同い年でも、同じ病気でも、同じ治療を受けてても、同じような経過をたどるというわけでは無いというのは当たり前かもしれないけど、どこかで「同じ道筋をたどる」と、そう思っていた。
昨日Jiroさんからのメールで知った病友さんの死…
どんなに家族から必要とされていたって、そんなことお構い無しにやってくるのか。
Jiroさんとその方は最初の手術の入院時からのおつきあいだった。入院中、夜の院内を散歩して(もちろん看護師さんにはことわった上で)、自販機で買った飲み物を手にたくさんおしゃべりして過ごしたんだそうだ。それを聞いたときには羨ましい関係だな~と思った。第1回目のさくらんぼで初めて紹介され、その後数人でいっしょにお好み焼きを食べに行ったんだった。N/Kさんもいっしょでした。
春によい結果を得てからはしょっちゅう思うんだよね。いろいろ不公平なんだ、って。
そういうのを分け合えたらよいのにな、って。
昨日Jiroさんからのメールで知った病友さんの死…
どんなに家族から必要とされていたって、そんなことお構い無しにやってくるのか。
Jiroさんとその方は最初の手術の入院時からのおつきあいだった。入院中、夜の院内を散歩して(もちろん看護師さんにはことわった上で)、自販機で買った飲み物を手にたくさんおしゃべりして過ごしたんだそうだ。それを聞いたときには羨ましい関係だな~と思った。第1回目のさくらんぼで初めて紹介され、その後数人でいっしょにお好み焼きを食べに行ったんだった。N/Kさんもいっしょでした。
春によい結果を得てからはしょっちゅう思うんだよね。いろいろ不公平なんだ、って。
そういうのを分け合えたらよいのにな、って。
ご冥福をお祈りします。
不公平を感じる、ということですが、反対に傍らで、奈津子さんのよい結果のことを聞いた人はよかった!と思いこそすれ、不公平、と思うことはないんじゃないかな・・・というのは、キレイごと?
いえ、やはり、そんなことない、と思います。
大きな事故、災害等で多数の犠牲者が出たような場合、助かった人は自分が助かってしまったことで犠牲者に対して申し訳ない、という気持ちに苛まれる、と聞きます。不公平を感じるのはそれと似た心境なのかなぁ、とふと思いました。違っていたらごめんなさい。
そうね、分け合えたらいいのにね
読み返してみたら随分とわかりにくい書き方をしてたのに、的確なコメントをありがとう。
>大きな事故、災害等で多数の犠牲者が出たような場合、助かった人は自分が助かってしまったことで犠牲者に対して申し訳ない、という気持ち…
ほんとだわ…近いわ。
そういう助かった人の言葉を私も幾度となく耳にしたことがあります。そのたびに「そんなふうにおもわなくてもいいのに」と感じてた。
でも、今はよくわかる。
命あるものは必ず死にます。
そういう意味では公平だと思います。
予想もしなかったタイミングや出来事で身近な人の死に触れると、不公平さや時には罪悪感さえ感じてしまうのは、人ならではの感情なのかもしれませんね。
亡くなられた方とご家族も、悔しい思いをされているかもしれません。
でもきっと、奈さまやいろいろなお友達とも出会われたし、ご家族との間には、外からは見えない濃厚な時間が流れていたのではないでしょうか。
いつその時が来ても、大きな後悔を残さないように、大事に生きたいものですね。
>いつその時が来ても、大きな後悔を残さないように、大事に生きたいものですね。
これがホントに難しいわ。そんな心構えが、病気になった今でさえ困難なんだもんね。
・・・・・
いろいろ考えて指が止まってしまった。
‘大きな後悔を残さないように’長生きしましょうね。