笑いしながらその順位を見ていた時、ふと目に留まったものがあった。
 そして、苦笑が消えて真顔になったものだ。
 どこの記事だったかはかなり前のことなので忘れてしまったが、内容に関してはインパクトがあったので覚えているというわけだ。
 ベスト(ワースト?)10に入っていたかも忘れたが、それはこういうもの。

 「運の悪い男」

 まあ、運が悪いといっても色々とあるだろう。
 中には、呪われているんじゃないのと思うくらい運の無い男を掴んでしまった女性もいるらしい。
 かつての私もそうだったが、例えば電車で移動する度に、路線や時間帯がそれぞれ違うのに、自分達が乗った電車が必ず事故る(人身事故はもちろん、踏切事故や車両故障など)というものや、車で移動中、そういう時に限って道路が通行止めになっていたり……。
 これは彼氏本人には悪気は無いだろうが、得てして妙だと思ったものである。
 申し訳無いが、日常的な福運に関しては仏法でもどうにかなるものではない。
 もし本当に正しくてどうにかなるのであれば、あの顕正会員達も逮捕されずに済んだだろうさ。

 そして、私!
 gooブログではブログ1つにつき、記事リンクが1つしか載せられないから埼京線の事故を乗せたが、昨日は葛飾区で都営バスも事故ったらしい。
 都営バスの運転手の中には、心臓に悪い運転をする者もいるから1つ注意が必要だ。
 だから私は始発の停留所から乗って、座りたい席が選べる時、必ず運転席の真後ろに座る。
 そこがバスが正面衝突しても1番安全な席だからだ。
 何故なら、運転席の後ろには防護板が付いている。
 これが正面衝突した際、良いプロテクター代わりになってくれるわけである。
 但し、顔をぶつけないように注意。
 なので、私は足を踏ん張っている。
 ……話が逸れてしまった。
 というか、それは後述するべきだったな。
 埼京線が事故ったせいで、また私の仕事場からの帰りの足を妨害された。
 ここ最近、私の通勤の足が妨害されることが多い。
 これは偏に、私に福運の無いせいだが、独り身である為、そこはまだ何とでもなる強みはある。
 もう既に私は、いくつものルートを用意している。
 埼京線が止まってしまったので、私は都営バスに乗り換えて別の路線の駅に行き、そこから脱出した次第だ。

 確かに私も日常的な福運は乏しい。
 だが、どうせ運が無いと分かっているのなら、それを想定した計画を立てるようにしている。
 いくつものプランを立てるが、それが全部ダメになった時はさすがに諦めて脱講届でも書くさ。
 一応、そうなったのは今のところ、東日本大震災の時くらいだけどな。
 というか震災当時、既に脱講中だった。
 私に下された罰の現証にしては、随分と周辺の被害が大き過ぎるなと思ったが。

 そう。『運の悪い男女』の中で、1番タチの悪いパターンは、引き起こした不運の現象により、同行者だけでなく、無関係の第三者をも巻き込むことなのである。
 私が得てして妙だと思ったのは、正にそこ。
 そして20代半ばくらいの女性のコメントに、正に上記のことが書いてあったのである。

「そのうち、無関係の人が巻き込まれて死んだりしたら申し訳無い」

 とのこと。
 うん、分かる分かる。
 例えば“ドラえもん”の主人公格の1人、のび太君もベタな不運キャラの法則だが、殆どは自分自身に振り掛かる災難であって、第三者を巻き込むことは殆ど無い。
 だからまだのび太君は同情されるのだろう。
 私もそうだが、本当に死人まで出したら、いくら本人に悪気は無くてもちょっと……という感じだよな。
 で、これが仏法でどうにかなるものではないというのが何とも……。
 せいぜい、自分が巻き込まれないように加護してもらうことを期待するしかないか。

 というわけで埼京線ご利用の予定だった皆様、私の福運のせいで申し訳無い。
 文句は御本尊に言ってくれ。

 私のバス・フリークス……路線バス趣味と知識は、福運の無さがそもそも発端だったことを白状しておく。

 ちゃんと信心しているにも関わらず、日常的な福運に恵まれていないということは、実はそれだけ罪障消滅が進んでいる為、功徳が福運としてまで回せられないということだ。
 つまり、あなたはそれだけ罪障が深いということ。
 先述したが、どうしようもなくなったのは退転中、あの大震災が起きた時だけだから。
 もっと言えば、震災が無ければ私はまだ勧誡していなかった可能性もある。
 あの震災を機にどれだけの人が御受誡または勧誡を決意したか分からないが、実は私もその1人だったということ。
 顕正会への復帰は選択肢に無かった。
 被災地で勧誘しているという話を聞いてね。
 とても、やってらんねーと思った。
 ま、一部の法華講でもやっていたという話を聞いたので、その信徒がいる支部を勧誡先とするのはやめた。
 とてもついていけそうに無いと思ったからだ。
 ヘタレと思うかもしれないが、ではヘタレは信心していけないのか!

『へたれの信心する事、罷り成らぬに候也』という御文でもあるのか?なワケないよな。
 え?ある?じゃあいいよ。脱講届書くから。

 福運が無いからと言って、諦める必要はない。
 どことは言わないが、実は福運だけは良くなる宗教もあるにはあるのだ。
 もちろんそれには裏があるので、ヘタレな私は行く気にはなれない。

 普通に信心しているだけではなかなか良い福運には恵まれないが、今のところ日蓮正宗法華講員であり続ける。

 私の支部にはもっと福運の無い人がいて、天邪鬼で申し訳無いが、そういう人を見る度は私はマシなんだなぁ……と思う次第だ。
「あなたの祈りが足りないのではなく、そもそも入信したら運が良くなると考えること自体が間違いだから」
 と、今度会えたら教えてあげよう。
 えっ?それで嫌になって辞めたらどうするんだって?
 いやいや、そもそもそういう文句で折伏したというのなら、その文言自体が間違ってるから。

 最後の目標は、自分自身の成仏でしょ?
 それが叶う信心活動ができるのが日蓮正宗法華講だって言うから、私は勧誡したのだがね。
 私の紹介者からは一言も、「運が良くなる」と言われたことは無いよ。
 多分、それは自分自身の努力によるものだというのは空気を読んだからね。
 その努力の糧となる仏法が、そこにあると信じて戻ったのだが。
 今のところ、まだ自覚はしていない。
 まあ、このブログ見てもらえれば分かると思うけど。

 今月は支部登山が控えている。
 既に1つの交通機関が止まったことに備えて、登山ルートはいくつか押さえてある。
 ま、全部ダメだったら諦めよう。
コメント (12)
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