![]() | 男子の茶の湯ことはじめ―サラリーマンが茶人になりました堀内 議司男原書房このアイテムの詳細を見る |
お茶の格式や作法にばかり焦点をあてた本を見て、そこに仰々しく道具なんぞを"拝見"している様子などが紹介されていると、
正直、コミカルなものを感じていました。
例の茶碗を回してから飲む作法も、千利休の時代にはなく、
その後の文献等を辿ってみても、一般的になったのは、どうも明治時代に入ってからのことらしいです。
そのこころは、お茶を点てた亭主は茶碗の一番美しい正面を向けて差し上げ、
客はその心遣いに感謝し、正面から口をつけるのを遠慮して茶碗を回して違う箇所からいただく、という気持ち。
粋な作法ですが、型ばかりが先行しすぎて、
グルグル回して結局正面に口づけ、てのも、あながちジョークでもないような感じがします。
で、この本ですが、茶の湯の世界の真髄の入り口を感じさせてくれたような気がしました。
着眼点が実に素朴で、しなやか、です。
これが17世紀から四百年に渡って続いてきた茶道のほんとう、なのだと考えさせるものがありました。
(桜田門外の変で知られる井伊直弼が幕末期の大茶人で、茶の心をあらわす一期一会という言葉を広めた人だというのも初めて知りました。)
ぼくは、所作や習慣づけのためにも、型から入る教育に賛成しますが、それで終わってしまってはいけません。
<袱紗(ふくさ)で清める動作>
客の前に持ち出す道具は当然きれいに洗ってるのに、なぜあらためて清めるのでしょう?
日本人の生活や歳時記に溶け込んでいる陰陽五行の思想、そのバランスが崩れた状態を「けがれ」といいます。
お宮参りや地鎮祭などの行事なども、このバランスが崩れた状態を清め、祓うという意味が込められています。
(「七歳までは神のうち」といって、子どもは異界に対して敏感だといいます。
この異界との接点やバランスにまで気を配っているのです。)
お茶を点て、道具を動かすと、バランスが崩れ、「けがれ」の状態が発生する。
それゆえ使う道具を袱紗で清め、バランス良く道具の置き合わせを展開していく。
<ずらし、の極意>
例えば、丸いお盆に茶碗を置くとき、名人はわずかに中心をずらして置く、といいます。
地球の極点(北極、南極)は、一定ではなく20mの範囲で移動し、地軸からわずかにズレを生じている、らしいです。
自然界に存在するものは、左右対称でなく、不完全な存在が調和している。
自然界の音もしかり、茶室の中にも、釜の煮える松風の音(風雅な呼び名)、すだれを巻き上げる音、など
「1/fのゆらぎ」が溢れているといいます。
動くものは丸く(茶室の中の動く茶道具や、手前の手の動き)、天を動き円を描きますが、
一方、動かないものは四角(畳や棚、炉)であらわされます。
この両者がわずかにズレて、世界はバランスよく調和しています。
<世界に誇れる日本の音、水琴窟(すいきんくつ)>
つくばいの水が溢れないよう工夫した茶の湯が発明した仕掛け、水琴窟。
深く掘った穴に、底に穴をあけた瓶をふせて埋め、
使用した水が水滴となって落ち、瓶の空洞に反響し、あたかも地の底から音が響くかのように聞こえます。
瓶を埋めたりする工夫は、能の舞台下などにも見られ、音響効果上の工夫以外に、
神への祈りや交わりといったこととも関係があるようです。
サウンドポエム・水琴窟
■著者のHPです。
http://homepage2.nifty.com/TEA/
会津の旧宅に<不審庵>をお持ちなんですか…。
驚きました~@@
私もお裏の末端で学ばせていただいたおりますが、
知らないことばかりで恥ずかしいです、滝汗。
23日はお寺さんの秋の大寄せで
風炉の中置き平点前を披露します。
失敗しないようにがんばります!
相変わらず写真が素敵!!
なんだか意味不明ですが、とりあえず、がんばってくださいね。(^_^メ)
素人のくせにお茶の先生みたいにえらそうなこと書いてたらごめんなさい。
単なる暇人が勉強も込めて書いただけです。
高貴?(*_*;???
ヒンズー教の牛か、食物連鎖の頂点に立ったような気分にさせていただいて、ありがとうございます。
ぼくの持ち物でもなんでもないけど、
まぁ、そういうことにでもしときましょ~♪
へ?(-。-)y-゜゜゜